第6話 姫君の盾

 学習院での1日を終え、ウィルはキャロルとともに城へ戻った。


 この日の勤務は17時まで。護衛を他の七ツ宝具に引き継ぎ、一日の報告を済ませて終わりとなる。


 王族には最低でも七ツ宝具の一人が常に護衛につく。とはいえ、城の中であれば割とその限りでもなかった。キャロルは城内の案内も兼ねて、ウィルの業務報告に同行することになった。


「城内にはいろんな施設があるわ。基本的に王族やお客様が使用する場所だけれど、七ツ宝具のあなたたちはほとんど自由に使ってくれて大丈夫。

 どこか気になる場所はある? 案内するよ」


「俺は報告を先に済ませなくていいのか?」

「異常があった場合の報告は急務ね。レイ団長、あるいはクロードに。

 でも今日は何もなかったし、二人のうちどちらかに会えれば挨拶をする……くらいでいいと思うわ」


 確かに、必ずしも団長が近場にいるとは限らない。代理にはクロードが任命されているようだ。副団長的な立場なのだろうか。


 思い返せば、キャロルに謁見した時も傍についていたのはクロードであったのをウィルは思い出した。


「そういうことなら頼む。何箇所か見て回りたいところがある」

「いいわよ。どこ?」

「鍛錬場と書庫」


 鍛錬場はともかくとして書庫を見て回りたいというのは、キャロルにとっていささか意外だった。


「本は好きなの?」

「いや別に。どちらかといえば好きじゃない。

 けど本を読まないと眠れないからな」

「それは好きなんじゃないの?」

「そういう意味じゃなくて。なんていうか」


 ウィルは自分のこめかみを指しながら、口元を歪めた。


「モノを知らなすぎて、師匠から本を読むことを修行の一環にされてたんだ。七ツ宝具の候補に挙がってからは、なんなら剣の鍛錬より読書の時間の方が長かった。

 ノルマの冊数を読まずに眠ると師匠にぶっ飛ばされる。その恐怖が体に染み付いている。眠れないってのはそういう意味だ」


 な、なるほど。と、無難な相槌を打ちながら、キャロルは世界観の違いを感じた。


 お姫様のキャロルにとって、眠りにつく前の読み聞かせは幸せな時間だった。それが訓練の一端になっている人間もいるなど考えたこともなかったからだ。


「それでも去年ようやく読み書きができるようになったのは、あの修行のおかげだからな。師匠には感謝してるよ。

 いつか必ず地獄に送ってやるけどな」

「物騒な発言はやめなさい」


 冗談なんだか本気なんだかわからない口調のウィルを嗜めながら、キャロルはあれ? と足を止めた。


 去年ようやく読み書きができるようになった。ウィルはそう言った。彼は今15歳だ。読み書きを身につけるには遅すぎる。


 普通の人間が文字に触れ、身につけるまでに費やす時間をーー彼は何をして過ごしてきたのだろう。


「どうした?」


 急に立ち止まったにもかかわらず、ウィルもまたキャロルと同じタイミングで足を止めていた。


 護衛の少年の目を覗き込んでみる。きっと自分とは違う世界を見てきた瞳。


 キャロルは尋ねてみたくなった。小さい頃はどんな暮らしをしてきたの? と。


 でも。


「ううん。なんでもない」


 訊きたいことを飲み込んで、キャロルは微笑んで見せた。


 自分は何不自由のない人生を送ってきた。けれどそうじゃない者だって、この国にはたくさんいる。


 それを理解していたからだ。




 図書室につくと、ウィルは数冊を本棚から抜いて、司書から貸し出しの許可を受けた。


 ジャンルはバラバラ。しかしその全てが比較的読みやすい、子供でも読める内容のもの。読解能力だけで言うなら、ウィルはおおよそ10歳前後なのだろうとキャロルは推測した。


