第4話 姫君の秤

昼休みを挟んで、キャロルは二人の護衛と講堂の一室に向かっていた。


「今日の講義は次でお終いよ。ウィル、学習院の講義はどうだった?」

「ほとんど何を言ってるのかわからなかったな」


 キャロルの問いにウィルは渋い表情を浮かべた。

 学習院の講師はそれなりに優秀な人材が揃えられている。しかし基礎的な学力すらないウィルが話を理解するにはさすがにハードルが高かった。


「最初は仕方のないことだわ」


 くす、と微笑んでキャロルはフォローの言葉を入れた。


「七ツ宝具には勉強のできる子もいるから、帰ったら一緒に教えてもらいましょう」

「遠慮なく聞くといいわ!」

「勉強できる七ツ宝具ってシュシュのことなのか?」


 ずい、と身を乗り出すシュシュにウィルが怪訝な顔を向ける。


「なによその疑いのまなざしは。失礼ね。わたしだってウィルよりは賢いんだから。

 ねー? ひめさま」

「……」

「え、どうして目をそらすんです?」


 キャロルのリアクションは全てを物語っていた。というか返答を待つまでもなかった。


 ほとんどの講義で居眠りをしていた学生が賢いはずがない。


「――とにかく最後の講義くらいは、居眠りしないでちゃんと聞くのよ。シュシュ」

「や、やですよひめさま。護衛の最中に居眠りなんてするはずないじゃないですか……」

「どうして目をそらすのかしら?」


 にこっと微笑むキャロル。「は、はいぃ」シュシュは裏返った声を漏らして背筋を伸ばした。


 居眠りだけは気をつけよう。


 キャロルの笑顔を見ながら、ウィルは固く心に刻んだ。




 着いた教室は、床にカーペットが敷かれただけの広い空間だった。


 広さは通常の教室が二つ分ほど。隅にはキャスター付きのボードとテーブルが置かれ、その脇には何枚かのクッションが積まれている。


 キャロルの指示で、ウィルは五枚のクッションを円にして並べた。全員が床に座り、顔を合わせて受ける講義のようだ。


 変わった形式だな。それに部屋の広さの割に、参加人数も少ない。


 ウィルは用意した席を眺めながらそんなことを思った。


「ここでどんな講義を受けるんだ?」


 ウィルの質問に「魔術よ」とキャロルはクッションに腰を下ろしながら応じた。


「それも私と、魔術を使える者にしか受けられない特別な講義。ウィルたち七ツ宝具のための講義と言ってもいいかもしれないわ」


 それを聞いて、ウィルは空いている二枚のクッションに目を向けた。


「ってことは残る二人も七ツ宝具か」

「そう。講師も学生もね。顔合わせにもちょうどいいでしょう」


 配慮はありがたいけど大丈夫なのだろうか。王族の護衛、七ツ宝具のうち四人が一か所に結集している。


 他が手薄になりそうな感じだ。まあ七ツ宝具って組織もちゃんと考えて護衛してはいるんだろうけど。


「で、あとの二人はどんな奴なんだ」

「奴とか言わないの。一人はウィルも試験で会った人よ」


 ああ、俺のことを推してくれた人か。護衛だけじゃなくて教授もやってたんだな。ウィルにもちゃんと顔が思い浮かんだ。


「それともう一人は」

「わたしのライバルよ!」


 話の流れを遮ってシュシュが身体を乗り出した。


「わたしにつっかかってくる気取った女なの。いつか決着をつけてやらなきゃと思ってるわ」


 不敵に笑いながら、シュシュは指の骨を鳴らした。


 よく知らないが、つっかかってるのはきっとこいつのほうだろう。


 しかしライバルか。ライバルってレベルが拮抗している人同士のことを言うんだよな。


 ってことはシュシュと同レベルの人間がもう一人ここに増えるわけか?


