【創作小話/そうして一緒に焼いたのさ】

朶稲 晴

【創作小話/そうして一緒に焼いたのさ】

 嗚呼、何かが全身を巡っている。


 その日はすっきりとした晴天の朝だった。床を上げ、簡単な食事をし、髪に櫛を通して、着物を着替えた朝だった。

 奥の使っていた鏡の前を通った時、確か数年前もこんなことがあったなぁとふと思ったのだがそれが何年前のことなのかとんと思い出せぬ。

 はて、どうするか。

 縁側へ来て腰を下ろす。みしりと鳴ったのは床板かそれとも己の腰か。この家も自分ももう若くないのだと嫌な気持ちになった。


 嗚呼、腹の底で何か蠢いている。


「春史。」

 背後からかけられた声に聞き覚えがあった。

「やあ秋吉。悪いねぇ。」

 へらりとした春史の顔に秋吉は苦虫を噛んだような顔をした。

「あァ嫌だ。何が楽しくてこんなくたびれた男が見つめる中で木を伐らなきゃいけないのかねェ。」

「見られると興奮する質だろう?」

「耄碌ジジイがなんか言ってらァ。」

 鋸を右手に、履き物を左手に下げた秋吉がそのまま庭に降りる。

「この木か。これは桜だな?」

「そうだ。今日はこれを伐ってほしい。」

「俺ァ馬鹿じゃあないんだが。」

「阿呆ではあるだろう。」

「よく回る口だこった。」

 春史と秋吉は古くからの仲だった。学生時代に出会った仲間で、四季が名に入ることから意気投合した二人である。春史も秋吉も腕っ節がよく、二人で取っ組み合いの喧嘩をしたこともある。道具を使って喧嘩をする春史と己の力のみで喧嘩する秋吉は喧嘩の主義が合わなかったが、犬猿の仲と言われてもお互い離れることはなかった。

 二人が大人になり疎遠にはなったものの葉書のやりとりはやっていたので、秋吉が伐採業に就いたのも奥がいたことも知っている。

「秋吉、奥はどうした。息災か。」

「あいつならとうに斬ったよ。」

「その鋸で?」

「いンや。この鋸は二挺目だ。あいつを斬ったのはもう錆びちまった。」

「ろくな手入れもしなかったんだろう。」

「うるせェ。お、なんだこれは?……火傷痕。それも煙草の火を押しつけたような。」

 よくわかったねぇ、とくすくす春史が笑うと今度は真剣な面持ちで秋吉が言う。

「おめェが伐れ。」

 笑い声が途絶える。


 嗚呼、喉元まで何かが迫り上がってきている。


「これはおめェがやったんだろ春史。なら責任を持て。そもそもこいつを伐る約束をしたのはおめェじゃねェのかい。なァ、春史。」

 どくりどくりと心臓が脈打つ。おまけに冷や汗も出てきた。手が湿ってきたのとは逆に口の中が乾いて喉がひりつく。酩酊したように頭には霞がかかっていて正常な思考ができない。

「わたしは…。」

 秋吉が、嗤う。

「きるのは楽しいぞ。」


 嗚呼、口から何かが溢れ出しそうだ。


 その言葉にはじかれたように腰を上げ鋸を奪い取る。春史は木を伐ったことはなかったが、どうすればいいのかは本能でわかる。

 鋸を細い幹にあて、少し引く。かり、とたがいちがいに反る刃が樹皮に引っかかる。

 震えそうになる手を秋吉のマメだらけの手が包んだ。

「手はこう。足はこうして。そう…引いて、押して。上手じゃないか。」

 ぎっ、こ。鋸を引くと細かい木屑が削れ出る。秋吉が手を添えたのは最初の一往復だけですぐ手が離された。彼をみやると満足げな顔で続けろと促される。

 ぎっ、こ。ぎっ、こ。

 あとはもう止まらなかった。


 気づけば桜の木は伐り倒され足元に転がっていた。もともとそんなに大きな桜の木ではなかったから何だかあっけない。

「枝は可燃に出してもいいし、桜だしもしかしたら売れるかもなァ。どうする。」

「燃えるのか。」

「燃えるさ。生き物だもの。人間と同じさ。生き物だからきれるし、もえる。」

「なら、燃やすよ。」

「だと思った。奥と一緒に焼いたらどうだ。」

「もう骨しかないのに。」

「……冗談だよ。」

 昔の好だタダでいいよ、と言って秋吉は帰っていった。伐り倒された桜とともに庭に残った春史はぼうっとしていた。

 ふと、今年の春は悪心に悩まされることがなかったなと気づいた。春史は毎年春になると謎の体調不良に見舞われ湿った咳と共に血を吐くのが常だった。それが今年は、ない。


 嗚呼、いっそのこと吐き出したい。


 幹や枝葉は切り倒したが、まだ切り株が残っている。春史は素手で掘り始めた。爪が剥がれようと、血が滲もうと、休むことなく土を掘る。

 指先の皮が捲れ肉が見え始めた頃、それはコツンと春史の指に触れた。

 ちっぽけな骨だった。


「お前の死体を根元に埋めたのに、この桜は美しくなるどころか花すらつけなかった。」

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