 司書との雑談のなかで、クロードが鍛錬場にいることを耳にした二人は、そのまま鍛錬場に向かうことにした。


 鍛錬場は城の裏手の離れに位置している。敷地内にあるのは、衛兵たちの詰所も兼ねているからとのことだ。


 扉の前に立つと、二人は空気が重くなったのを感じた。時折床が震え、気迫の叫びが聞こえてくる。


「私、ここに来るといつも緊張するのよね……訓練しているみんなの気迫が伝わってくるからかな」


 手汗を拭って扉を押すキャロルに、ウィルも頷いて返した。しかし頷いた意味合いは少し違っていた。


 緊張の源は大勢の気迫ではない。


 たった一人。


 ずば抜けて強烈なのが一人だけいる。扉ごしにもそう感じていた。


 入室したのがキャロルであることに衛兵たちは気づいただろう。しかし視線を向けることなく、動かす体を止めることもなかった。


 鍛錬中は敬礼不要。邪魔をしては悪いとキャロルが言いつけたことだ。


 しかし衛兵たちは心なしか中央のスペースを空けて、それぞれの鍛錬を続けた。王族に隅を歩かせない。それは衛兵たちが譲らなかったことだった。


 申し訳なさそうに頭を下げて真ん中を歩くキャロル。ウィルもそれに続く。部屋の最奥には鉄の塊をつけて、鉄のダンベルを持ち上げる七ツ宝具、クロードの姿があった。


「報告イタシマス」


 ウィルがぎこちなく膝をつくと、クロードは視線だけを向けた。


「本日の護衛、異常な……アリマセン」

「ご苦労だった」

「よし帰るぞ」

「え!? ちょ、ちょっと」


 踵を返そうとするウィルの肩を、キャロルは慌てて掴んだ。


「もうちょっと話すことあるでしょう?」

「でも鍛錬の邪魔したら悪いしな」

「そ、そうかもしれないけれど……今日から一緒に働く仲間なんだから、ほら、親睦を深める意味で」


 場をなごますつもりでキャロルは握手の真似事のようなジェスチャーをとって見せた。今朝の謁見の時から、なんとなくこの二人の相性の悪さを感じていたからだ。


 ただでさえ癖の強い七ツ宝具の顔ぶれ。間に挟まれることの多いキャロルが気を揉むのも無理はなかった。


「姫君がそのようにおっしゃるのであれば」


 命令だから、それを遂行する。そんな態度でクロードは応じて見せた。


「しかし私は口下手です。“剣“の彼も同じでしょう。

 幸いにもここは鍛錬場。互いの技で語るのが良いかと」


 そこまで言うと、ようやくクロードはウィルと向き合った。


 そんな反応は、キャロルにとってはいささか意外だった。形だけの握手を済ませて終わり。そんな展開も予想していたからだ。


 クロードの態度からはウィルへの関心が見て取れる。彼がそんな態度を見せるのは珍しいことだった。


「何をする気?」


 尋ねると、クロードは右手のダンベルを持ち上げて見せた。鉄の塊には60kgの数字が刻まれている。


「彼は腰の剣で私のダンベルを狙う。切り落とせば彼の勝ち。防げば私の勝ち。そういうゲームです。

 私自身を標的にしても構わないのですが、それは姫がお許しになりませぬゆえ」


 七ツ宝具同士、本気の戦闘はご法度。そんなルールに抵触するかしないか、ギリギリの提案だ。


 狙いが持ち物とはいえ、剣筋が乱れれば怪我をする可能性は普通にある。それはもちろんキャロルにもわかっている。


 しかしキャロルは少し考えたのち、「わかったわ」と返した。


「ウィルもそれでいい?」

「いいけど……全力でいいのか」

「ゲームの範囲を越えなければね」


 今度はウィルが意外そうな顔をしていた。キャロルは学習院でウィルの攻撃を目にしている。


 レイの時は、事前にウィル剣に触れて性能を封じるという下準備をしていた。しかしクロードはそれがない。


『クロードの“盾“は鋼の強度を誇るわ』


 ウィルの脳裏に城で聞いたキャロルの言葉が蘇った。


 おそらく硬い障害物を発生させる魔術なんだろう。けど、俺の剣は魔力を無効化する。どんなに頑丈だろうと関係ない。


 それにターゲットは60kgのダンベルだ。まず避けることはできない。


「じゃあ遠慮なく」


 ウィルが剣を構えた。


「——。!?」


 構えた、かと思った。


 思ったら、剣がダンベルに触れるか触れないかのところでピタリと停止している。キャロルにとってはそんな感覚だった。


 糸のような光の線。遅れて聞こえた、空間を裂くかのような風切音。 


 ウィルが攻撃をした。それはわかったが、これがどういう結果なのかが理解できずにいた。


「防がれたか」


 キャロルの視線に気づき、ウィルは左手で剣の持ち手を指して見せた。正確には手首の辺り。空間に、透けた板のような壁が浮いていて、ウィルが腕を振り切るのを防いでいた。


「——剣を防ぐんじゃなくて、それを握る手を“盾”で阻んだのね」

 

