第9話 姫君の鏡
外出の支度を整え、ウィルは庭先にいた。
今日は城下町の視察。社会勉強に出るキャロルの護衛が任務だ。
やることはひとつ。何があっても姫の安全を守ること。それだけだ。基本的に手段は問われない。
誰を殺してもいいし、誰に殺されてもいい。王族に迫る危険を払うためなら。七ツ宝具にはそういう権限が与えられている。
もちろんそんな権限を積極的に使いたくはない。物見遊山に終わるのならそれが一番だ。
なるべく荒事に巻き込まれないようにしないとな。俺の世間知らずっぷりは、余計なトラブルを招きそうだから気をつけなきゃいけない。
キャロルが来るまで少し勉強しておくか。この国の人々の文化観や宗教観は……と。ウィルはホルスターに収めていた手帳を開き、視線を落とした、
「あの……」
控えめな声掛けに、ウィルは首を向けた。茶色のローブに身を包んだ女が隣にいた。身体をもじもじさせてお辞儀をしている。
休暇をとったメイドだろうか。
「何か用か」
「いえ、その」
はっきりしないな。
「悪いけど勉強中だ。用事がないなら」
「は、はい! お邪魔してすみませんでした!」
謝罪の言葉はやたらはっきりしていた。
距離を置いて、女は辺りを見渡しはじめた。待ち合わせでもしているのかと最初は思った。けれどそれにしては挙動が不審だ。
見た感じ、歳はミュゼより少し上くらい。格好は一般的な庶民の服装だ。一言で言えば地味な雰囲気。
顔は整っているのに目を惹かない、というか存在感が薄かった。まるで背景の一部のようだ。
そんなことを思っていると、薄手の外套に身を包んだキャロルがウィルのもとに駆け寄ってきた。
「ごめんなさい。支度に手間取っちゃって」
「俺も来たところだ。それよりその格好」
「あ、これ?」
くるん、と身を翻すキャロル。長いスカートがやわらかく舞った。
「キャロルさんの町娘バージョンですよ。お忍びの視察だもんね。目立っちゃダメなの。
どうかな。似合ってる?」
城にいる時のドレスとも、学習院に通う時の制服とも別の格好。普通に街で見かける娘の服装に、キャロルは身を包んでいた。
ウィルの視線が上から下へと降りてゆく。そして観察が終わると
「それで変装したつもりか」
容赦ないダメだしが放たれた。
「髪から爪先まで完璧な手入れ。無駄に整った歩き方。服の着こなしも出来すぎだ。
育ちの良さがぜんぜん抜けてない。庶民なめんな」
「う」
なにもそこまで言わなくてもっ! キャロルは文句のひとつでも言おうと思った。
しかしウィルの言葉、内容そのものは褒めてくれているので言葉に詰まった。
「じゃあどんな風にしてこればよかったの?」
「そうだな……」
ウィルは呟くと、やがて思い出したように視線を脇に向けた。
「あそこに私服姿のメイドがいるだろう」
「え? メイドの人なんている?」
「こっち見ながら突っ立ってるあの女だ」
言いながら、ウィルは先ほど話しかけてきた女を指した。
「見ろ、あのオーラのなさ。地味ってのはああいう雰囲気のことを言うんだ。
酒場で皿を洗っていてもまるで違和感がないだろう。なにもあそこまでやれとは言わないが、少しは見習うといいんじゃないか」
「――。もしかしてマユメのこと?」
「マユメ?」
名前はウィルも耳に覚えがあった。
マユメ=クロニカ。“鏡”の称号を持つ七ツ宝具の一人だ。
しかし七ツ宝具のマユメとあの一般人になんの関係が? まだ疑問符を浮かべているウィルに、キャロルはそっと説明した。
「一般人じゃなくて、あの人が七ツ宝具のマユメだよ。――マユメ。こちらへ」
キャロルが呼ぶと、女はウィルの顔をうかがいながら二人の傍へやってきた。
「は、はじめまして。“鏡”の、マユメ=クロニカです……」
なぜか申し訳なさそうに、マユメはお辞儀をした。
七ツ宝具の一人。国家戦力の最高峰。この女が。本当に?
