第18話 決起
“転送”された場所は、見覚えのない部屋だった。
ところどころに張られた蜘蛛の巣。煤けた壁。部屋の隅には酒瓶が転がっている。
店じまいした酒場だろうか。見渡しながら、ウィルはそんな風に推察した。
「うまくいったわね」
かざした手を引っ込めて、シュシュはニッと笑った。
「ちゃんとメッセージが伝わってよかったわ。せっかく懲罰房まで足を運んだのに、気づいてくれなきゃ無駄足だったもん」
「そりゃ気づくだろ。シュシュは指紋がついたものを手元に引き寄せられる。
荷物を運ぶなんて力仕事とは無縁なはずの人間だ。
それなのに俺のところへわざわざ本を手に持って届けにきた。
何も仕掛けがないと思う方がおかしい」
そう言って、ウィルは紙の切れ端を見せた。
シュシュから届いた本の表紙の一部。
波のような模様で、ざらざらした質感のその紙は……その一部が“指紋の形”となっていた。
「シュシュの魔術は、触ったものを手元に引き寄せるわけじゃない。自分の指紋がついたものを手元に引き寄せる。
つまり指紋をつけるのは自分じゃなくても構わない。
こんな風に“指紋を型どった紙“を誰かに手渡せば、直接触らなくてもマーキングは可能ってことだ」
——ざらざらした表紙の凹凸。その一部にシュシュの“指紋の柄“を仕込み、ウィルに自分でつけさせる。
そして転送によってウィルを檻から出す。
シュシュが仕掛けたのはそういう作戦。
あの時シュシュが届けにきたのは、本ではなく、自らの指紋だった。
ゼラチンのようなものを使えば、指紋の複製は割と簡単にできるものなのだという。しかし今回のように紙に再現するとなれば、それなりの技術が必要だ。
シュシュが来たのは収監されて7日目。しばらく動きがなかったのは、制作に時間がかかったのだろう。
ちなみに本を届けるのは誰でも構わなかったはずだが、シュシュが自らやってきたのは“転送”をウィルに意識させるため。
そして衛兵の注意を自分に引き寄せ、本の表紙に隠した指紋スタンプから注意を逸らすためだった。
「もうすぐ長雨も上がるそうです。天気が良くなった頃には外に出られると良いですね。
——あの伝言は、シュシュが“転送”を発動させるタイミングを伝えるためのものだった。
天井の隙間から落ちる雫が止まったら、ここから出す。
だからそれまでに、体にシュシュの指紋を……転送のためのマーキングをつけておけよ、って意味だろ」
「うん、合格合格。
っていうか、このくらい気づいてくれなきゃ呼んだ意味がないし。ね? ひめさま」
シュシュが振り返った先。カウンター席には、黒いローブに身を包むキャロルがいた。
一週間ぶりね、と微笑むキャロル。ああ、と返事をしながら、ウィルは「やっぱりキャロルの差金だったか」と続けた。
ウィルは放っておけばそのうち解放される。わざわざ衛兵を、そのバックにいるクロードを欺いてまで外に出すなんて、シュシュが冗談でやるはずがない。
そこまでさせられるほどの者が糸を引いていることは容易に想像がついた。
そして、そこまでしなければならないほどの事情ができたのだということも。
「悩みの解決なら他の七ツ宝具に頼めばいい。
それができないのは、七ツ宝具そのものが“悩みの種“になったから。
違うか?」
「——ええ。七ツ宝具“盾”のクロードが、衛兵たちを率いて貧民街へと向かった。
彼は貧民街そのものを潰そうとしている」
眉一つ動かさず話に耳を傾けるウィルに、シュシュが「予想してたの?」と尋ねる。
ウィルは頷きながら、懲罰房に入れられる前日。病棟でのやりとりを思い出した。
「他の七つ宝具を倒せ。俺にそう命令してくれ」
ウィル自身、口に出してみてすぐにわかった。これは言葉が足りなかったな、と。
しかしキャロルは黙って続きを待っていた。ウィルは教養はなくても、思慮が足りないわけじゃない。
「……。絶対じゃないが、クロードは姫君に迫る危険の排除と称して、貧民街に攻撃を仕掛ける可能性がある。
