カセットテープ

増田朋美

カセットテープ

カセットテープ

暖かい日で、一寸部屋を閉め切っておくと、暑いなと思われるくらいの日だった。暑くても学校というものはちゃんと稼働していて、いつもと同様に授業が行われているのである。その学校というところに、うまく順応できる生徒もいるが、其れにはなじめないで、学校へいけなくなってしまう生徒もいる。この辺りの生徒をどう動かしていくかが、今後教育関係者に課された課題であると言えるのだが、生徒同士ではどうなるか。そのあたりを描いてみたい。

今日も、製鉄所には、石塚聡美という女性の利用者が、毎日規則正しく通ってきていた。彼女は確か、通信制の高校に行っているという話しだったが、家の中でひとりで勉強しているのも、一寸嫌なので製鉄所で勉強させて貰いたいということになっていた。基本的に、彼女は学校に通わず、授業はオンライン授業という形態で、スマートフォンから送られてくる、先生が授業をしている動画を見て、勉強するというスタイルで高校生活を送っていた。ただ、通信制高校というのは、完全にオンライン授業で賄えるかというわけではなく、月に一度か二度は学校に通わなければならない日が設けられているのだった。それを専門用語で、スクーリングという。スクーリングでは、学校の先生に、勉強の進展具合を報告したり、面接指導で無ければできない授業が行われる。石塚聡美もそのひとりで、月に一度ほど、学校に行って、指導を受ける日が設けられているのである。今日は、その学校で授業を受ける日なのだ。

「じゃあ、行ってきます。」

石塚聡美は、靴を履き、鞄をもって、玄関を出ていった。通信制の高校なので、制服は基本的に設けられていない。なので、彼女は、スーツ姿で高校に通うことになっていた。

「はい、気を付けて行ってきてください。」

ジョチさんは、元気にそういって、外へ出ていく彼女を、にこやかに笑って見送った。製鉄所に来たばかりの時の彼女は、やたらおどおどしていて、こんなんで本当に通信制高校に行けるのだろうかと思われるほど、人をこわがっていたが、最近はそうでもなくなってきて、元気に通信制高校に通うようになっている。そういうことができるようになっているので、少し彼女も楽になってくれたのかなとジョチさんは思っているが、扱う相手は機械ではない。スイッチを入れれば稼働してくれるというものではなく、スイッチを入れたつもりが、逆に誤作動される事もあり、いや、そっちの方が数多い。どんな利用者であっても、あまりにも従順で扱いやすいという人はいない。人間をあずかるという商売は、マニュアルなんてあっても、何の役にも立たないで、精密機械をいじっているのと同じようなものだ。

「行ってきます!」

と言って、走っていく彼女を見て、少しは変わってくれたのかなとジョチさんは思った。

其れから、お昼の時間になった。外で食事をして帰ってくる利用者もいるし、杉ちゃんが作ってくれた、お昼ご飯を食べる利用者もいる。その人数は半々である。午前中だけ利用してあとは自宅へ帰る者もいれば、午後だけ利用する利用者もいる。製鉄所の利用の仕方は実に様々だが、どの利用者にも共通して言えることは、必ず多かれ少なかれ問題を持っているということであった。

「ただいま戻りました。」

と、石塚聡美が製鉄所に戻ってきた。利用者の何人かが、聡美ちゃんお帰りとにこやかに言って出迎える。石塚聡美の学校は教室が三つしかないので、生徒は、午前中のみか、午後のみかのいずれかで通っている。通信制高校は、立派な校舎を構えることはできず、貸店舗を借りていることがほとんどだからだ。

「聡美ちゃん、今日は学校どうだったの?」

と、利用者がいうと、

「まあいつもと変わらないかな。今日も授業を受けてきただけだから。」

石塚聡美は、いつもと変わらずに答えた。昼食はと杉ちゃんが聞くと、聡美は駅近くのレストランで食べてきましたとだけ答えた。其れについて、何か吟味するということはない。外食すると言っても、聡美の場合、月に一度か二度だけであるからだ。

「じゃあ、私、宿題やってきます。最近宿題がたまっちゃって、困ってしまっています。」

と、聡美は杉ちゃんたちに言って、自分の与えられた部屋に入っていった。製鉄所は、いくつか居室が設けられている。そこはレンタルルームのように勉強部屋として借りる人もいれば、住み込みで利用する者もいる。聡美は、レンタルルームとして部屋を借りていた。聡美は、部屋に入って、宿題を

