第7話 始まりの夜

 深夜の城内。ウィルは燭台を片手に、月明かりの射す廊下を歩いていた。


 今日の彼の任務は終わっている。個室で休養をとることを認められていたが、まるで眠気がなかった。新しい仕事についた初日といえば、普通は気疲れしそうなものだが、ウィルにそういう神経はなかったらしい。散歩がてらに城内の見回りに出た。


 ぼんやりと窓から外を見上げると、月が高い位置に見えた。まだ夜は長そうだ。


 まあ外にも番人はいるわけだし、よっぽど異常なんて起きないんだろうけど。


 そんなことを考えながら歩いていたウィルだが、途中、ふと足を止めた。扉の隙間から光が漏れているのを見つけた。


 蝋燭の消し忘れか? ウィルは扉の上部につけられたプレートを見上げた。


 ライブラリと書かれたプレート。城の図書室だ。


 火事になったらまずいな。そんな風に思って扉を開くと、正面の椅子に座る人影と鉢合わせになった。


 蝋燭の灯りを頼りに、ノートにペンを走らせるキャロルの姿があった。


「何やってるんだ、こんな時間まで」


 後ろ手に扉を閉めて、声をかける。キャロルははっとしたように顔をあげると「びっくりしたぁ」そう言って胸に手を当てた。


「クロードに見つかっちゃったかと……。こんばんは、ウィル」

「ああ。――もうだいぶ夜も遅いぞ。子供は寝る時間だろ」

「子供って、ウィルも同い年じゃない」

「いや俺は護衛だし」

「そ、そっか。そうだったね」


 ウィルのあまりにくだけた接し方に、キャロルもつい友達みたいに接してしまった。お姫様と護衛。そんな関係をときどき忘れてしまうことがある。


 ぼんやり見つめるキャロルをしり目に、ウィルは机に積まれた本をぱらぱらとめくった。


「難しい本ばっかだな。学習院の勉強か?」

「それもあるけれど、ほとんどは趣味みたいなものだよ」


 趣味? これが? ウィルは改めて本の背表紙を眺めた。


「『経済格差の是正事例』に『社会環境と福祉実践論』……すげえ趣味してるな」

「よかったら貸すよ?」

「絶対読まんからいい」


 というか読めない。見てるだけで頭が痛くなりそうだ。ウィルは心なしか自分から遠い位置に本を返した。


 しかし趣味にしても、こうも深夜に読むことはないだろう。なにか人目を避けたい事情でもあるのだろうか。


 そういえば、クロードに見つかったらどうとか呟いてたな。


「変だなって思ってる? やっぱり」


 キャロルが覗き込むようにウィルを見つめた。


「こんな時間だし、読んでる本もこんなだし」

「まあな。けど人の趣味にどうこう言う気はないし、それを誰かに喋る気もない」


 机の上に高く積まれた本と、文字でびっしり埋まったノートを一瞥してウィルは口を開いた。


「“それ”がキャロルのやりたいことなんだろう。だったら護衛の俺は、おひめさまの望みが叶うように力を尽くすだけだ」


 あんまり根つめすぎるなよ。そう結んで、ウィルが踵を返そうとする。


「待って」


 そんな彼を呼び止めたのはキャロルの声だった。


「見回りって、まだかかりそう?」


 ウィルは首を横に振った。持ち場が与えられていない今、見回りというよりもただの散歩だ。


「もしよかったら、ウィルと少しお話したい」


 ペンを走らせていた手を止めて、キャロルはウィルをじっと見上げていた。


 これも護衛の務め、なのか? 黙って椅子に腰を下ろす。キャロルは柔らかく顔を綻ばせた。


「よかった。――門はシュシュが守っていたはずよね」

「ああ。『学習院でぐっすり寝たから、夜の警備はばっちり! 頭いいでしょ!』って自慢してたな」

「……。あの子はいちど叱った方がいいのかしら」


 悩ましげな表情のキャロル。けれどそれなら、ウィルが多少抜けても大丈夫よね。そう完結して、キャロルはウィルと向き合った。


「私ね、王女様になるんだよ」


 静かな語り口で、キャロルは言葉を発した。


「もちろんすぐに、っていうわけじゃない。でも二十歳までには、王位を継ぐことが決まっているの」


 現在の国王には他に子供がいない。キャロルが王位を継ぐのは自然な話だ。


 しかし国王はいまだ健在だし、齢もさほど召してはいない。ウィルにはいささか気の早い話に思えた。


「もしかして病気でもしているのか? 元気そうに見えるが」


 ウィルの問いに、キャロルは静かに首を振った。


「そういうわけじゃないの。ただお父様は、生きているうちに私が国を治める姿が見たいんだって」

「期待されてるのか、あるいは」


 いつもの親バカなのか。ウィルは言葉を飲み込んだが「それもあるかもね」キャロルは小さくため息を吐きながら笑った。


「もちろん色んな考えがあるんだろうけれど……一番は、戦争が終わったことだと思う。


 続いていた諸国との戦争も、二年前にやっとひとつの区切りがついた。本当ならそこでお父様は引退を考えていたみたいなの。


『争いの時代の終わりまでが私の役目。キャロルには平和の時代を託したい』


 お父様は当時の七ツ宝具にそうおっしゃったそうだわ」


 当時の七ツ宝具。そう言われてもウィルにはあまりぴんとこなかった。


 現職の七ツ宝具で、五年前から在籍しているのは“錠”“盾”“冠”の三名だけ。終戦を境に世代交代が進んだためだ。


 城内の噂では、王もそれをきっかけに王位の継承を望んだのだという。しかしキャロルがまだ幼かったこともあり、周りの人間が反対。退位を見送ったとのことだった。


「いつか私が国を治めることになったとき」


 少し遠い目で、キャロルは言葉をつないだ。


「お父様が言うように、この国を平和な国にしたいと思った。私の手で、みんなが幸せに暮らせる国にするんだ! って決めてた。


 小さいころの私は、それが簡単にできると思ってた。


 だってお姫様なんだもの。お姫様にできないことなんて、ないと信じていたの。


 けれど大きくなるにつれて、願いごとの実現がどんなに難しいことで――自分に、どれだけ力が足りないかがわかるようになった」


 キャロルは少し俯いて、閉じられたノートにそっと手を置いた。


「私は生まれたときから不自由のない暮らしを保障されていた。でも全ての人が私と同じじゃなかった。


 私はなんにも知らないで、大きなことを口にするだけの子供だった。『そうなるといいですね』って言ってくれる大人たちの、生温かい視線の理由がわかった気がした。


 純粋で無鉄砲なだけの願いごと。


 現実を知っている大人たちにとって、私の夢はそういうものだったの」


「今はどうなんだ」


 黙って耳を傾けていたウィルが、久しぶりに口を開いた。


「純粋で無鉄砲だった頃のキャロルは、もういないのか」


 ウィルはキャロルの眼をじっと見据えた。瞳の奥を覗き込むように。


 キャロルは少し視線を泳がせて、頬を掻いた。


「昔みたいに、勢いだけで何もかもやっちゃおうとは思わなくなったかな。自分で言うのもなんだけど、小さいころはすごくお転婆だった。七ツ宝具の眼を盗んで、一人で遊びに行っちゃったこともあったなぁ」


 あれ? もしかして私、まずいこと言った?


 言ってから、キャロルはウィルの顔をうかがった。ウィルは特に驚いた様子もなく平然と聞いていた。


 ――もういいや。ここまで喋っちゃったんだもの。最後まで言ってしまえ。


 割と投げやりなスタンスで、キャロルは話を続けた。


「そんな私を見かねたクロードや他の従者から躾をされて、ちょっとずつ今の私になっていったの。お姫様らしい振る舞いも覚えたし、お姫様らしい言葉づかいもできるようになった。

 周りが望むお姫様の姿を演じられるようになった。

 でもね」


 少し間を置いてから、キャロルは逸らしていた視線をウィルに戻した。


「根っこのところは成長してないかな。猫をかぶってるけど、本当はお転婆な性格も、やりたいことだって昔のまま。なんにも変わってないよ」


 そう言ってキャロルは白い歯を覗かせた。お姫様の微笑みじゃなく、それは彼女の本来の笑顔だった。


「そうか」


 短く答えて、ウィルは再び机に積まれた書物を眺めた。


「それだけ勉強してるんだ。きっとその成果は生きるだろう。積み重ねた訓練は無駄にならない。そういうことは俺にもわかる」

「ありがとう、ウィル。……なんだか不思議な気分」


 リラックスした表情で、キャロルは呟いた。


「ウィルには話したくなっちゃった。会って間もないのに。

 なんだかウィルのこと、昔から知っていたみたい」


 変だね。そう結んでキャロルは子供みたいに笑った。


「――」

「? ウィル?」

「いや、なんでもない」


 取り繕うような返事をして、ウィルは席を立った。


「そろそろ戻るよ。誰かに見られても面倒だしな」

「? なんで?」

「こんな深夜にお姫様と男が同じ部屋にいたらダメだろ。仕事の時間でもないのに。変に勘ぐられるぞ」

「勘ぐられる……」


 繰り返して、キャロルはほんのり頬を染めた。勘ぐられる前に自分が想像したようだ。


「そ、そうだね。ごめんね」


 慌てた声のキャロル。そんな声を背中に受けながら、ウィルは扉を開いた。


 そして振り返り「おやすみ」と挨拶。キャロルもまた「おやすみ」そう返して


「いろいろお世話になると思うけれど、これからよろしくお願いします」


 小さくお辞儀をした。


「頼まれることじゃない」


 ウィルはぶっきらぼうな言い方で、けれど穏やかに笑った。


「そのために、俺は七ツ宝具になった」





 ぱたん。と音を立てて扉が閉まる。


 月明かりに照らされた廊下。窓の外に広がる星空を仰いで、ウィルはキャロルの言葉を呟いた。


 ――やりたいことは昔のまま。なんにも変わってない、か。


 頬を緩ませて、ウィルは窓の外へと視線をやった。


 いつかと同じ満天の星空が、そこには広がっていた。

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