七ツ宝具の何人かもそれに加わるかもしれない」
どういうこと? 視線で尋ねるキャロルに、ウィルは「任務の優先順位だ」そう続けた。
「七ツ宝具にとって姫君の命令は絶対。だからキャロルが望まないなら、本来、俺の予想していることなんて起こり得ない。
だが七ツ宝具には他にも重要なミッションがある。姫君に迫る危険の排除、ってやつだ。
今回の件で、クロードは貧民街を排除の対象と見なした可能性がある」
そしてもし。もしも貧民街に同行したシュシュやウィルに“監禁”の類の罰が与えられたとしたら、考えの相反する者を動けなくしておこうという意図が透けて見える。
そうなれば嫌な予想はむしろ確信に近づく。そう踏んでいた。
「貧民街の排除……キャロルの安全を優先するか、望みを優先するか。七ツ宝具の中でも意見は割れるだろう。だったら邪魔になりそうな俺は檻の中にでもいてくれた方がいい。
そうなれば、貧民街を攻撃しようとするクロードと、その協力者を止められる人間はいなくなる」
「——それで、他の七ツ宝具との戦闘許可がほしいと」
仲間の面々を浮かべながら、ウィルは剣の柄に手を添えた。
「七ツ宝具同士の戦いはご法度だ。キャロルの命令がないと、俺はキャロルの力になれない。
それに罰を受けている間に、もし異常事態に気づけてたとしても、命令って大義名分がなくちゃ駆けつけることすらできない。
近いうちにそんな状況が待ち受けているかもしれない」
やや飛躍した推論であるのは承知の上。それにキャロルにとって耳触りの良くない推論であることも、ウィルには承知の上だった。
それでも口にしたのは、彼なりの覚悟の表れ。
何がなんでも姫君の力になる。
そういう覚悟だった。
「あの時……私はウィルの言うことを信じられなかった。信じたくなかった。
だからウィルのお願いに、首を縦には振れなかった。起こりうる可能性から、目を背けてしまったから」
「目を背けたわけじゃないだろう。
キャロルは確かに、俺の提案を拒んだ。
だがその代わりにこう言った。『必要だと感じたなら、何よりも先に私のところへ駆けつけなさい』と」
——あの後、キャロルは考え込むようにして、ウィルに顔を上げるように言った。
少年の表情は、テストで悪い点をとった子供のようだった。
本当なら口にしたくないことを、無理して口にしているのがわかった。それが、誰のためであるのかということも。
「まだ何も起きていない段階から、過激な命令は出せない。その上で、キャロルは俺の考えを尊重してくれたからこそ、“駆けつけなさい“と言ったんだろう。
俺が手を汚すことになった時、それが俺の責任にならないように、そう言ったんだろう。
自分の判断を貶めるようなこと言うなよ。キャロルはよくやってる」
「え、ちょ、いきなりの上から目線」
思わずツッコミを入れたシュシュだが、キャロルに「いいのよ」と言われて押し黙った。
事実、シュシュにもクロードの思惑を事前に予測はすることはできなかったのだ。その洞察力を認めるほかない。
「とにかく反省は後だ。時間がないから無茶な真似をしたんだろう。今、どういう状況になってる」
ウィルの言葉に頷くと、キャロルはテーブルいっぱいに地図を広げた。そしてペンを走らせながら現状を話す。
現在、クロードは衛兵300人を率いて貧民街に向かっている。
名目は犯罪の調査と生活困窮者の保護。だが同行しているのが軍の精鋭300人という規模からして、そんなはずはない。
保護が口実なのは貧民街の住人にもすぐにわかるだろう。おそらく何人かは衛兵たちに攻撃を仕掛け、小競り合いが起きる。
クロードにとってはそれが狙いだ。
キャロルの件があったとはいえ、自ら戦争を仕掛けることは王が認めない。しかし先に攻撃を受けたとなれば話は別だ。
クロードは正当防衛の名の下に貧民街を叩く事ができる。そういう算段なのだろう。