「悪いキャロル。俺ちょっと用事を思い出した」

「あなたにわたしを護衛する以上の用事があっちゃだめでしょう」


 退散しようとするウィルを、キャロルの冷ややかなつっこみが止めた。逃げ場はないらしい。


 せめてシュシュとは違うタイプであることを祈ろう――いま、扉の向こうにいる人が。


 ウィルが顔を上げ、出入り口の扉に視線を釘づける。それと同時に扉は開いた。


 入ってきたのは、落ち着いたいでたちの女子学生だった。


 深い藍色の瞳。腰元まで伸びた髪。手にはリボンで縛った本の束を持ち、軽いフレームの眼鏡をかけている。緩いカーティガンを羽織り、いかにも小奇麗な学生といった雰囲気。歳も学内で過ごす学生たちとそう差はなさそうに見える。


「今日は少し遅いのね。ミュゼ」


 キャロルの声掛けに、ミュゼは「前の講義が延びてしまって」申し訳なさそうに言った。そしてウィルの方を向くと


「はじめまして、ウィル=ストレイガ」


 そんな風に挨拶をした。


「私はミュゼ=ノエル。あなたと同じ七ツ宝具で、称号は“秤(はかり)”。よろしくね、新入りさん」

「ああ、よろしく――ってか、俺のこと知ってるのか?」

「ある程度のことは聞いているわ。そうやってタメ口で話すこともね」


 話が早くて助かるな。いちいち驚かれるのも面倒で仕方ない。ウィルはほっと息をついた。


「名門ストレイガ家の出身で、史上もっとも若い七ツ宝具。教養はからっきしだけれど、剣の腕前は随一……だったかしら」


 そう言って自分を見るミュゼに。ウィルは「間違いない」と頷いた。


「挨拶が遅れたな。俺はウィル=ストレイガ。称号は“剣”だ。よろしく」


 ウィルが右手を差し出す。ミュゼはその手に視線を落とすと、その手を握り返した。


「戦力としての起用だと聞いたけれど、学習院にも同行していたのね」

「教養がなさすぎるせいでキャロルに連れてこられた。ミュゼも学習院の護衛担当か?」

「いいえ、学習院にいる間の私はただの学生。姫様の勉強を見るのも仕事のうちだから、先取りして色々な講義を受けているのよ」


 なるほど。勉強ができる七ツ宝具ってこの人のことだったか。シュシュよりはだいぶ頭よさそうだもんな。ウィルは変に納得した。


「七ツ宝具って家庭教師みたいなこともするんだな。戦うことばかりが仕事だと思ってた」

「それは私の知る限りあなただけね。それだけ戦闘に特化しているということなんでしょうけれど、本来、護衛は姫様の身の回りの世話もできなきゃダメなのよ」

「そうなのか。もしかして七ツ宝具に女が多いのもそういう理由か?」


 護衛と聞くと、一般的には屈強な男性をイメージする。にもかかわらず七ツ宝具にはシュシュやミュゼのような女性の存在も目立つ。


「そうよ」


 疑問に答えたのはキャロルだった。


「『男がキャロルの身の回りの世話などうらやま……けしからん!』って、パパが」

「親バカすぎだろう」


 正確に再現された国王の台詞に、ウィルは思わず突っ込みを入れた。「間違ってもパパのこと馬鹿とか言っちゃだめよ?」いちおう正すキャロルだったが、そう強くはたしなめなかった。同じことを思っているらしい。


