第5話 姫君の錠


「やぁやぁ、やってるね。若者たち」


 陽気な声が、部屋の出入り口からウィルたちの耳に届いた。


 言い合いをしていたシュシュとミュゼがお互いから視線を外した。そして入室した女へ、それぞれお辞儀をした。


「や、かしこまることはない。続けてくれたまえ。勉強熱心な若者は大好きだよ」

「……」

「よもや飲み物ひとつで争う年頃でもあるまいしね」


「ば、ばれてる!」

「どうして声に出すのよ!」


 思い切り声をあげたシュシュの頭を、ミュゼの平手がスパンと叩いた。そんな二人のやりとりを見ながら、女は鷹揚に笑った。


「レイ先生。いつの間にいらしてたんですか」

「腕相撲を始めたあたりかな。私が入れば水を差してしまうと思って、聞き耳を立てていたんだ。

 もっとも、ウィルには気づかれていたみたいだけど」


 キャロルの問いに答えると、レイ教授。

 “姫君の錠(じょう)”レイ=ロシェットは、静かにウィルへ視線を向けた。


 気づいていたことに、こっちも気づかれていたか。小さく会釈の真似事をしながら、ウィルは視線を返した。


 燃えるような紅の髪に、少しオレンジの入った透明感のある肌。見た目は三十よりも若く見える。


 しかしシュシュやミュゼのような若手の七ツ宝具とは、少し雰囲気が違った。仕草の節々に滲み出る風格。実力に裏打ちされていなければ出せないものを感じる。


 選抜試験で会ったときにも思ったが、たぶんこの人は只者じゃない。

 だからこそ七ツ宝具のリーダー“護衛団長(サー)”の位に任じられているんだろうけれど。


 ウィルは値踏みするような視線をレイに向けた。


 そんなウィルへ、レイは「久しぶりだね」と口火を切った。


「試験の合格おめでとう。少しは敬語も話せるようになったかな」

「見ての通りだ」

「そうかそうか。いや、焦ることはないよ。それも個性だ。

 またあの愉快な敬語を聞かせてくれたまえ」


 はっはっは、とレイは声をあげて笑った。なにがそんなに楽しいのか、ウィルにはよくわからなかったが。


「――そういえば時間になっていたね。挨拶はこのくらいにして始めようか。

 今日は魔術の法則(ルール)について、考えを深めるとしよう」


 レイが始業の挨拶らしきことを述べると、キャロル・シュシュ・ミュゼの三人は居ずまいを正した。


「魔術は奥が深い」


 レイはそこに集まった若手の七ツ宝具三人へ、それぞれ視線を送った。


「人間なら誰しも持つ魔力。それを活用して発動する特殊技能。それが魔術。


 魔術の素質は誰にでもある。誰もが生まれつき、ひとつの魔術をもって生まれてくる。


 言ってしまえば魔術は誰にだって使える。ただそれを目覚めさせ、実践レベルにまで高めるのが難しいというだけで」


 ウィルに配慮してか、レイは基本中の基本から話を始めた。さすがにウィルも頷きながら聞いていた。


 魔術は秘伝の技でも、選ばれし者にだけ継がれる能力でもなんでもない。彼らの世界では普通に日常会話の中で登場したり、法の条文にも名前が載っていたりもする。いわば一般常識に分類される存在である。


