第17話 囚人

 雫の音で、ウィルは目を覚ました。


 目の前には石を敷き詰めて作った天井。地上で雨が降っているのか、時折、隙間から水滴が落ちてくる。


 麻の敷物から体を起こし、軽く体を伸ばした。


 天井と同じく、床もまた固く冷たい石畳の部屋。少し動かなければ体が冷え切ってしまう。


 そんなわけでストレッチが彼の日課に追加されていた。


 この部屋が彼の部屋になって以来。


 檻に収監されて以来だ。


 鉄柵の向こうに目をやる。ゆらめく蝋燭の明かりに、見張り役の衛兵の姿があった。


「今、何時だ」


 尋ねるが、衛兵は答えるどころか、ウィルに視線を向けようともしない。


 城の衛兵は軍の所属。王直属の護衛である七ツ宝具はいわば彼らの上位にあたる存在だ。


 それが規律なのか、視界にウィルの姿が入れば、彼らは丁寧すぎるほどの敬礼をしていた。


 そういう関係だった。ここに入るまでは。


 ーー立場が変われば態度も変わる。何かの本で読んだが、こういう状況のことか。


 なるほどな、と、部屋の片隅に積まれた本に手を当てた。 


 出入り口には鉄の柵。それが外側から金属の錠でロックされている。食事は柵の間から、衛兵によって出された。この六日間、一度も外に出ることを許されていない。


 場所は罪人を収める監獄ではなく、軍の所有する施設の地下にある懲罰房。


 ギル一味が入れられたのとは別の場所だ。隣にもう一つ部屋があるようだが、人の気配はない。


 地下にいるのはウィルと、交代で見張りを務める衛兵のみだ。


 よってここでの生活は退屈そのものだった。


 話しかけても衛兵は返事をよこさない。全員がそうなのだから、そういう規律になっているか、あるいは命令が降りているのかもしれない。ウィルはそのように解釈した。


 暇つぶしにトレーニングも考えたが、足首に繋がれた鎖がそれを邪魔した。長さは牢獄の境界線まで。


 スクワットや腕立てくらいならできるが、少し複雑な動きをすると絡まったりして、不自由で仕方がない。


 剣さえあれば難なく外すことはできる。が、もちろん謹慎中に与えられるはずもなく、大人しく繋がれているしかなかった。


 なんでも斬れるウィルにとって、鎖が障害に思えたのは初めての経験だ。


 早く差し入れの時間にならないだろうか。ウィルは見張りの向こう側にある階段に目をやった。


 二日に一度だけ認められた、差し入れを受ける機会。品目は限られるが、彼の望んだ「図書室の本」は認められた。それが退屈を紛らわす一番の道具だった。


 ——本のチョイスは普段から俺が読んでいるようなやつだ。おそらく選んでいるのはキャロル。


 あいつなら直接ここに届けに来そうだが、いつも衛兵が届けに来るってことは、キャロルは俺とのコンタクトを禁じられているのだろう。おそらくはクロードに。


 衛兵がまるで話さないため、ウィルには外の状況が全くわからない。唯一、外から届けられる本の束から、現状を推測するほかなかった。


 そんなことを考えていると、階段の上部から足音が響いた。


 薄い灯りとともに近づく音。足運びが衛兵のそれとは違うな……そんな風に思い、暗闇に目を凝らすウィル。


 姿を見せたのは、彼の同僚。七ツ宝具のシュシュだった。


「! シュシュ殿! どうしてあなたがここに」


 見張りの衛兵が声を上げた。意外な人物がやってきたことへのリアクションとしては、やや過剰な驚き方。


 来るはずのない者がやってきた。あるいは……警戒すべき人間がやってきた。そんな反応だ。


「姫様から預かった本を届けにきたんだよ。担当の人も忙しいかなって思って」

「七ツ宝具のあなたより忙しい衛兵などいません。嘘はおやめください」

「嘘じゃなくて冗談だよ。ウィルに話があったからそのついで」


 抱えた本の束を見せて、シュシュが牢に近づこうとする。「お止まりください」一歩を踏み出した途端、衛兵の鋭い静止が地下に響いた。


「本は私が預かり、ウィル殿にお渡しします。シュシュ殿はその場を動かないでください」

「なによう。わたしが何かするっていうの?」


 シュシュの問いに、衛兵は返事を飲み込んだ。言えるはずがない。


 “七ツ宝具、籠のシュシュ=ブランケット。彼女が姿を見せた場合は、最大限の警戒をせよ”