「とても護衛の人間には見えないな」
初対面とはとても思えない発言をしながら、ウィルはキャロルに視線を戻した。
「! 失礼よ、ウィル!」
「い、いいんです。姫様」
叱るキャロルに、マユメは伏し目がちに言葉を発した。
「おっしゃられたとおりです。私なんて地味ですし、オーラないですし、存在感ないですし、存在価値ないですし」
――。そこまで言ってない。
口を挟もうにも止まらないマユメの自虐。「そ、そんなことないよ」慌て顔のキャロルがフォローを入れる。が。
「姫様はとってもお優しいです……それに比べて私は」
ネガティブなオーラは濃さを増すばかり。聞いているだけでテンションが落ちそうだった。
「(ほ、ほら。ウィルもなにか言って)」
「(お、おぅ)」
さすがに申し訳ないと思い始めていたウィルは、キャロルの耳打ちに頷いた。
「視察のためにあえて目立たない格好にしていたのか。完璧な変装だ」
「……。これ、私の普段着です」
あ。ばつが悪そうに口を開けるウィルを見ながら、キャロルは額に手を当てた。
「す、すみません。お気を遣わせてしまって。ああ、私ごときが人様に気を遣わせてしまうなんて……」
「だ、大丈夫よマユメ。気持ちを強く持って!」
――これはもう黙っておいたほうがいいかもしれない。
口は災いのなんとやら。ウィルは口をつぐんでキャロルの説得を見守った。
二人のやりとりはそれから五分ほど続いた。
城下町のメインストリート。その入り口でシュシュと合流し、視察のメンバー4人が揃った。
200mほどの直線道路を挟んで並ぶ商業施設。人々の声が飛び交い、活気にあふれていた。
キャロルは街の人々に挨拶をしながら、笑顔を振りまいていた。変装が功を奏しているのか、お姫様であることを見抜かれている様子はない。
「バレないもんだな」
意外そうにつぶやくウィル。「でしょ?」キャロルは指を立てて、なぜか得意げだ。
「お姫様が護衛を三人しか連れずに視察に出るなんて、よっぽどありえないもの」
「なるほど。あり得ないからこそ、気づけないわけか」
しかも連れているのがマユメとシュシュとウィルの三人。七ツ宝具でも護衛っぽさの薄い上位のメンバーだ。
彼らを見てガードマンだと判断できる一般人はそういないだろう。
そもそも多くの人は、キャロルの顔を肖像画でしか見たことがない。堂々としていればバレる心配もなさそうだった。
「あ、このお店の服かわいー!」
シュシュの黄色い声がウィルの耳に届いた。見るとマネキンの着ている服に、シュシュが食らいつくように見ている。
「ねー、お姉さま! このお店見ていきましょ!」
「もう、そんなに引っ張らないの」
――お姉さま? ああ、なるほど。そういう設定か。少し考えてウィルは納得した。公共の場でひめさまと呼ぶわけにはいかない。
だったら俺も呼び方を考えなくちゃいけないな。名前で呼べばさすがにばれてしまう。
しかしなんて呼べばいいんだろうか。
「マユメ」
「は、はいっ! なんでしょう」
マユメが上ずった声で返事をした。
「マユメはキャロルのこと、なんて呼んでるんだ」
「極力……話しかけないようにしています。私のような者が姫様のお時間をお取りしてはなりませんし」
「参考にならないな」
「すっ、しゅみません!」
あ、噛んだ。
というか何をそんなに緊張することがあるのだろう。
「普通に接すればいいだろう。俺はマユメと同じ七ツ宝具だ。無駄に気を遣うこともない」
「い、いえそんな……同じなんかじゃありません」
ぶんぶんと首を振るマユメ。
「ウィルさんやシュシュさんは名家のお生まれ。それに難しい試験を通過して七ツ宝具になられています。
私は平民の生まれですし、試験も通過せず七ツ宝具に選んでいただいた身。皆様と同じだなんてとても」
「だが七ツ宝具に選ばれたからには、それなりの理由があるんだろう」
ウィルは間髪を入れずに言葉を返した。
「何もできない奴が王族の護衛に選ばれるはずがない」
苛烈を極める七ツ宝具の選抜試験。その試験をパスできた。ということは、それに相当する価値がマユメにはあるのだということ。ウィルはそのように推測した。
マユメは少し俯くと「そう、ですね」と呟くようにこぼした。
「何もできない私ですが、ひとつだけクロード様から命じられていることがあるのでした。それを果たすときが来るまでは、私にも姫様の傍にいる意味があるのかもしれません」
「命じられていること?」
「私の魔術は“映身(うつしみ)”です」
訊かれることはわかっていたのか、マユメはよどみなく言葉をつないだ。
「顔を合わせた人の姿と魔術をコピーすることができます」
「それはどういう」
――開いたウィルの口が、そこで止まった。
さっきまでマユメの立っていた位置に、自分の姿があったのだ。
「これが映身です」
ウィルの目の前のウィルが顔に手を当てると、次の瞬間にはマユメの姿に変わっていた。いや、戻っていた。
“姫君の鏡”マユメ=クロニカ。
彼女は24時間以内に顔を合わせた人間の外見と魔術を、一時的に再現することができる。
「顔を合わせさえすれば、どんな人の姿も真似ることができます。シュシュさんも、もちろん姫様のお姿だって」
「……。マユメの命じられていることって」
「お察しの通りです。私の仕事は、姫様に危険が及んだ時、自分が身代わりとなって死ぬこと」
遠くを見るような目で、マユメは口にした。
「その魔術を買って、クロードさまは私を七ツ宝具に取り立ててくださいました。あくまでもお役に立てるのは私の魔術だけ。私自身に価値があるわけではないのです。
――あ、このことは……姫様にはどうかご内密に」
そう言ってマユメは小さく頭を下げた。
その仕草に寂しさや悲しさはまるでなく。抱えているものを全て割り切っているようにさえ、ウィルには見えた。
「その役割をマユメが受け入れているのなら、本当は俺がどうこう言うことじゃないが」
店の前でシュシュと談笑するキャロルを見ながら、ウィルは口を開いた。
「価値のない人間などいない」
それだけ言って、ウィルはキャロルたちのいる店の方へ行ってしまった。
「そう、なのでしょうか」
誰にともなく呟くが、答えを出すことはできなかった。
――永遠に答えは見つからないのかもしれない。マユメにはそう思えた。
心に迷いがある限りは。
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