 まあ確かに、姫の世話係が男ばかりじゃ不都合なことも出るんだろう。同僚に女性が多めの理由をウィルはなんとなく理解した。


「――とにかく、そういうことね。クロードは執事の役割も兼ねているし、私は家庭教師と、七ツ宝具もそれぞれ別に仕事はあるのよ」

「シュシュにも何か仕事があるのか?」


 なんだか妙に静かにしているシュシュを一瞥し、ウィルはミュゼに尋ねた。ミュゼはシュシュを一瞥すると、言葉を選ぶように口を開いた。


「彼女は……運搬とか輸送が特技かしら」

「荷物持ちか。確かに向いてそうだよな」

「かっこわるい言い方するなぁ!」


 言葉と同時にシュシュが腕を振る。ウィルはさっと腰を引いて、それをかわした。


 魔術の性質に合っていると言ったつもりだが、表現が下手すぎて逆鱗に触れたらしい。


「あいさつもしないと思ったら……いきなり失礼なこと言ってくれるわね。ミュゼ!」

「――荷物持ちと言ったのは私じゃないでしょ。言いがかりはやめてもらいたいものね。荷物持ちさん」

「言った! いま言った!」


 妖しく笑うミュゼに飛びかかろうとするシュシュ。「ああもう!」キャロルは慌ててシュシュ後ろから抱きかかえた。


「二人ともどうしてすぐ喧嘩になるの! 同じ七ツ宝具なんだから仲良くしましょう?」


 困ったような顔でキャロルが窘める。すると喧嘩を始めた二人は渋い表情で、しかし矛を収めた。


「――今日のところは、とりあえず勘弁してあげる」

「頭の悪い捨て台詞はやめたら? 七ツ宝具の名前が廃れるわ」

「やっぱケリつけてやる!」


 なんか仲悪いのな、この二人。言い争う二人をウィルはのんびり観察していた。


「ここが特別講義室でちょうどよかった。講義の前に白黒ハッキリさせようじゃない」


 ぱたぱたと部屋の隅に走ったかと思うと、シュシュは上部に穴の空いた箱をもって戻ってきた。


「あれはなんだ? キャロル」

「講義で使うクジのようなものよ。中には色々な競技種目の書かれた紙が入っていて、学生はクジで決められた競技で優劣を競うの。

 競技中の魔術の使用は自由。講義の最初に引くはずのものなんだけれど……」

「もう引いてるぞ。あいつ」


 すでにシュシュの手に紙切れが握られていた。キャロルは肩を落として盛大にため息をついていた。何かを諦めたようだった。


「種目は……これよ! “アームレスリング!”

 よっしゃ勝ったぁ!」

「――ズルとかしてないでしょうね」


 ガッツポーズのシュシュに、ミュゼがじと目を向けた。


 シュシュの魔術“転送”。自分より軽いものを手元に引き寄せる能力。一度触ったことさえあるならば、任意のクジを引くのは造作もないことだろう。


「む。わたしが自分に有利なクジを引いたっていうの? そんなことしないよ。競技の前に魔術を使うのはルール違反だもん。ズルして勝っても嬉しくないでしょ」

「まあ……あなたはそうよね」


 それだけ言って勝負に応じるミュゼ。しかしやはり乗り気ではなさそうだった。シュシュに有利な競技であることは事実のようだ。


「体格はミュゼの方がいいけど、シュシュって腕相撲強いのか?」

「あの子の身体能力って実はすごく高いのよ。運動系の種目ならシュシュが、逆に頭脳系の種目ならミュゼの方が有利だと思う。

 普通にやったなら、の話だけれど」


 なるほどな。競技中は魔術の使用が自由なんだっけか。


 これから競うのは単純な腕力の優劣じゃない。運ばれてきた机の上に手を組む二人に、ウィルは視線を注いだ。


「クジに書かれたルールを復唱するわ。

 机の上に腕を組み、先に手の甲が机についた方の負け。肘が机から離れた場合も負け。

 要は普通の腕相撲よ。魔術の使用がありなことを除けばね。了解?」

「いいわ。ウィル、合図とジャッジをお願い」

「俺が? わかった」


 二人の傍に歩み寄り、握り合う拳にウィルの手が添えられる。合図の余韻が消えた直後、ウィルの手は二人の拳から離れた。


 開戦の瞬間。


 握り合った互いの拳はピクリとも動かない。完全な均衡を保っていた。


 そんな展開に、顔をひきつらせたのはシュシュの方だった。


「ミュゼ……あんたいつのまにそんなばか力になったのよ……!」


 予想外の接戦だったらしく、シュシュの声には驚きが混じっていた。


 どういうことだろう。腕力はシュシュの方が強かったんじゃないのか?


 疑問を浮かべながら観戦していると「ミュゼの魔術ね」とキャロルが応じた。


「自分の力と、相手の力を近づけることができるの。ミュゼは」


 魔術の使用は自由。そのルールに則り、ミュゼは腕力の不足を補っていた。


「ミュゼの魔術“フラット“。相手への理解度に応じて、最大でイーブンにまで自分を相手の力量や状態に近づける。あるいは相手を自分と同じラインにまで引き下げる。

 逆にほとんど情報を持っていない相手だと、その効果は弱まる。


 ミュゼはシュシュとの付き合いが長くて、よく知っているからこそ、二人の腕力はほぼ同じになっていると言うことね」


 “姫君の秤”ミュゼ=ノエル

 彼女は個人情報を握る相手を対象に、自分の力や状態を近づける力を持つ。


「わたしと同じ力に……モヤシのあんたがこんなに粘るのはそういうわけね。

 でも時間の問題よ!」


 歯を食いしばるシュシュ。わずかではあるが、組んだ拳がミュゼの側に傾きかけていた。


 力が完全に同じならこうはならない。おそらくはスタミナの差だろう。ウィルは時計の針を見た。もう三分が経過しようとしている。


「訓練生の頃のマラソン大会、わたしはミュゼに一度だって負けたことない。図書館に引きこもっていたことを後悔するのね!」


 ミュゼの額に汗が浮かぶ。机までの距離は拳一つ分にまで迫っていた。


 ここまで来たら逆転は難しい。その場の誰もがそう思ったとき、ミュゼはウィルの姿をチラリと見た。


 そして次の瞬間には、じわじわとシュシュの拳を押し返し始めた。


「え。え?」


 シュシュは目を丸くした。普通の腕相撲なら、三分経過、決着間際からの逆転劇はほとんどあり得ない。


 何が起きたのかわかっていないようだった。しかし側にいたウィルは、自分の右手を軽く握ってみて「なるほどな」と呟いた。


「ええ。今“フラット”の対象になっているのは、ウィルの腕だと思う」


 二人の会話が耳に入り、対戦中のシュシュにも状況が理解できた。


 “フラット”は近くにいる者と自分の能力値を近づける力。つまり現在のミュゼの力は、ウィルの力に近づけているわけだ。


 最初からウィルをフラットの対象にしなかったのは、ウィルの腕力がシュシュを上回る確証がなかったため。そしてウィルの情報が少なく、彼の力を半分も再現できないため。


 しかし負けが濃厚になった場合には、ウィルが相当の力自慢であることに賭けて、“フラット”の対象を移す計画だった。


 わざわざ審判を頼んだのは、ウィルが万が一にも魔術の有効半径から離れるのを防ぐため。


 面白いことを考えるな。勝負前の澄ました顔とはうって変わって、歯を食いしばるミュゼの横顔をウィルは覗いた。


 シュシュの手が机に触れるまでもうほんの数センチ。もう逆転は難しいだろう。


 ウィルがそう見た瞬間、ミュゼは思い切りシュシュの手の甲を押し込んだ。


 これで決着だ。


「この勝負――

 引き分け(ドロー)」


 宣告の瞬間。「間に合った……」シュシュの口からそんな呟きが漏れた。


 え、何が起きたの? キャロルが呆気にとられた視線をウィルに送る。ウィルは“シュシュの左脇に転がった机”を一瞥すると、ゆっくり口を開いた。


「勝負が決まる寸前に机は消え、シュシュの左手へと“転送”されていた。その瞬間、二人の右肘はかんぺき同時に机から離れていた。


 確か肘を机から離せば反則ってルールだったよな。双方が同時に反則負け。だから勝者はなしとした。


 何か異論はあるか?」


 ミュゼは苦虫を噛み潰したような顔で、しかし首を横に振った。認めざるを得なかった。


 敗北の決まる瞬間、ステージそのものを消して引き分けに持ち込んだシュシュの機転を。


「勉強はからっきしのくせに、こういうことだけ頭が回るんだから」


 そう言って眼鏡を直すミュゼ。表情も落ち着いた感じに戻っていた。


「むぅ、自分だけ悔しそうにしないでよ。わたしだってミュゼに腕相撲で苦戦するなんて思ってなかったんだから」


 そう言って、ぷいとそっぽを向くシュシュ。こちらも普段通りの振る舞い。


 性格はぜんぜん違って、そりも合わなそうな二人だけど。


 なるほど、ライバルには違いないんだな。ウィルには素直にそう思えた。


「はぁ。講義がはじまる前なのにひと汗かいちゃった。お水のもっと」


 シュシュが手元に水筒を出現させる。それをじっと見つめるミュゼ。


「それ……もう一つ出せないの?」

「ふーんだ。ミュゼにはあげなーい」

「姫様」

「シュシュ。意地悪しないの」

「ひ、ひめさまを使うなんて卑怯な!」


 ぐぬぬ、と唸るシュシュを薄く笑うミュゼ。


 また賑やかになりそうだな。きゃいきゃいと騒ぐ女子三人を一瞥して、ウィルは時計に目をやった。


 講義開始ちょうどの時間を示す針。


 その時、講義室の扉が静かに開いた。

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