 同じく七ツ宝具のクロードよりそんな命令がされていることを。


「規則ですので」


 無難に誤魔化し、衛兵は6冊の本を受け取った。そして少女のようなシュシュの指に視線を送った。


 ——彼女は自分の指紋がついたものを転送する魔術の使い手。やりようによっては、牢の中にいる者を外に出すことなど容易であると考えられる。


 手元には最大限の注意を払わねばならない。相手が七ツ宝具であることを考えれば、近付かせることさえ危険だ。衛兵の男はそのように考えた。


「わざわざすまないな、シュシュ。お前の罰はもう終わったのか」


 階段の入り口に立ったままのシュシュに、ウィルが声をかける。シュシュは「まーね」とため息まじりの返事をした。


「ウィルとは違うタイプの処分だったけどね。っていうか、懲罰房に入れられて六日目って聞いたよ。処分重すぎでしょ。

 何か余計なことでも言ったの?」


「どうなんだろうな。失言が多すぎて、どれが失言だったのかすらよくわからん」

「ふーん。ま、一言多いおとこはモテないわね。これを期に反省なさい」

「わかった」


 ウィルは硬い石畳みに正座した。なんだか反省慣れしているなあとシュシュは思った。


「それよりシュシュは何の用事があって来たんだ。忙しい合間を縫って来たからには、用があるんだろう」


 ウィルの質問に、本の中身を改めていた衛兵は顔を上げた。それは彼も最初から気になっていたことだ。


「ひめさまから伝言を預かってきたわ。


『懲罰房は雨漏りがひどいと聞きました。本を濡らさないように気をつけて。

 もうすぐ長雨も上がるそうです。天気が良くなった頃には外に出られると良いですね』


 って」


 メッセージを横で聞いていた衛兵は顔をしかめた。用件を含まない、ただの励ましのメッセージ。


 わざわざ七ツ宝具の一人をよこしてまで届けるものじゃない。


 何か隠された意味合いがあるのだろうか。『外に出られると良いですね』が少し気になった。


 脱獄を暗示しているようにもとれるが……深い意味はないようにも思える。


 届けられた本の中身も簡単にチェックしてみたが、メモが挟まっているとか、メッセージが書き込まれていると思われるようなものはなかった。


「ねえ、衛兵さん。わたしはここを動かないから、ウィルに差し入れを渡してあげてよ」


 衛兵は改めてシュシュへ視線を戻した。ウィルのいる柵まではとても手の届かない距離。その場を動こうとする様子もない。


 私の考えすぎか。衛兵は「承知しました」と、鉄柵の隙間からウィルに本を手渡した。


「ありがとう。キャロルにもそう伝えてくれ」

「ひめさまには自分で伝えなさいよ。わざわざ持ってきてあげたんだから、枕にしないでちゃんと読むのよ」


 ビシッと人差し指を立てると、シュシュは降りてきた階段を上がっていった。


 ウィルは一番上の本を手に取ると、ぱらぱらとページをめくり始めた。


 その様子を見届けると、衛兵は再び直立不動の姿勢に戻ったが、内心はホッとしていた。


 見た目が少女とはいえ相手は七ツ宝具。警戒するにも神経をすり減らす相手だ。


 何事もなくてよかった。そんなことを思いながら手元の時計に目を落とした。あと少しで交代の時間だ。


 帰ったら酒を飲んで寝よう。衛兵は欠伸を噛み殺した。





 ウィルが牢の脱出に成功したのはその30分後のことだった。

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