第11話 狩人
微かな硝煙の匂いがウィルの鼻をついた。
目と鼻の先に見える凶行の現場。構えられた銃の筒口からは、まだ細い煙が昇って見える。
細い指を引き金に添えたまま、女の子は時が止まったように立ち尽くしていた。
そしてごくりと唾を飲みこむと
「うそ……なんで」
震える声で、そう呟いた。
「ふう。間に合った」
息を大きく吐きながら、疑問に応じたのはシュシュだった。
「だいじょぶですか? ひめさま」
問いかけた先は彼女のすぐ左脇。膝をついたキャロルが、顔をひきつらせたまま頷いていた。
シュシュの魔術“転送”は、使い手の指紋が付着しているものを手元に引き寄せる力を持つ。
「ふっふっふ。手をつないでお買い物をしたり、抱きついたりしてたのはこういう時のためだったのよ。やっぱり私ってば天才ね」
ホントかよ。胸を張るシュシュに、ウィルは微妙な眼差しを向けた。
まあ結果的にはシュシュのスキンシップが功を奏したわけだ。そんなことよりも。
「あいつはどうする?」
立ち尽くす女の子に視線をやりながら、ウィルは声のトーンを落とした。相手はただの子供。しかし刺客には違いない。
“処分”の条件は充分に満たしている。
護衛の問いに、キャロルはこほんと咳払いをした。
「さっきも言ったはずよ、ウィル。あの子を保護します」
「……。正気か?」
言葉にしたのはウィルだけだった。しかし表情を変えたのはシュシュとマユメも同じだ。
「ひとつの間違いでキャロルは死んでいた」
「承知の上です」
無茶を言っているのはわかっている。しかしキャロルは考えを曲げられずにいた。
「あの子の手は震えていました」
銃を向けられたその瞬間の光景が、瞼に焼き付いて消えなかった。
「その日の食べ物にも困っている女の子が、
キャロルの指摘に、マユメが「あ……」と声を漏らした。それに追随するように、シュシュが同じ答に至る。
女の子は自分の意志で凶行に及んだわけではない、という答に。
「あの子に引き金を引かせた者が必ずいます。その悪意からあの子を救わなければなりません」
言い切って、キャロルはスカートの砂埃を払った。そして再び女の子に歩み寄る。
その背中を七ツ宝具の三人は黙って見守った。注意さえ向けていれば、シュシュは女の子が引き金を引くよりも早く魔術を発動できる。
それに……今のあの子がもう一度キャロルを撃てる状態には見えない。
銃を落とし、女の子は震えながら目に涙を溜めていた。
駒として使われ、失敗を犯した者の末路を彼女は知っている。
「泣かないで。お姉さんと、一緒に行きましょう」
そう言ってほほ笑むと、キャロルは両腕を女の子の背中に回した。
ぎゅっと抱きしめられた小さな体を、キャロルの体温が包み込む。
何年も感じたことのないその温かさに。
女の子は、顔をくしゃくしゃにして泣きだした。
「大丈夫、大丈夫」
言いながら、キャロルは女の子の頭をそっと撫でた。
こんな子が貧民街にはきっと何人もいる。この子ひとりを助けたところで問題の本質が解消されるわけじゃない。
それでも見過ごすことはできなかった。
困っている子供ひとり救えないで、どうして国を変えられる?
「シュシュ、マユメ、ウィル。私ひとりでは、この子を無事に城まで連れてゆくことができません。どうか力を貸してください」
振り返ると、臣下の三人に向かってキャロルは深々と頭を下げた。
それは一国の姫君としてあるまじき行為で。
しかし一人の人間として、礼節を尽くした行為だった。
どうしてキャロルが人々に慕われるのか、ウィルにはわかった気がした。
「計画を練り直そう。……護るのが二人では勝手が違うだろう?」
ウィルの言葉に頷くシュシュとマユメ。
ありがとう。キャロルはまた小さく頭を下げ、顔を綻ばせた。
キャロルの予想は的中していた。女の子は無理やりに銃を握らされた、使い捨てのヒットマンだった。
黒幕は三人組の男。この一角を縄張りとする悪党なのだという。
キャロルたちを狙ったのは、単に身なりが整っていたから。庶民の格好も貧民街では隠れ蓑にさえなっていなかったらしい。
「ひめさまがひめさまだってバレてたわけじゃないんだ。それならまだマシね」
「いや、時間の問題だ」
「どういうこと……ですか」
マユメの疑問に、ウィルはシュシュを横目に見ながら応じた。
「女の子の襲撃が成立していたなら、それを皮切りに男たちが仕掛けてくる予定だった。そう聞いたよな。
となれば、敵はこちらの姿が見える位置から様子をうかがっていたはずだ。そのときにシュシュが魔術を使ったのも見られてる。
只者じゃないのは相手にも伝わっただろう。いずれシュシュの正体が七ツ宝具であることにも行き着く」
「ゆ、有名人もたいへんね」
「困るポイントはそこなの?」
って、いけないいけない。余計な時間をかけてる場合じゃないんだった。
自分の突っ込み体質を戒めて、キャロルはウィルの方に向き直った。
「七ツ宝具は王族の専属護衛。シュシュの正体に気付かれたら、私の正体も分かってしまうってことね」
そうなれば敵も本腰を入れてこちらを狙ってくる。キャロルの言葉に頷きながら「時間との勝負だ」ウィルはそう口火を切った。
「敵に時間を与えたら厄介なことになる。単純に武力だけで競ったなら、少なくとも俺とシュシュが負けることはそうないだろう。
けど貧民街の住人たちは正攻法で仕掛けてきたりしない。手段を択ばない奇襲こそ奴らの本分。奴らの怖さだ。
そういう戦いになれば、今の俺たちには分が悪すぎる」
話を聞きながらキャロルは息をのんだ。路上の子供がとつぜん自分に銃を向けてきたのだ。あながち大袈裟な見立てではない。
――あれ? でもウィルはどうしてこんなに貧民街のことを……?
キャロルの脳裏にかすかな疑問がよぎった。ウィルはほとんど教養を受けずに育ってきたはずなのに。
そんな彼女の視線をよそに、ウィルは淡々と言葉をつないでいた。
「来た道と、城下町まで最短の道は避けよう。待ち伏せされている可能性が高い。
それでいいか? キャロル」
「――」
「キャロル?」
「! う、うん。わかったわ、ウィル」
返事をしながら、キャロルはようやく我に還った。
妙に貧民街のことを知るウィルへの疑問は残ったままだ。けれど、それを知るべきは今じゃない。
まずはこの子を連れて無事に城へと戻る。
キャロルは女の子の手を強く握ると、ウィルの後について歩き出した。
――そんな様子を。
建物の屋上から三つの人影が覗いていた。
「たまたま迷い込んだ一般人とは違うらしい」
一人の呟きに残りの二人が頷いた。
「人間を一瞬にして自分の傍に引き寄せた。そうお目にかかれるレベルの魔術じゃあない。何者かねぇ」
「奴らの会話を拾いに行きますか?」
「やめておきなよ。少なくともあのチビはかなりの手練れだね。音の届く距離まで近づけば感づかれる恐れがある。
そんなことよりも支度が先。彼らを狩るための」
五人に視線を釘づけながら男は白い歯を見せた。
情報など、捕えてから身体に聞けばいい。
「先回りして罠を張るよ。警戒しながら動いてる彼らよりボクたちの方が速い」
「――了解」
悪意に満ちた笑みを残して三人が動き出す。
狩りの時間が始まる。
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