やり始めた。宿題が沢山あるというが、通信制の高校で忙しくなるほど宿題を出すというのも珍しい事だった。

そのまま、製鉄所はいつも通りに時が過ぎた。製鉄所の時間の流れ方は、ほかの場所よりゆっくりだという人が多いが、多分自分のすることに専念できるから、そういう事をいうことができるんだろう。

「こんにちは。」

ひとりの若い男性の声が玄関先から聞こえてきた。丁度、着物を縫っていた杉ちゃんが

「はいはい、ここにいますだよ。」

と言って、急いで玄関先に向った。幸い製鉄所の中は、全く段差がないように作られているので、車いすでも平気で行動できてしまうのだ。

「お前さん何者だ?」

と、杉ちゃんが言った。確かに見かけたことのない男性だ。まだ、20代後半から30代前半といったところだろう。会社員の着ているスーツと似たような恰好をしているが、革の鞄ではなく、布の鞄を持っているので、学生と分かった。でも、スーツは何処か汚れていて、シミが沢山出来ていた。ということは、スーツを一枚しか持っていないということだろうか?

「僕ですか、名前は太田誠一です。あの、石塚聡美さんの同級生です。」

と、彼は言った。

「太田誠一ね。で、何のようで、ここへ来たんだよ。」

杉ちゃんがいうと、

「はい、今日は登校日なのに、聡美さんが学校に見えていなかったので、心配になって、様子を身に来ました。」

と、彼は言った。

「聡美さん、学校に行ってなかったのか?」

と、杉ちゃんがそういうと、

「はい、今日は来ていませんでした。ほら、こういう通信制の学校って、月に一度か二度しか登校日がありませんし、一度逃すと、来月まで授業を受けられないから。それでは聡美さんがかわいそうだと思ったので。」

彼はにこやかに言った。

「聡美さんのために、授業をカセットテープに録音してきたんです。もし、これでよろしければ、参考にしてください。」

誠一さんは、布製の鞄を開けて、カセットテープを二つ取り出した。丁寧に、現代文、数学とタイトルもしっかり書かれている。

「はあ、今時、カセットテープ?」

と杉ちゃんが聞くと、

「はい、すみません。本当は、スマートフォンか何かで録音すれば良いと思いましたよね。ですが、僕は、スマートフォンを持ってなくて。」

と、誠一さんは答えた。

「はあ、今時持ってないとは珍しい。でも、お前さんが聡美さんのために授業をカセットテープに取ってきてくれたことは嬉しいな。直接本人にあって、ちゃんとお渡ししてくれ。」

杉ちゃんは、彼を聡美さんの居室に連れて言った。

「おい。聡美さん。お前さん、今日学校へ行ってなかったんだな。それで、お前さんの同級生の、太田誠一君という人が、授業をカセットテープにとってきてくれたぞ。」

杉ちゃんは聡美の居室のドアを開けて、どんどん中へ入ってしまった。ちなみに製鉄所の部屋は外からカギをかけることはできるようになっているが、中からカギをかけるということはできないようになっている。なので杉ちゃんは直ぐに入ってしまうのであった。

「あ、あの、聡美さん。今日どうして学校に来なかったんですか。授業をカセットテープに取ってきました。これきいて、レポートを書いて、提出すれば、単位は落とさずに済むそうです。」

誠一さんは、聡美さんにカセットテープを差し出した。

「こんなもの。」

と、彼女は嫌そうな顔をする。

「まあ、でもありがたく受け取れや。カセットテープなんて確かに古い媒体かもしれないけどさ。でも、お前さんのことを思ってやってくれたんだし。」

杉ちゃんがそういうと、

「そう、確かに私のラジカセには、カセットテープはかけられるようになっているけど。何十年もつかってなくて、稼働するかどうか。」

と、聡美は小さい声で言った。

「だれか、カセットテープをかけられるものを持っているやつはいないかな?誰か持ってるやつに課してもらって、急いで聞かせてもらおう。」

杉ちゃんがデカい声で、

「おーい、誰かカセットテープを再生できるものを持っている奴はいない?」

と、廊下から声をかけるとひとりの利用者が、あ、私あります、と言って、一台のラジカセを持ってきてくれた。

「カセットテープいいですよね。デジタル録音だと、どうしても雑音が入って嫌なんです。それに、ディスクでは、途中から何回も再生できないし。カセットテープだっていいこといっぱいあるわよ。」