現在は近隣の町に衛兵たちが控えている。おそらく明日にでも貧民街に到着するだろうということだ。
「調査と保護、そして“正当防衛”は、隣国に出ている国王からも手紙で了承を確認済みの案件。
つまり国に逆らっているのは私の方だということ。
衛兵たちは迷いを抱えながらも、おおむね賛同の意思で動いている」
「レイ団長は?」
「国王が戻るまでは彼女も戻れない。現状、国内における七ツ宝具の現場統率者はクロードになる。
入院中のマユメは別として、“冠”のヴォルクと“秤”のミュゼはクロードから戦線の一角を任されているはず。
クロードのところに行くには……二人の存在も無視できない」
七ツ宝具の二人がおそらくクロードの側についている。それは衛兵300人よりも厄介な状況だとウィルには思えた。
もちろん七ツ宝具とはいえ、生身で300人に相当する武力はない。だが彼らには魔術がある。それこそ、やり方次第で300人の戦力差をも覆せるほどの魔術が。
「七ツ宝具三人が相手か。楽じゃないな」
「まー、こっちにはわたしがいるし」
どん、と胸を叩くシュシュ。
……。そういえばどうしてこいつはこっち側にいるんだ? 横目で見ながら、ウィルは疑問を抱いた。
シュシュも七ツ宝具の一角。クロードから何らかの指示を受けているはずだ。まさかスパイなんじゃねーだろーな。
ウィルの視線に疑いの色が混じったのを見たのか、「大丈夫よ」とキャロルはシュシュの頭を撫でた。
「ウィルを懲罰房から出すのは、シュシュから言ってくれたことなの」
キャロルの指示でシュシュが動いたのではなく、シュシュの提案でキャロルが指示を出した。
ウィルの予想に反し、これまでのいきさつはシュシュの差金であるようだった。
わざわざウィルを解放して敵を増やすメリットはない。それならシュシュが裏切り者である可能性は低い。
「さすがにミュゼ、ヴォルクさん、クロードをわたしひとりで相手にするのは大変だからね。ウィルだけサボるのはずるいと思って」
「ズルいとかズルくないとかそういう話でもないと思うが……。
けど大変だとわかっているなら、なぜキャロルにつく」
ウィルの物言いに、シュシュは頬を膨らませた。
「そんなのひめさまが困ってるからに決まってるじゃない。ウィルと同じだよ」
騙す気ならばもう少しマシな嘘をつく。理屈はそうだ。
しかしウィルはそんな理屈が浮かぶよりも先に、仲間への疑いを捨てた。
嘘をついている人間の目ではない。そう見えたからだ。
「分が悪いことに変わりはないが……こっちも二人がかりなら、少しはマシな状況になるな」
「失礼な。三人でしょ」
ウィルの呟きに、キャロルが割って入った。
「もちろん力ではウィルやシュシュには敵わない。けど私だって、ただ守ってもらうだけのつもりなんてない。
二人と同じだけのものを賭ける覚悟をしてきたつもりよ」
左胸に手を当て、真っ直ぐに二人の従者を見つめるキャロル。
「——これだからわたし、ひめさまのこと好きなんだよね」
キャロルの瞳をじっと覗き込んだかと思うと、シュシュはそう言って白い歯を見せた。
「さー、やる気出てきたよ! 時間もないしそろそろ行こっか!」
「わかった。どう動く?」
キャロルは頷くと、地図に示された道を細い指でなぞった。
「2グループに分かれる。シュシュは貧民街まで最短の道で、私たちは後を追う形で向かう。そうすることで、一網打尽に拘束されるとか、不意を撃たれるリスクも抑えられると思う。
基本的には戦いを避けながら、クロードのところまでたどり着くことを最優先。
けどもしも対峙してしまったら、その時は……」
「その時は傷つく人間が少なくなるように手を尽くす。
敵も味方も。自分自身も」
心の内を見透かしたようなウィルの言葉に、キャロルは「ありがとう」と微笑んだ。
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