第13話 ひび割れた鏡

 巨大な密室の中で戦いは始まった。


 クロードの魔術“障壁”に囲まれたビルの屋上で、貧民街の男とマユメが対峙する。


 男は銃によって牽制しつつ、中距離からの攻撃を繰り返していた。クロードに扮したマユメは、その攻撃を新たに発生させた障壁で防ぐ。


 銃による攻撃はほぼ完全に防ぐことができた。しかし簡単には距離を詰められなかった。


 痛めた足に、新たな罠の可能性。諸々の悪条件がマユメの攻め手を邪魔していた。


 そんなマユメに対し、応戦する男は怪訝な表情を浮かべた。


 ――コイツ、本当にクロード=フィッツジェラルドですかい?


 自分に有利な条件なのは確か。けれどもし、相手が七ツ宝具のクロードなら自分はもう殺されている。それほどの相手だ。


 しかし目の前の男は明らかに攻めあぐねている。動きにも噂ほどのキレはない。


 もしかするとコイツ……。


 男は銃を捨てると、資材の山に仕込んでおいた鉄の棒を掴んだ。そしてマユメとの距離を一気に詰める。


 不意の一突きを、マユメは障壁によって防いだ。


 避ければ済むはずの攻撃を、わざわざ魔力を使って凌いだ。


 その瞬間、男の予想は確信へと変わった。


「お前さん、クロードじゃあないね」


 その指摘に、マユメの表情が驚愕に染まった。


「女が七ツ宝具のクロードと“入れ替わった”。最初はそう思ったが、違うようですな。

 “姿が変わっただけ”だ」

「何を根拠に」

「その足」


 男が指したのは、マユメが着地の際に痛めた右足だった。


「銃弾ならともかく棒切れまで魔術で防ぐ必要がありますかい?

 魔力の無駄遣いを嫌うはずの魔術師が、こんな初歩的なミスをするはずがない。


 棒切れを避けなかったのは、足を痛めて避けられなかったからだ。


 もし最初に出会った女と入れ替わったなら、クロードが同じ箇所を痛めている状況に説明がつかない。


 となれば可能性は一つ。“女はクロードの姿と魔術を借りているだけ”」


 違いますかな? 視線で問う男に、マユメは言葉を返すことができなかった。


「――お前さんがクロードでないのなら、慎重になる必要もありませんな」


 棒切れを捨てると、男は悠然とマユメに近寄った。


 姿はクロードでも、中身は華奢で足を痛めている女だ。赤子の手をひねるのと変わらない。


「くっ……!」


 腰の短刀を抜くと、マユメは男の心臓に向けて突き立てた。だが男は容易くマユメの手首を掴んで止めた。


 そして空いた左手でマユメの首を掴む。


「攻撃に集中したせいで、障壁を出すのが遅れましたな」


 ぎりぎりと音を立てながら、マユメの身体が宙に浮いた。身体から力が抜けてゆく。同時にマユメは元の姿に戻った。


「魔術も保てんようになりましたか。終いですな」

「――わ、たしはひめ……さまのお役に」

「役に?」


 歯を食いしばるマユメを見ながら、男はせせら笑った。


「誰かの役に立ちたいとは、さすがあちら側の人間。言うことが余裕ですな。


 そりゃあ自分らもカシラを中心に仲間意識をもっちゃあいますが、お互いの役に立ちたいとは違う。


 この境遇を終わらせたいって、強力な目的意識だけで繋がっている」


 太い血管が浮き出た男の手には無数の傷跡があった。いくつついたのかも、いつからついたのかもわからない傷が、くすんだ肌を埋め尽くしていた。


「心配せんでもいいですな。女も死体も買ってくれるもんはこの街じゃいくらでもいる。十分に役立たせてもらいますわな」


 男は邪悪な眼光に、苦悶に歪むマユメの顔を写した。


 ーー私が死ねば、次にこの人は姫様を狙う。


 まだ終われない。


 なけなしの力を振り絞ると、マユメは掴んでいた男の腕を離した。そして、そっと掌を自分の顔に添えた。


 瞬間、マユメの服装が変化する。

 映身の魔術が発動したのだ。


「? また姿を変えたのですかい? だがこの状況。今さら誰に変わったところで」


 マユメの顔を覆っていた手が離れた。瞬間、滑りかけた男の口が止まった。


 変わった姿は、またも見覚えのある人物だった。


 燃えるような紅の髪に、珍しいオレンジがかった色の肌。


 絶体絶命の窮地にあって尚も、静かに見据える眼光。


「映身……モード“錠”。護衛団長(サー)ロシェット」


 レイ=ロシェット。称号は“姫君の錠”