「そんな誰にでも使える魔術だけど、突き詰めれば非常に複雑で、しかし可能性に満ちた法則をもっている。

 たとえばシュシュの“転送”。これはどういう力だい?」

「えっと、自分の手元にものを移動させる力です」


「もっと詳しく」

「え? うーんと……送るものには自分の指の跡がついていなければいけません。それと、自分より軽いものでなければいけません」

「そうだね。そこまでが“転送”のルールだ。――ウィル。今の説明を聞いてどう思った?」


 話を振られ、ウィルは口許に手を当てた。


「便利だが、惜しい能力だと思った」


 そしてクッションにちょこんと座るシュシュに目をやった。


「日常生活にも護衛にも生かせる魔術だとは思うが、いかんせん術者の体重が軽すぎる。もっと体格のいい人間の魔術だったなら、“転送”できるものの範囲も広がっただろう」

「ふむ。では仮にシュシュがウィルを“転送”しようと思ったら、それは可能かな」


「不可能だ。チビのこいつより、俺の方が軽いとは思えない」

「またチビって言ったなぁ!」


 うなるシュシュ。しかし「チビのこいつより」のくだりですでに服を掴んでいたキャロルにより襲撃は阻止されていた。


「ふん! ウィルはわたしの力を甘く見ているわね! ちょっと手を貸しなさい」


 鼻をならして、シュシュはウィルに手を伸ばした。キャロルもレイも止めないので、ウィルは素直に手を伸ばした。


 二人の手と手が触れる。ウィルの肌にシュシュの指紋が付着する。


「えい!」


 そんな声が聞こえた瞬間。ウィルの立ち位置は、シュシュの反対側の手元に移動していた。“転送”が発動したのだ。


 見える景色がとつぜん変わり、目を丸くするウィル。「これも法則のひとつなのだよ」レイは人さし指を立てた。


「シュシュの魔術は、体重プラス身に着けているものの重さが数値としてカウントされる。つまり重いものを身に着けていれば、それだけ転送できるものの幅が広がるのだよ。

 その分、戦闘時には不利を強いられるリスクを負うけれどね」


「――理屈はわかった。けどシュシュは何の荷物も持っていないぞ。服だけで俺との体重差を逆転するのは無理だろう」

「シュシュも言っていたが、君は彼女のチカラを甘く見ている。見せてあげるといい」


 レイが促すとシュシュは服の袖と靴下をまくり、自分の手首足首を見せた。皮のバンドらしきものが巻かれている。


「特殊な金属を仕込んだリストバンドだよ。小さいがひとつ10kgある」

「……」


 押し黙るウィルに、シュシュが「えへん」と胸を張った。


「どうよ、ウィル。何か感想とかないの?」

「いや。ドMだなぁって思って」

「もっと言いようあるでしょ!?」


 とびかかろうとするシュシュ。抑えるキャロル。「離してくださいひめさま!」シュシュは声をあげたが、暴れるのはやめていた。


 本当はキャロルの静止など関係ないんだろうな。でも大人しく捕まってるのは、キャロルに怪我をさせないためか。

 ウィルは見慣れたやりとりの裏側を見た気がした。


「もうひとつ疑問がある」


 睨んでいるシュシュを差し置いて、ウィルはレイに向き直った。


「さっきの“転送”では俺の身体だけじゃなく、衣服や剣も一緒に移動させられていた。指紋のついたものだけ転送するなら、今の俺は素っ裸になってるはずじゃないのか?」


「それは法則の追加というやつだよ。ウィルも七ツ宝具に上り詰めるくらいだから知っているだろうけど、魔術は強いイメージと鍛錬によって成長させることができる。


 シュシュの魔術が護衛の面で最も有用な点は、指紋さえつけてしまえばキャロル姫を一瞬で危険から回避させられること。そのケースを想定して、シュシュは人物を転送する場合、その人物が身に着けているものも転送できるようにしたのだよ。


