詩『父とは、自分とは、愛とは』
渡辺羊夢
詩『父とは、自分とは、愛とは』
3歳の時に両親が離婚した
大学生のときに実の父と再会したが、全く顔も知らない人だった
当たり前だ、3歳で離婚した人の顔を覚えている訳が無い
恐らく大人になった僕に実の父を会わせておこうという母の配慮だったのだろうが、全く意味は無かった
むしろ、実の父を他人に感じてしまった現実が悲しかった
母子家庭が長かった
鍵っ子で、家に帰っても母はそこには居なかった
習い事をさせるのが好きな母で、色んな習い事をした
自分が出来なかったことを子供にさせたいという典型的な親だ
お陰で友達と遊ぶ時間は少なかった
いつも友達のグループの端っこに加えてもらって、後ろにくっついていた
よく大人から母を困らせない良くできた子供だと言われた
恐らく本音を隠して母に気を遣っていただけだ
そのツケは後で回ってくる
小学生の時に母は再婚し、新しい父が出来た
新しい父は母の職場の同僚で、再婚する前から何度も会って可愛がってもらっていたので抵抗は全く無かった
名字が変わった
弟が生まれた
父方の祖母と父、母、僕、弟の5人生活が始まった
祖母は初孫に喜び、父と母は念願の自分達の子供が出来、弟を溺愛した
僕は実家に居場所が無くなった
大学は実家を離れ、遠くの大学へ行った
今思えば当然の帰結だ、実家にそのまま居たら気が狂って居ただろう
しかし、結局大学院の時に精神を病んだ
精神病院で再会した両親に、俺がこんなになったのはお前らのせいだと言ってやった
スカッとしたが、虚しさだけが残った
それから時が経ったが、未だに結婚もしていない
子供も居ない
自分は両親のように絶対に子供を不幸にしないと強く思えば思うほど、一歩が踏み出せない
人と結婚して子供を作って、その子供を幸せにする自信が無い
自分がそうされてこなかったから
父がふと間違えたかのように僕を君付けで呼んだことを、その時の父の申し訳無さそうな顔を今でも覚えている
その瞬間、結局自分はこの人の子供にはなれなかったんだと痛感した
父に余所余所しくされることほど悲しいことはない
父は病気で数年前に死んだ
片親で育つというのはこういう事だ
世の中の簡単に離婚を選ぶ親よ、良く良くこの現実を受け止めろ
子供の人生を弄んだお前らの罪は重い
お前らに同じ苦しみを与えられないのが本当に残念だ
片親で育った子供は本当の愛を求めている
お前らにその愛はあるか
幼少期に十分な両親の愛を受けられなかった子供は精神を病み、自殺を選ぶ
自分の存在を肯定出来ないからだ
自分はこの世に必要な存在では無かった、自分はこの世に生まれてきてはいけなかったのだと思ってしまうからだ
自分も3度死にかけた
それでも、こうして生き残った事に何かの意味があると信じてこの人生を続けている
本当の愛を知らない僕は、この先誰かを愛することが出来るのだろうか
詩『父とは、自分とは、愛とは』 渡辺羊夢 @watanabeyomu
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