 その魔術は――。


 

 ――



 瞼を見開いたまま、男は硬直していた。


 表情だけではない。その全身が、身じろぎ以上の動きを封じられていた。


「な、んだこれは」


 異変に動揺したのか、マユメの首にかけられた握力が緩んだ。


 解放されたマユメは二、三度咳き込むと、大きく息を吸った。そしてレイの姿のまま男を見上げた。


 “姫君の錠”レイ=ロシェット。


 彼女の魔術は意思を持たないものに命令することができる。その力を借りて、マユメは敵が纏う皮の鎧に“固まれ”と命令したのだった。


 ――レイ団長にも会っておいてよかった。マユメは息を整えると、男の身体を押した。


 関節を肘当て・膝当てが完全に硬直しているせいだろう。避けるどころかその場に踏ん張ることもできず、男の身体は人形のように倒れた。


 マユメはナイフを抜くと、男の両足の腱を切った。


 これで、この人はここから動けない。ナイフを収めるとマユメは魔術を解いた。


「っ、はぁ……はっ……!」


 命令が解除され、動くことのできるようになった男は止血を開始した。しかしその手先は徐々に鈍くなってゆき、患部を縛り終えた頃には意識を失って倒れ込んだ。


「よかった……ちゃんと効いてくれた」


 刃には睡眠を誘発する薬が塗られていた。単純な戦闘では不利を被ることの多い彼女なりの工夫だった。


 マユメはほっと息をついた。


 命令がない限りはたとえ敵でも殺さない。


 その言いつけをなんとか守ることができた。そんな自分への安堵だった。


 ――けれどまだ任務は終わりじゃない。早く姫様のところへ戻らなくちゃ。


 足を引きずりながらマユメは下りの階段に向かって歩いた。想像した以上に身体が重くなっていることに気がついた。


 連続した“映身”の発動。そして七ツ宝具上位陣の魔術を再現した負担は、決して軽いものではなかった。


 魔術も、発動できたとしてあと一回。


 今の自分に何ができるか。何を残せるか。考えながらマユメは戦場を後にした。

 



 

 マユメがビルの屋上に落とされた、ちょうど同刻。シュシュもまた居並ぶビルの外壁に打ちつけられようとしていた。


 ぶつかったら怪我じゃ済まない!


「転送っ!」


 シュシュが唱えた瞬間、彼女の手から巨大なクッションが出現。衝突のダメージを吸収した。


 そして背の高いビルとビルの合間。日の当たらない裏路地に着地する。


「そんな事も出来るか……並の使い手ではないな。何者だ?」


 待ち受けていたのは、罠を仕掛けた三人組の一人。細身で背丈の異様に高い男だった。


「――聞いて驚きなさいよ? わたしは七ツ宝具、“籠”のシュシュ=ブランケットよ!」

「七ツ宝具? ということは、護られていた娘は姫君のキャロル=ソレイユか」

「な、何でわかったの!?」

「いや君が名乗ったからだろう」


 し、しまったぁ! ドヤ顔から一転、シュシュは頭を抱えた。


「こんな子供が七ツ宝具か。にわかに信じがたい話だが」

「子供ちゃうわ!」

「しかし真実なら、これ以上の獲物はない」


 シュシュの抗議を無視して男は武器を抜いた。


 くの字に曲げられ、内側に刃のついた金属。ブーメランだ。


「まずは君を狩る。つぎに少年を狩る。そして、姫君を貰い受ける」


 言いながら、男は刃に布を滑らせた。毒物の沁み込んだ布を。


「ひめさまをこっちに呼んでもよかったけど、やっぱやめた。危ないしね。

 あなたを倒してから、ひめさまとウィルのとこに戻るよ」


 そしてシュシュは手元にナイフを転送した。刃渡りの非常に小さな手投げのナイフ。遠距離攻撃を仕掛けてきそうな相手に対応した武器を選んだ。


 そして十本のナイフを一気に投げつける。


(……! 一度にすべて使うか! それでは直後に隙が生まれてしまうはずだが)


