第12話 三つ巴
建物の密集しているエリアを抜け、キャロルたちは開けた道に出た。
両脇には煉瓦造りのビルが立ち並んでいる。朽ちた遊戯場、公衆浴場、病院。
戦前まではそれなりに栄えていた居住区も今は夢の跡でしかない。
「ここを抜ければ、そのまま城下町までたどり着ける」
地図も見ないまま、ウィルは道の向こうを指した。
「そっか! じゃあさっさと抜けちゃおっ」
「待て」
元気よく前進したシュシュの首根っこをウィルが掴む。「ぐえっ」と裏返った声を漏らし、シュシュが咳き込んだ。
「な、なにすんのよ!」
「目を凝らしてみろ」
ウィルに促され、4人が進もうとする先を注視する。最初に気付いたらしいキャロルが「あ」と、口を覆った。
「透けてるけれど、糸……のようなものが張ってある。これって」
「ああ。すでに何らかの仕掛けをうたれている」
言いながらウィルは路地の端に視線を送った。
割れた窓にかかるカーテン。穴の空いた木箱。無造作に置かれた瓦礫たちが、剥いた牙を隠しているように見える。
「どうしようね。迂回したほうがいいのかな」
意見を仰ぐシュシュに、ウィルは首を振って返した。
「敵はかなり手際よく俺たちを追いこんでいる。道を選んでも先回りされることに変わりはないだろう。危険は同じなら、脱出に時間をかけるべきじゃない」
その判断に全員が頷いた。
「罠をかいくぐりながらこの道を抜ける。抜けるが、周囲への警戒は絶対に怠るな。
俺が先頭を行く。キャロルたちはその後について……」
「――! ま、待って!」
とつぜん入った横槍にウィルは言葉を止めた。全員の視線が声の主へと向かう。
女の子と手をつなぐキャロルが身を乗り出していた。
「どうした、急に」
静かな問いかけに、キャロルは唇を結んで俯いた。
この道を抜ければ城下街に出られる。ということは、自分たちを狙う者にとってもこのタイミングが最後のチャンスになるのだろう。
襲われるとすればこの直後。
もし戦闘になれば、先を歩くウィルが敵を迎え撃つ可能性が高い。
そうなれば――。
『キャロルに危険が迫れば、俺は容赦なく敵を殺す』
表情もなく言い放ったウィルの言葉が、キャロルの脳裏に甦った。
取り返しのつかないことが起きるかもしれない。
「……」
口をつぐむキャロルを、ウィルは怪訝な顔で見ていた。そこへ。
「わ、私が先頭を歩きます」
身を乗り出す者がいた。ずっと黙ってやりとりを見守っていたマユメだった。
「前方の警戒は私が……ですからウィルさんは、姫様のお傍に」
「けどマユメは」
「お願い、します」
キャロルを横目で見ながら、いつになく真剣にマユメは食い下がった。
――姫様はウィルさんが先に行くことを望んでいない。
他人の顔色を窺う癖のあるマユメは、この場でただ一人、キャロルの内心を汲み取っていたのだった。
「マユメさんが先に行くなら、わたしもそうしよっかな」
そう言うと、シュシュはウィルとマユメの間に割って入った。
「マユメさんとわたしが先に行って、罠と奇襲を防ぐ。ウィルはひめさまの傍にいて、万が一のときに備える。それでいーんじゃない?」
提案を受け、ウィルは口許に手を当てた。
マユメ一人では敵の奇襲に対する不安が残る。シュシュもいるなら平気か……?
考えている暇はない。
「わかった。二人に任せる」
くれぐれも慎重に。そう付け足したウィルに、マユメとシュシュが頷いて返す。
そして罠の巡らされた路地に踏み入れる。
その瞬間の彼らは、誰一人としてわかっていなかった。
この街が孕む周到な悪意に。
「
砂塵の舞う音に混じって、ウィルの耳にそんな声が届いた。
その意味を咀嚼しようとした――そのときにはもう、彼らの足は地についていなかった。
突如として全身を支配した浮遊感
砂地から飛び出したネットが、瞬き程の間に5人の足を掬っていた。
「っ!?」
シュシュとマユメはトランポリンの要領で上空へと跳ね上げられた。その時点では何が起きたかもわからないままに。
……! 分断された!?