“姫君の盾“クロード=フィッツジェラルド。

彼は空間に、魔力で作られた障壁を発生させることができる。


「ウィルの剣は魔力を無効化する。それを知っていたから剣を直接防がなかった」


 キャロルの言葉に、クロードは静かに頷いた。


「魔力が無効化できるからといって、魔術がまるで通用しなくなるのかといえば、それは別の話。

 知っていれば対策はいくらでも打てるものです」

「——それでも凄いな」


 そう言いながら、ウィルは止められた手を見つめた。


「魔術は魔力を貯める→イメージをする→発動するという、3つのアクションがある。それが俺の剣よりも速かった。

 知り合いでそんなマネができるのは師匠くらいのもんだと思っていた」

「師匠というのはストレイガ家の頭首か。知っていたということならば、それも含まれる」


 身に迫った白い刀身に映る自分を見ながら、クロードは小さく息をついた。


「私はストレイガ家の頭首とも手を合わせたことがある。君の構えには見覚えがあった。ゆえに剣筋にも予想が立った」


 もっとも、似ているというだけで、君の速さは師匠と仰ぐ者に遠く及ばないが。


 クロードの付け加えに、キャロルは空恐ろしいものを感じた。彼女が目で追えなかった攻撃。あれでも遅すぎるというのか。


 何よりウィルが構えてから攻撃に移るまで、瞬きほどの時間もなかった。


 あの一瞬で攻撃を読み切ったというのか。


「彼の剣が師匠と同程度にまで完成していれば危なかったでしょう。本気にならざるをえなかったかもしれません」


 その上、本気でもなかったのだという。それ程の実力。


 キャロルにもわかってはいた。わかっていたから、今回の手合わせを認めたのだ。


 しかし彼女が見てきたのはあくまで実力の一部であり、全てではなかったということなのだろう。


「なあキャロル。これは一発勝負だったか」

「え?」


 呆然とクロードの“障壁“を見つめていたキャロルだったが、その声で視線を戻した。


 ウィルが再び剣を構えている。しかし、先ほどまでとはまるで違う構えだ。


 両手で柄を握り、相手に刃を向ける“剣術”の構えとは違う。腰を落とし、剣を持つ右腕の後方に引き、左の掌は相手の心臓に向けられている。


 まるで舞の一場面のような構え。キャロルにはそんな風に思えた。


「師匠とやり合える程の相手だとは知らなかった。さすがに失礼が過ぎたよ。

 次は本気でいく」


 ウィルの剣が光る。目が眩むような強烈な光。


 クロードの目つきが変わった。


「お下がりください、姫君」


 空気が変わったのがキャロルにもわかった。


 訓練場の空気ではない。これは戦場の空気。


 周りで鍛錬をしていた者たちの手が止まった。ここにいる者は城の衛兵。関門を超えてきた者たちだ。只事ではないのは瞬時に理解できた。


 そんな彼らでさえ、誰一人として割って入ることができない。声を発することすらできなかった。


 そんな中で。


「やめなさい」


 ピリついた空間に、それこそ針のように鋭いキャロルの静止が響いた。


「ルール違反よ。二人とも。

 全力になることは許したけれど、本気になっていいとは言ってない。

 刃を収めなさい」


 キャロルの細い指がウィルの手首を握る。彼女なりに精一杯の力で。


「——わかった。俺の負けだ」


 勝負に負けたという意味か。あるいは根負けしたという意味か。それはわからないが、ウィルは振り上げた剣を下ろした。


 それを合図としたかのように、訓練場全体の張り詰めた空気がやっと緩んだ。


「ありがとう、ウィル」


 キャロルもまた緊張の糸が切れたように顔を綻ばせた。


 ただ一人、クロードだけが厳しい目で少年を見据えていた。



 このような光景……前にどこかで。



「ほらクロードも。顔、怖いよ。

 クロード?」

「彼に尋ねたいことがあります」


 顔を覗き込むキャロルをよそに、クロードはウィルから微塵も視線をそらすことなく切り出した。


「七ツ宝具になる以前、どこかで私に会ったことがあるか?」


 確認、というよりも尋問のような口調。


 ウィルは少し考えるような間を挟むと「覚えていないな」と応じた。


「多分だけどないと思うぞ。何せ相手は姫君の“盾”。七ツ宝具の一人だ。忘れる方がおかしい」


 答えるまでに間はあったが、ウィルの口調に淀みはなかった。嘘をついているようには見えない。少なくともクロードにはそう思えた。


「相手が七ツ宝具なら忘れる方がおかしい。それはその通りか」


 そう言いながら、クロードは少年の右腕に視線を送った。


「七ツ宝具になる者はその殆どが常軌を逸した資質の持ち主。幼い頃からその片鱗は見せているものだ。肩書きなどなくても、会っていれば印象に残るはず」


 私の勘違いだったようだ。そう結んで、クロードはやっと厳しい表情をといた。といっても、いつもの無表情に戻っただけだが。


「姫君にもお気を遣わせてしまい、申し訳ありませんでした」

「い、いいのよクロード。こちらこそ、うちのウィルと仲良くしてあげてね」


 キャロルはそう言ってにっこり笑いながらウィルの後頭部を押す。


 お辞儀をしながらウィルがボソッと「保護者みたいだな」と呟いたので、もう静かにしててよと視線で命じた。


 ——こんな子だけど天才なのよね。クロードの言う常軌を逸した資質の持ち主。あんまりそうは見えないけど。


 長居すると何を言い出すかわからない少年を引きずりながら、キャロルは訓練場を後にした。

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