 何本かのナイフをブーメランで弾き、男はシュシュの手元を凝視した。


 本来なら攻めに転じたい場面。しかし男の慎重な性格がそれを許さなかった。


「――。つっこんでこなかったかぁ」


 距離を詰めてこなかった敵を見据え、シュシュはため息を吐いた。そして手に魔力を集める。


 瞬間、落ちていた十本のナイフがシュシュの手元へと戻った。ナイフには全てシュシュの指紋がついている。


 彼女の手投げナイフに弾切れはなく、回収の隙も存在しない。


「君は先ほどから身につけてすらいないものを手元に出していた。警戒は当然だろう」

「冷静だね。それにけっこう強いじゃない。兵隊になれる素質あるかもよ?」

「兵とは王宮の雇われ者になるという事か。

 俺たちにそのような道は存在しない!」


 男は声を荒らげると、二本のブーメランをシュシュに向かって投げた。


 弧を描き、変則的な動きをしながらシュシュの身へと刃が迫る。


 避け続けるのは難しい。しかし手投げのナイフでは防御できない。そう判断し、シュシュは手元から槍を出した。


 彼女は王宮の武器庫に収められた、ありとあらゆる武器に指紋を付着させてある。


 槍を回転させ、シュシュはブーメランを弾いた。予定の軌道は大きく逸れたはずだが、男はブーメランの一本を正確にキャッチした。シュシュが新たに武器を切り替え、攻撃を弾くところまで予測をしていたらしい。


 男の振り下ろした刃と、シュシュの槍が競り合う。

 甲高い金属音が空に響いた。


「俺たちは兵になんてなれない。何者にもなれない。“あちら側”に生まれたお前たちにはわからないだろう」


 口にした瞬間、男の目つきが険しさを増した。


「ここを出られるよう、カシラの下について何年も足掻いた。しかし暗闇を抜ける道はどこにもなかった。


 それはそうだろう。お前たちの側から扉は閉ざされていたのだから。


 俺たちにはこうして生きるしかなかった!」


「何を言ってるのかわからないよ。けどね。どんな事情であってもね。


 ちいさな女の子に銃を握らせたり。


 あんなに一生懸命、国をよくしようと頑張ってるひめさまを傷つけるなんて真似を……


 わたしが許すか!」


 気迫の声を上げ、シュシュは槍を突き出した。刃の切っ先が敵の肩口を貫く。

 槍をつたって、鮮血がシュシュの両手を濡らした。


「何故……心臓を狙わない」

「殺すつもりじゃないからね」

「情けでもかけたつもりか。その甘さが」


 命とりだ。


 呟いたその瞬間――男の表情が嗤っているのをシュシュは見た。


 その袖口に仕込まれた、小型のボウガンとともに。


 矢なら盾を転送して防げる。しかし槍を両手で握っている今、新たに盾を転送して攻撃を防ぐだけの時間はない。


 カシュン、と軽い音が鳴った。矢が放たれた。


 そしてその矢は……標的の身体をすり抜け、そのまま壁へと突き刺さった。


「転送の応用技――“瞬間移動”」


 男の懐から敵を見上げ、シュシュは拳を握った。


「わたしは指紋がついたものなら何でも手元に転送できる。それが自分自身であってもね。

 腕の長さしか移動はできないけれど……不意を突くには充分でしょ?」


 にやりと笑って、シュシュは拳で男のみぞおちを穿った。


 無念。


 男は言葉を血とともに吐くと、力なく地面に身体を崩した。


「さて、勝ったはいいけど」


 これからどうしよ。シュシュは頭を悩ませた。


 このままシュシュが王宮に戻って、全員を転送する。それが理想の作戦だ。しかし地理にうとい彼女が迷わずに王宮へ戻れる保証はない。


 うーん。……。


 よし、作戦は決定。ひとまず、ひめさまとはぐれた場所には戻らなきゃ。マユメさんも心配だけど……勝ったって信じるしかない。


「誰も死んでないでよね……!」


 彼女らしい言いぶりとは裏腹に、シュシュの表情は険しい色を帯びていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る