二人がそう判断できたのはすでに宙空に跳ね上げられた後。
そんな中。
唯一、ウィルだけが敵の罠に反応していた。足元のネットによって二人が跳ね上げられる瞬間を、背後から見ていたからだ。
罠の発動にわずかながら時間差があったことも幸いしていた。
自分とキャロル、女の子の三人の足元をすくう荒縄の網。
跳ね上げられるその刹那に、ウィルはその剣で細切れにしていた。
ウィル=ストレイガの“断絶“は、対象の硬さを無視して刃を通すことができる。
「無事か、キャロル」
「うん……でもマユメとシュシュが……!」
その場に留まることのできた安堵感など微塵もない様子で、キャロルはウィルに縋った。
「建物の向こうまで飛ばされて……もしあのまま地面に打ちつけられたら」
「二人も七ツ宝具だ。あれくらいで死なない。それよりも」
剣を握り直して顔を上げる。そして、2人の退場と同時に現れた人影に目をやった。
自分を見ながら満面の笑みを湛える男に。
「――ものすごい反応速度、それに剣捌き。いやぁ、驚いた驚いた」
ぱちぱちと手をたたきながら、男は足元に散らかったロープの残骸に目をやった。
「あの不十分な体勢で剣を振るえるとは思わなかったよ。縄もけっこう頑丈に編んだつもりなんだけどね。
もしかして、キミも魔術の使い手かな」
「答える義理はないな」
そう言って剣を構える。臨戦態勢のウィルを前にして、男は武器も出さないまま薄く笑った。
「やめておきなよ。何人潜んでるかも分からないこの状況。そっちの二人を置いて突っ込んでくるほど、間抜けじゃないだろう?
それに」
男はウィルの全身を眺めながら続けた。
「キミみたいな底の見えない相手と一対一の勝負をする気はない。援軍を待つべきなのはお互い様さ。
楽しみだね。キミとボク、どっちの仲間が先に戻るか」
そのとき、どこかから金属のぶつかり合うような甲高い音が響いて聞こえた。
シュシュとマユメの側では戦闘が始まったらしい。
「ウィル……」
キャロルが不安げにウィルの服の裾を掴んだ。
それもそのはずだ。奪われたアドバンテージ。得体の知れない敵。
二人が優位に戦いを始められたとは思えない。
そしてその不安は的中する。
「――ッ」
痛みに顔をゆがめながら、マユメは右の足首を押さえた。
三階建のビルの屋上。なんとか受け身をとることはできたものの、落下の衝撃を完全に殺すことはできなかった。
「ほぉう。怪我で済みましたかい」
そんな彼女を前に、待ち受けていた男は口笛を吹いた。
「大抵の獲物は壁なり地面なりに打ち付けられて終いなんですがね。
ま、それでもまともに動けんことには変わらんでしょう? さっさと済ませてしまいますかね」
男はがっしりとした体格に似合わない小型の銃を、マユメに向けた。
――この脚じゃ銃弾なんてとても避けられない。
あまり乱用できない力だけれど、出し惜しみなんかしていられない……!
「じゃあな」
パシュ、と軽い音とともに銃口から弾丸が飛び出した。弾道はマユメの心臓をほぼ正確に捉えていた。
しかし彼女が傷を負うことはなかった。
二人の間に現れた灰透明の“壁”が弾丸を弾き飛ばしていた。
「映身(うつしみ)――モード“盾”」
そんな呟きとともにマユメが立ち上がる。男は呆気にとられた顔で立ち尽くしていた。
いきなり発生した壁が弾を防いだことに対する驚きではない。
彼の驚きは、目の前の女がいきなり男の姿に変わったこと。しかもその男が。
「まさか……お前」
額に汗を滲ませながら男は呟いた。
何もない空間に障壁を作り出す力。闇のような漆黒の燕尾服。貧民街に住む人間ですら……いや、だからこそだろう。その噂は耳にしたことがあった。
国家戦力の最高峰“七ツ宝具”。その中で最高クラスの実力を持つ男。
「姫君の“盾”……クロード=フィッツジェラルド……!」
慄く男に、マユメは氷のような視線を向けた。
“鏡”の称号を持つ彼女の魔術、
24時間以内に顔を合わせた人間ならば、姿と魔術を再現することができる。
「始めから全力で行かせて貰う。姫君をお待たせするわけにはいかぬゆえ」
クロードの姿で、言葉で、マユメは覚悟を口にした。
本当は震えている心を押さえつけるかのように。
――魔術を発動したところで、中身は心の弱い私のまま。脚の傷も変わらない。
虎の威を借りることしかできない私がどれだけ通用するかはわからない。
それでも絶対、この人を姫様のところへは行かせない。それがきっと、私がここにいる“意味”だから。
マユメが大きく手を大きくかざしてみせると、ビル全体が灰色の壁に覆われた。
鋼鉄よりも硬い魔力の壁が、戦場からの退路を遮断した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます