第13話 犬娘のまり子、呆然


 ――賢く生きなさい



 そう教わったのは、いつだっただろう。


 幼い頃、母から涙ながらに親離れをした時だろうか。

 それとも、先に引き取られた姉が寂し気な顔で別れを告げた時だろうか。



 ボクはまだ、賢くなれない。




 ボクの生まれ育ったこの場所は『ペットショップ』と呼ばれている。

 母や姉もここで生まれ育ったらしい。

 ここでは人間たちが世話をしてくれて、ご飯に困ることは無い。

 同種の仲間たちもいて、遊び相手だって困らなかった。


 その他にも違う種族の子たちが多くいたが、ここではボクたちが一番大きい。

 身体の大きさは、そのまま力の強さとなる。だからボクたちのご飯を横取りするような奴なんていないし、玩具だって選び放題。


 ここはまさに楽園のような場所だと、そう思っていた。



 身体がある程度成長していくと、人間たちがボクを叱ってくるようになる。

 悪戯で何かを壊すと叱られた。

 他の種族の子に吠えると叱られた。

 人間に対して怒ったりすると叱られた。

 勝手に食べ物を探して食べると叱られた。


 逆に、人間の言うことに従っていると褒められるようになっていく。

 悪戯を我慢すると褒められた。

 吠えずにジッとすると褒められた。

 怒ってもすぐに降参すると褒められた。

 合図があるまで食べ物を我慢すると褒められた。



 ボクは戸惑った。

 それまで楽しいことしか知らなかった、してこなかった。

 何で急にそんな酷いことをするんだと憤慨もした。


 だからボクは叱られると分かっていても抵抗したんだ。

 仲間たちだって思いは一緒のはずだ。

 きっと、皆で抗議すれば人間も分かってくれる。


 そう、信じていたのに……。

 



 身体が母と同じ位に成長していくと、ボクは仲間だった子たちと時々見知らぬ人間の前へ連れて行かれることがあった。

 一体何の意味があるのか最初はよく考えなかったが、それが行われると一緒にいた誰かが人間に引き取られていき、生まれ育ったここから去っていくのだということだけは理解できた。

 

 そんなことが何度か続くと、ボクはあることに気付く。

 大人しくて悪戯をせずに我慢をする、そんな子を人間たちは大層可愛がり、引き取っていくことに。


 その方が人間にとっては都合がいいのかもしれない。

 でも、ボクたちからすればそれはとても退屈だ。

 

 ボクらが吠えたり悪戯をしてしまうのは、決して悪意があるからじゃない。


 一緒に遊んでほしい、興味を持ってほしい、知ってほしい――その過程で嫌な事があれば唸って怒るし、嬉しい事があれば飛びついて喜ぶ。


 

 ――それって、そんなに悪い事なのかな?

 

 

 我慢をしなきゃ、人間と仲良くなれないの?

 ボクの感情は、どうなるの?


 この疑問に答えてくれる仲間は誰もいなかった。

 誰も、その答えを必要としなかったんだ。



 ――みんな、ボクと違ってとても器用だから



 退屈なことに尻尾を振って喜んだふりをする。

 遠慮なく触ってくる人間に我慢して笑ったふりをする。

 思いっきり遊びたいのに手加減をして楽しそうなふりをする。


 賢く生きるっていうのは、そういうことなのかもしれない。


 だから、ボクはまだ賢くなれない。


 なりたくないんだ。




 ◇◆◇




「おまたせしましたー!」


「あ、どうも」



 何度目になるだろう。

 こうして人間の前に連れてこられるのは。


 初めて連れてこられた時に一緒にいた子は、すでにいない。

 みんなボクより先に引き取られていったからだ。


 今日も誰かが引き取られていくんだろう。

 ボク以外の誰かが……。



『あーっ! この前相棒さんが観てた"泥棒雌"にそっくりだ!』



 早く終わらないかなと思いながら黙って並んでいると、何かがボクたちの方に向かって叫んでいる。

 叫び声のする方を見ると、見知らぬ人間が連れてきたであろう茶色い髪で細身の生き物がいた。



『あっちいけ! あっちいけ! シャァアアア!!』



 あの生き物は知っている。

 このペットショップでも見かける"猫"というやつだ。

 大きさから察するに、まだ大人になっていない子供。



『聞いてるのか泥棒雌! ママと相棒さんに近づいたら許さないから!』



 子猫は髪と尻尾を逆立たせ、俊敏な動きで猫パンチを披露してみせる。

 ずいぶんと威勢がいい、元気な子だ。


 しかし、この子猫は先ほどから何を騒いでいるのだろうか。


 おそらく"泥棒雌"というのはボクたちのことを言っているんだと思う。

 何も盗んだ覚えは無いけど。


 じゃあ"ママ"と"相棒さん"は誰だろう?

 まず、ママとはつまりあの子猫の母親のことを指しているはず。

 だがあの子の周囲を見回しても他に猫はいない。

 いるのは見知らぬ人間と、その人間に抱っこされてる謎の生き物だけ。


 謎の生き物は子猫と同じく茶色い髪をしているけど、目つきや顔立ちが全然違う。

 丸くて大きな目、柔らかそうな頬っぺたの丸顔、頭に生えた二本の耳みたいな毛――全く知らない種族だ。

 大きさも子猫より少し小さいし、この子が母親ということはないと思う。


 ……というか、さっきから何をしてるんだろう。

 どこか真剣な眼差しで子猫を見ているようだが、人間にひたすら頭を撫でられているせいで緊張感が伝わらない。


 

「こらしょう子、威嚇しない。お前も抱っこな」



 あっ、子猫が人間に捕まった。



『相棒さん! 今そんな場合じゃ――ニャァきもちいい』



 "相棒さん"と呼ばれた人間は器用にふたりを抱きかかえたまま顎を撫でる。

 それにより、さっきまであんなに髪を逆立てて騒いでいたはずの子猫がみるみるうちに萎んでいった。


 その様子をボクや他に連れられた子たちはただポカーンと見ていた。



 ――いったい、何しに来たんだよ……



 たぶんそう思ったのはボクだけじゃない。


 だって、こんなこと初めてだ。

 いつもなら人間がボクたちを見比べて気に入った子を選んでいくのに、今回は脇役みたいに扱われている。


 それってつまり、大人しくしているボクたちよりあの騒がしい子猫の方が大切に思ってるってことなのかな……。


 一度考え始めると、どんどん気になっていく。

 もしかしたら、あの人間はボクを気に入ってくれるのかもしれない。

 でも、そうじゃない可能性だってある。

 現に人間が抱っこしている謎の生き物はすごく大人しい奴だし、やはり大人しくて賢い子が好きなのかもしれない。



 そんな風に思考を巡らせていると、いつの間にか人間の方からこっちに近寄ってきていた。


 

 ――ちょうどいいや。どんな奴なのか確認してみよう


『クンクン、クンクン……』



 ボクは謎の生き物の正体を探ろうと匂いを嗅いでみた。

 本当は人間以外にいきなり近づくのは叱られるんだけど、向こうから来たんだしいいよね—―って、そんな風に考えてるのはボクだけか。


 他の子たちも気になるはずなのに、相変わらず人間に触られるまで大人しくしているつもりらしい。

 


 ――ふん、そうやって賢くしてればいいさ



 ボクはボクの好きなように振舞う。

 この謎の生き物も、きっと賢く振舞ってるだけなんだ。


 悪戯してその正体を暴いてやる。

 とりあえずこの柔らかそうな頬っぺたを突いてみよう。



 ツンツン……



 あ、柔らかい。もちもちモフモフだ。

 

 そしてこの反応。

 私の悪戯が気に入らないのか、頬っぺたを突くたびに大きくて丸い目でジーっとこっちを睨んでくる。

 しかし、それ以上のことは何もしてこない。



 ツンツンツンツン……


『小さくて可愛い』


『……』



 そう、まさにお手本のような子だ。

 

 さっき匂いを嗅いでみた時も、人間の匂いが相当染みついていた。

 四六時中一緒にいないとそうはならないはず。

 相当可愛がられているんだろう。

 

 何の種族かは分からないけど、この子はボクや子猫とは違う賢い子なんだ。



 ――なんか、シラケちゃったな


 

 頬っぺたの感触は楽しかったけど、それ以上はない。

 ボクの興味はすでにこの子から次に移っていた。



『次はこの人間にツンツンしてみようかな』



 はたしてこの人間はどうだろう。

 賢い子が好きな普通の人間なのか、それとも騒がしい子が好きな変わり者なのか。

 それを確かめてみよう。


 そう思って人間に触ろうとしたその時――



『相棒に触るなぁあああ!』


 

 今まで一言も喋らずに大人しくしていた賢い子が、突然私に飛び掛かってきた。

 その動きはさっき見た子猫の俊敏な動きよりも遥かに素早い。


 ボクは反射的に頭を守る様に腕を出した。

 その次の瞬間、腕に強い衝撃が襲う。



『痛っ、何するんだよ!』



 何とか致命傷を防いだが、その衝撃で後ろに倒れ込む。


 ボクよりもだいぶ身体が小さいはずなのに、凄く強い力だった。

 だが、きっとあれが渾身の一撃だったに違いない。


 ボクはその一撃を防いだことにとりあえず安堵していたのだが、次にボクが見たのは大きく飛び上がる謎の生き物の姿だった。



 ……もしかして、あのまま落ちて攻撃する気なの!?


『え? ま、待って、降参! ボク降参する! ほら、お腹見せてるでしょ!』



 ボクはすぐさま降参した。

 それは、咄嗟にでたクセのような行動だった。


 いつもペットショップでは喧嘩してもすぐに降参しなければいけない。

 そうしないと人間に叱られるからだ。


 だけど、それが間違いだったとすぐに気付く。



『ホォー!』



 あの子、全くやめる気がない。

 獲物を仕留めるつもりの目をしている。

 

 小さいのにすごく獰猛で凶暴な子。

 賢いなんて嘘だ。

 全然いい子なんかじゃないんだ。


 ボクは目をグッと閉じ、痛みに備えた。



「里子、獲ったどー!」



 人間の声がする。

 そして来るはずの衝撃が来ない。



 ボクは何が起きてるのか確認するため、恐る恐る目を開けてみた。



『何するんだ相棒! こら、離せ!』


「ごめんな、里子。悪戯されてビックリしちゃったよな」


 

 そこには、空中で人間に捕らえられてる凶暴な子の姿があった。

 人間から逃れようとしているのかジタバタ暴れているみたいだが、人間はそんな子を大切そうにギュッと抱きしめる。



「よーしよし、もう大丈夫だから」



 謎の生き物は次第に大人しくなり、先ほどまでの獲物を狙う目から優しいものへと変わっていく。

 終いにはキュルキュルと鳴き声を出して人間に甘え始めた。



「――お前もごめんな、うちの里子がビックリさせちゃって」



 しばらくして、人間が呆然としているボクの方を見る。

 次に、何かを言ってボクのお腹をポンポンと触ってきた。


 たぶんボクのことを心配してくれたんだ。



『ボク、助かったの……?』



 ボクは確認するかのように見上げた。

 すると、人間に抱きかかえられている謎の生き物が仰々しく頷きながら言う。



『もうちょっかい出すなよ』



 威厳を出そうとしているのか緩んでいた目つきをキリっとさせている。

 正直、丸くて可愛らしい顔つきのせいで全く効果はない。


 だけど見た目に反して強いのも事実。

 一応敬意は払わないと。



『わ、わかったよ……ボス』


『ボスじゃない。サトコだ』



 どうやらこの子の名前はサトコというらしい。

 敬称ボスよりも名前の方が好きみたいだ。


 あまり序列に興味がないのかもしれない。

 変わった子だ。



『……わかったよ、サトコ』



 その後、ペットショップの人間と相棒と呼ばれる人間が話し始めた。


 その会話の内容は分からないが、この後の流れがどうなるのか大体分かる。

 ボクか、それとも大人しくしていた子のうちの誰かが引き取られていくんだろう。


 そして、やはりというべきか。

 ペットショップの人間が何度もボクの方に目を配らせる仕草から推察できる。



 今回選ばれたのは――ボクだ。



 サトコと同じくこの人間、相棒くんも変わり者に違いない。


 最初の子猫にサトコ、そして相棒くん。

 毎日が騒がしくて落ち着きのない、しかし絶対楽しいであろう群れかぞく


 そんな群れの一員になれると思うと、ボクは嬉しくなった。


 そうだ、改めて挨拶をしておこう。



 これからよろ『私を褒めろぉおお!!』――えっ?


 ツンツンツンツン


「ちょ、くすぐったい……というか激しい。全く、里子は甘えん坊だな」



 前触れもなく唐突に相棒くんへ悪戯を仕掛けるサトコ。

 それを笑って喜ぶ相棒くん。


 ……あれ、もしかしてこの中だとボクが一番賢い?


 

『ボク、この群れで上手くやっていけるかな……』

 


 これから苦労が増えそうな予感に、ボクは少し不安を覚えたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

独り暮らしにペットを添えて 秘密基地少年団 @secretbase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