 お姫様がピンチの度に全裸になってちゃダメだろう?」


「確かに。裸の“お姫様”じゃ童話にもならない」

「は、はだかはだか言わないの!」


 キャロルが顔を真っ赤にして講義する。ちょっと涙目になっていた。


「全く。少しはレディに気を配りたまえ」

「いや、あんたもな」


 特に意味もないやりとりをする二人。赤面するキャロル。唸るシュシュ。


 何なのよこの空間……ミュゼは四人のやりとりを見ながらこめかみを押さえた。


「――とにかく魔術には元々の法則があり、その法則は鍛錬によって少しずつ追加してゆくことができる。


 ミュゼの“フラット”も最初は能力値だけが対象だったが、今はコンディションもフラットにできるようになった。有効半径も最初の三歩から、今は十歩にまで伸びたしね。


 魔術の法則を知り、進化させ、応用させる手段を増やしてゆく。

 君たち若手の七ツ宝具にはそういう成長も期待しているよ」


 先輩の激に、シュシュとミュゼは殊勝に頷いた。そんな中。


「レイの魔術はなんなんだ」


 不躾な質問をしたのはウィルだった。


「護衛団長(サー)と呼ばれるあんたの力に興味がある。一度この目で見ておきたい」

「ウィル……同じ七ツ宝具でも、今は先生と生徒よ」


 キャロルが注意する。しかしウィルは視線を釘づけたままでいた。


「構いませんよ、キャロル姫。私も彼の魔術に興味がある」


 薄く微笑むと、レイはウィルに席を立つよう促した。そして部屋の中央。広い空間へと移動する。


 そして向かい合う。空気が少しぴりっとしたのをキャロルは感じた。


「まずはウィル。君の魔術を確認させてもらっていいかな」

「ああ。俺の魔術“断絶”は、斬ることをイメージできればどんなものも断つことができる」


 レイのことだ。この問答にも何か意味があるんだろう。ウィルは余計な質問を挟まずに応じた。


「ふむ、どんなものも断つ。――厳密には、剣の切れ味の強化。そして魔力の無効化」


 ウィルの腰に収められた剣を眺めながら、レイは厳密な法則を口にした。


「どんな敵でも切れるのは剣そのものの強度を上げられるから。そしてどんな魔術でも防ぐことができないのは、剣が対象の魔力を無効化するから。違うかな」


 眉を少し吊り上げて、ウィルは頷いた。レイがウィルの魔術を眼にしたのは試験の際の一度きり。それだけで見抜くか。


 ウィルの背中を今まで感じたことのない緊張感が走った。初対面の人間に自分の秘密を知られていた感覚に近い。


「切れ味の凄さは試験のときに見せてもらったよ。しかし君の魔術の真価は、もう一つの特性にある。――シュシュ、ミュゼ」


 レイはウィルと向かい合ったまま、顔だけをクッションに腰掛ける二人に向けた。


「これからウィルが魔術を発動する。その後に二人は“転送”と“均質化”を、それぞれウィルに向けて発動させてくれるかな」


 意図はわからなかったが、しかし二人は頷いた。


 それに応じてウィルも腰の剣を抜く。そして魔術を発動する。


 抜いた刀身が白く光り出した。鋼すらも一刀両断する、ウィルの必殺の剣。


「じゃあ……やるよ。ウィルの剣をとるね」


 その輝きに目を奪われながら、シュシュは転送を発動した。剣は朝の時点で触っている。一度は獲れたのだから、二度目も獲れないはずはない。


 しかしウィルの剣は転送されなかった。


「ウィル、いつのまに剣を磨いたの?」

「磨いちゃいない。ただ勝手に剣がシュシュの魔力を無効化したんだろう」

「――じゃあ、今度は私が」


 剣を担ぐウィルを、ミュゼは静かに見据えた。ウィルの身体は魔術の射程圏内にある。対象も剣ではなくウィルにすれば、フラットは発動するはず。


 発動――腕力の均質化。


「……。どうして?」


 目を見張るミュゼ。自分の身体に何も変化がない。もちろんウィルの様子にも。


 フラットはその効果を発揮しなかった。


「厳密に言えば、フラットは一瞬だけ発動していた。ただ俺はフラットを受けた瞬間、剣で自分の腕を軽く傷つけた」


 ウィルが何も持っていない左手を掲げて見せる。一筋の血液がウィルの腕を伝っていた。


「俺の剣は切ったものの魔力も無効化できる」

「……!」

「つまり、断絶を発動したウィルに魔術は通用しないのだよ」


 レイの解説に、シュシュとミュゼは息を飲んだ。


 自分たちが長い時間を費やして磨いてきた魔術。それが目の前の少年にはまるで通用しなかったのだから。


「別に無敵ってわけじゃない。自分を傷つけるのは気持ちのいいことじゃないし、隙だってできる。魔術を維持し続けるのも大きな負担だし、工夫ひとつでミュゼの均質化は俺に通っていたはずだ。


