第10話 楽園の果て 見捨てられた街
昼食を済ませた頃には、都心部のほとんどを見て回ることができた。
どこもかしこも賑わっていて、明るい。人も街も。キャロルのあとについて歩くウィルは素直にそう思った。
大多数の人が日常を謳歌している。満たされている。
それが、戦争の時を終えたこの国の“今”なのだとわかった。
「これであらかた見て回りましたね。予定よりも少し早いですけど、お城に戻られます?」
地図に印をつけながらシュシュが訊いた。予定されていたコースの視察はもう終わっている。
「もう少しだけ、見て回りたいところがあるの」
「どうした、改まって」
町の人々にふりまいていた笑顔とはうってかわって、キャロルは真剣な面持ちだった。
「この先に行きたい」
細い路地をキャロルが指す。
大通りのつきあたり。その脇に覗く、一本の暗くて細い路地――そこは。
貧民街へとつながる路地だった。
「しかし、姫様。その先は……」
マユメは言葉尻を濁した。この時ばかりは、マユメでなくても進言を憚る気持ちがウィルとシュシュにもわかった気がした。
“発展と犠牲の象徴”――影ではそう呼ばれている場所。
この国のタブーとして扱われている場所だ。
はじまりは二年前。戦争の終わりと共に始まった。
憔悴しきった国を立て直すには、一刻も早い経済的な復興が不可欠だった。一人でも多くの人を救うため、人口の集中する都市の復興に富の大半が当てられた。
すべての人を救うだけの余裕はなかった。
だから王は、救われた人々は、その場所から目を背けた。そして国はわずかな期間で、戦前の成長水準を取り戻すことに成功する。
多数の国民が幸せな暮らしを享受できる国が完成する。
一部の人々の犠牲のもとに。
「人々がどんなことに幸せを感じ、どんなことに不安を抱いているのか。それを知るために私は視察を申し出ました」
三人の護衛をキッと見据えて、キャロルは口を開いた。
「明るい景色ばかりが見たいのなら、城のバルコニーで充分です」
「――畏れながら、もうしあげます」
そんな前置きをして、シュシュが膝をついた。彼女のそんな所作をウィルは初めて目にした。
「この先は危険な場所です。それでも行かれますか」
シュシュは多くを語らなかった。語る必要もなかったからだ。
貧民街は王政に見捨てられた場所。姫君のキャロルが立ち入ったと知れれば、何が起きても不思議ではない。
しかしキャロルは間も置かず頷いた。
「承知の上です。そのために、あなたたち七ツ宝具を連れてきたのだから」
シュシュはちらりとキャロルの眼を見た。そして「お供します」と頭を下げた。
「マユメ。あなたは?」
「え、あ……」
マユメが視線をさまよわせる。
もちろん彼女も心のうちは反対だ。しかし七ツ宝具として、主の命令は絶対。
「わかりました……全力でお守りいたします」
「ありがとう」
それと、ごめんなさい。最後は消え入りそうな声で、キャロルは呟いた。
そして最後。三人の視線がウィルへと集まる。ウィルは小さくうなって、頭を掻いた。
「キャロルが行きたいって言うなら、俺は反対する気はない。けどひとつだけ頭に置いておいてくれ」
ウィルは三人それぞれに視線を返すと、口を開いた。
「もしキャロルに危険が迫れば、俺は容赦なく敵を斬り殺す」
キャロルの表情が固まった。
殺す? この国に住む人を?
「だいじょーぶ。そんなことにはならないよ」
そう言ってキャロルの前に出たのはシュシュだった。
「わたしとマユメさんがいるんだもん。ひめさまには誰にも、指一本も触れさせないよ」
そう言ってにっこり。その顔を見て、キャロルは大きく深呼吸をした。
沸騰しかけた血を冷ますように。
「ウィル……あなたの心構えは間違っていません。護衛として。けれど無用な戦闘は争いの火種を大きくするだけです。
その時には、私が私の責任において命令をします。
わかりましたか。ウィル」
「……」
「わかったのなら返事をなさい」
――これ以上は何を言っても水掛け論になる。ウィルは黙って頭を下げた。
「いまのは、ちょっとウィルが悪いと思うよ」
キャロルが前を歩くのを見計らって、シュシュがウィルへ耳打ちをした。
「ひめさまは貧民街の人々を救いたいって思ってる。話を聞いててわからなかった?」
「わからなかったはずがない」
? じゃあなんであんな言い方を? シュシュが怪訝な顔でウィルの横顔を見つめる。
ウィルは路地の先を見据えて言った。
「殺す覚悟がなければ、こっちが死ぬ。この先はそういう場所だ」
「――考えすぎだよ。いくら治安がよくないっていっても、わたしら七ツ宝具だよ?