 この結果は、単にミュゼが法則を知らなかったからだろう」


 そう言ってウィルは腰のホルダーから包帯を取り出した。こういうケースに備えて用意をしていたものらしい。


 ウィルの言葉に、レイは小さく頷いて同意した。


「その通り。無敵に思える彼の能力も、法則さえ知っていればやりようがある。

 それが魔術を用いた勝負の難しさであり、醍醐味でもある。私はそう考えている。

 ウィル、少しだけその剣を貸してくれたまえ。今度は私の魔術を見せよう」


 包帯を巻き終えたウィルが剣を放り投げる。「刃物を放り投げるものじゃないよ」注意を口にしながらも、レイは難なく剣の柄を掴んだ。


「ふむ。特に変わったところはない、普通の剣だね」

「ああ。俺の“断絶“は別にその剣じゃなくても発動できる。刃さえついていればモノは選ばない」

「剣の切れ味に左右されないのは便利だね。返すよ」


 そう言って剣を放り投げるレイ。投げるなって言ったのは誰だよ……。そんな突っ込みを飲み込んで剣を受け取る。


「さて、ウィルの魔術は魔力を無効化する。だからこそ魔術が通用しない。そういう話だったね」

「ああ」

「ではこれからそれを覆す瞬間を見せよう。ウィル。剣で私を攻撃するといい」

「――! レイ!?」 


 黙って見ていたキャロルだが、思わず口を挟んだ。シュシュとミュゼの二人も顔を強張らせている。


「心配はいらないよ。というか大丈夫だからやるのだよ。私に自殺願望はない」

「願望はなくても、死ぬときは死ぬぞ。本当にいいのか」

「うむ。心配するようなことを言いながら、すでに君も剣を構えているしね。

 私の力を知りたいのだろう?」


 微笑むレイ。それに呼応するかのように、ウィルも剣を構えて口許を吊り上げた。


「ああ。見せてくれ」


 言葉が終わるか終らないかの刹那――閃光が弧を描いて、レイの胴体を捉えた。


 回避どころか反応もままならない剣速。同じ七ツ宝具のシュシュとミュゼでさえ、ウィルが仕掛けたことに気付いたのは攻撃の決まった後だった。


 レイの衣服に埋もれた刀身。それを見て、やっと現状を理解したキャロルが口許を覆う。


 そして叫び声を上げかけた、その時だ。


「どういうことだ」


 シンプルな疑問の言葉が、ウィルの口をついた。


「断絶が発動できなかった。それどころかこの剣――切れ味までゼロになっている」

「これが私の魔術だよ」


 剣にそっと手を当てながら、レイは口を開いた。


「断絶は発動すればあらゆる魔術を無力化することができる。だったら発動そのものをさせなければいい。


 その剣の役割は斬ることと、私の魔力を無力化すること。

 その役割を果たさないよう、君の剣に“命令“をした」


「命令……?」


「私以外の魔力を受け付けるな。私を斬るな。というシンプルな命令。

 私の魔術は意思を持たないものに、簡単な命令を与えることができる」


 レイの手が刀身を掴み、身体から離す。衣服は裂けるどころか、綻びひとつできてはいなかった。


 “姫君の錠”レイ=ロシェット。

 彼女は意思を持たない物質に魔力を送ることで、簡単な命令を与えることができる。


「――要は順序の問題だよ。君が魔術を発動する前に君の剣に触れれば、私は断絶の発動そのものを防ぐことができる。

 触る時間が非常に短かったから、もう命令は解除されているけどね」


 なるほどな。発動そのものを妨害する魔術なら、“断絶”による後出しの無力化を許さない。状況を理解し、ウィルは剣を収めた。


「魔術の発動を防ぐって意味じゃ、俺の身体に触れてもOKだったわけか?」

「いいや。人間には意思が宿る。体に触れながら“攻撃するな”と命じても、私の魔力は通らない。

 しかし、例えば身にまとう衣服なら話は別。例えば敵の袖に触れて“思い切り締め上げろ”と命令すれば、腕をへし折ることもできる」


 要は魔力を込める時間さえ取れれば、全ての物質を自分の味方に変えることのできる力。


「強いな。護衛団長(サー)の名に相応しい魔術だ」

「ふむ、上から目線に聞こえる台詞も変わらずだね。少年」


 からかうように言って、レイは再びクッションに腰を下ろした。





 それから魔術を用いた戦闘の事例研究や、先に行われた腕相撲対決の振り返りなどを経て、この日の講義は終わりを迎えた。


 キャロルがウィルとシュシュを連れて講義室を出る。


「いやあ、新人が加わってまた楽しくなりそうだね。ミュゼ」


 ホワイトボードを磨きながら、レイは後片付けを手伝うミュゼに話を振った。


「不躾な物言いに、容赦なく同僚に剣を振るう気概。あんな少年は見たことがないよ」

「――あの子は何者なんですか」


 鼻歌を歌っているレイとは対照的に、ミュゼは真面目な顔で訊いた。


「ストレイガ家の出身とは聞きました。だからある程度の実力があるのは理解できます。しかし彼はあまりに異質です」

「というと?」


「私とシュシュは七ツ宝具の候補生として、物心のついたころから特別な訓練を施されて育ちました。そんな私たちでさえ、彼が剣を振るった瞬間には反応すらもできなかった。

 彼が身を置いていた環境がまるで想像できません。それに身体能力だって……」


 講義の始まる前。シュシュと腕相撲で対決したときに感じた違和感をミュゼは思い出していた。


 常に重りをつけて生活しているシュシュとミュゼの腕力には大きな差がある。しかしウィルと均質化したミュゼの腕力はシュシュを上回っていた。


 初対面のウィルに対するミュゼの理解度はまだ浅い。“フラット“もその効果を十分に発揮できる条件を満たしていなかったはずなのに。


 つまりウィルの力は、ミュゼとシュシュ以上に大きく差をつけて強いことになる。


「彼の力の全てが、訓練や努力でどうにかなるものを越えていた。私にはそう思えました」

「ふむ。君の魔術は相手の力を測る際にも有用だね」


「誤魔化さないでください。……誤魔化さなければならない事情でもあるのですか」

「頭が回るね、ミュゼは。長生きできそうだ。

 しかしひとつの間違いで、早死にしそうでもある」


 物騒な物言いにミュゼの身が固まる。しかしレイは相変わらず上機嫌に


「七ツ宝具にも新しい風が吹いてきた。面白くなるといいねぇ」


 そう言ってにっこりと、ミュゼに笑顔を向けた。

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