そんじょそこらの悪者にやられたりしないよ。自信もってこ!」
そう言って、ばしんと背中を叩くシュシュ。彼女なりに後輩へ激を飛ばしているらしかった。しかし。
ウィルは表情を変えず、何も言葉を返さなかった。緊張を緩めたくなかった。
自分の他に、この先の世界を知る者はいない。
ガラス窓の割れた家々を両脇に眺めながら、四人は路地を歩いた。
水をうったような静けさに包まれた町並み。頭上に吊るされたボロ布が、ときおり吹く風にはためいている。
そこに住む者の生活感はあった。しかし、人々の息遣いがどこからも聞こえてこない。
まるで幽霊の住む街のよう――。キィキィと音を立てている扉を見ながら、キャロルは息をのんだ。
「資料の情報でしかありませんけれど……」
キャロルの脇を歩くマユメが、レポート用紙の束に目を落としながら口を開いた。
「貧民街には約4千人の人々が暮らしていて、ここ“西の一角(サウスエリア)”には1300人もの人が生活をしている、とのことです」
「1300人? そんなにいるの?」
見渡す限りの廃墟、廃屋。こんな場所のどこにそれだけの人々が? シュシュの表情はそんな疑問を雄弁に語っていた。
「地上は麻薬や武器、人身を売買する権力者に牛耳られているため、人々の多くは地下水道を寝城にしています。
一般の人がこの路地を歩くことはまずありません。金品か身体、あるいはその両方を侵される可能性がきわめて高いためです……」
震える口調で資料を読み上げるマユメ。耳を覆いたくなる情報を耳にしながらも、キャロルは顔を上げて周囲を見渡していた。
「では、その状況を改善する手がかりを見つけなければなりません。ここに暮らす人と話ができればよいのですが」
そんな話をしていると、先頭を歩くシュシュが「あ」と声をあげた。
四人の視線がひとつの方向に集まる。
シュシュより更に小さな背丈の女の子が、道の真ん中に立って4人を見ていた。
荒れた路上に裸足で、ぼろ切れのような服一枚だけを羽織る少女。事情や素性など問うまでもなかった。
彼女は貧民街の住人だ。
「いかがいたしましょう……姫様」
「何も迷うことはありません。今すぐ保護をしなくては」
言い終わるや否や足を踏み出すキャロル。その背中に。
「迂闊に俺たちの傍を離れるな」
言葉をかけたのはウィルだった。「――どうして?」振り返ったキャロルは睨みつけるような視線をウィルに向けた。
「ここが危険な場所だから?」
「そうだ」
「危険なら、なおさらあの子を放っておくわけにはいかないじゃない。
邪魔をしないで」
「――おい」
身を乗り出そうとするウィル。しかしその行く先を、シュシュが阻んだ。
「あれもダメ、これもダメじゃ可哀そうだよ。今日くらい、少しはしたいようにさせてあげられないかな」
キャロルが衆人の目に晒されているとき、彼女に保障されている自由はほとんどない。シュシュの言葉はそれを慮ってのものだった。
「女の子を放っておいたら危ないのだって事実でしょ。だったら」
「それが間違ってる。危ないのは――」
言いかけて、ウィルはキャロルに視線を戻した。女の子の前にかがみこんで、視線を合わせている。
「あなた、一人でここに住んでいるの? お父様やお母様は?」
優しく問いかけるキャロル。
「――。あのね、おねえちゃん」
そんなキャロルに、女の子はたどたどしく口を開いた。そして。
「おかねちょうだい」
その手に握っているモノをキャロルの目の前に見せた。
引き金にかけられた小さな指。額にまっすぐ向けられた銃口。
え?
キャロルが声を漏らしたが、しかしその瞬間にはもう。
鼓膜を裂くような銃声が廃墟の空に響いていた。
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