そういう女性利用者は、一寸感覚過敏なところがあるのだった。デジタル録音で録音したものだと彼女は完璧すぎて嫌だというのだった。なので現在でもカセットテープを使っている。そういう障害のある人のためにも、カセットテープをなくさないで、残してもらいたいものだ。

「よし、これで授業を聞こう。」

と、杉ちゃんは急いでラジカセの電源を入れて、その中にカセットテープを入れた。再生のスイッチを押すと、優しい声で数学の授業が開始された。

「とめて!」

と急に石塚聡美がいった。

「どうしたの?」

と、杉ちゃんが聞くと、彼女は涙をこぼして泣き出してしまう。

「どうしたんだよ。頭の中にため込んでいくのはよくない。ちゃんと話せることは話してみな。それを話すということも大事なことだぜ。」

杉ちゃんに質問されては、答えが出るまで話すのをやめないのが杉ちゃんであるのだ。其れも正確な答えを言わないと、質問をしつこくつづけられる。聡美も、杉ちゃんのその性質は知っていた。

「ええ。実はね。」

と彼女は口にした。

「もう、優等生をやっていくのは疲れてしまったのよ。」

「疲れた?」

杉ちゃんに言われて、聡美は小さく頷いた。

「だって、前の学校でも、お前は絶対国立大学に行かなきゃダメだって、頭が痛くなるほど聞かされて、それで精神がおかしくなって、今の高校に行きだしたのに、それでまた同じことを言われるんだもの。」

「誠一君、本当にそういう事実はあったのか?」

杉ちゃんが聞くと、

「いえ、先生が、そのようなことを言っていたことは何もありません。だって、僕たちの学校では、進学率がどうのなんて話題になったことは一度もありませんよ。50歳とか、60歳とか、場合によっては、80歳近い、おじいさんやおばあさんも学校にくることがあるんです。そんな人に、なんで国公立に行かなきゃいけないなんていう必要があるんですか?」

と、太田誠一は答えたのであった。確かにそうだろう。通信制高校はただでさえ、普通の学校にいけなかった生徒が、沢山いるのだから。進路だって、普通の高校みたいに全部の生徒が進学するということはまずない。

「じゃあ、なんで、お前さんは、自分が国公立大学に行かされていると思ったんだ?」

「聡美さん、誰もそんなことは言ってませんよ。先生たちは、聡美さんが前の学校でひどいことを言われているってちゃんとしっています。だから、安心して学校に来て下さいって、今日言ってました。だから、次の登校日には必ず来てください。」

杉ちゃんがそういうと、誠一もそういうことを言ったのであった。

「そんなことないわ。結局、先生なんて、同じことでしょう。みんな結局、進学率の事しか考えていないのよ。学校の先生なんて、そんなものよね。今度こそ、国公立大学のことを言われないで安心して高校生活を送れるって、校長先生は言ってたけど、そんなの嘘よ。みんな私のことを、国公立大学に

行くと言って、期待しているのよ。」

そういう彼女は、そのような妄想を抱いているのかもしれなかった。

「そんなことありません。先生方が、そのような発言をしたこと、今までありませんでしたでしょう。このカセットテープの授業の時だって、朝の学活の時も、帰りの学活の時も、そういうことを言っている先生は一人もいませんでした。もし、必要がありましたら、そういうところも取ってきましょうか?」

誠一がそういうと、

「でも、口に出して言わなくても、態度で分かるわ。私が、国公立大学へ行くように、先生はマインドコントロールしているのよ。先生の態度は、私が成績が良いから、それで国公立にいけると信じ込んでるわ。学校の先生なんて、ほんと、冷たい人ばっかりね。私には、そういうことしか与えられ井のかしら。私は、学校の先生の人形でもないし、プロパガンダでもない。私は、大学何て行きたくないのに。」

と、聡美は、一寸涙をこぼして言うのだった。

「ほんなら先生にそういえばいいじゃないか。自分は大学へ行く意思はないと。」

杉ちゃんがそういうと、

「私、何回も言いました。先生は、そのようなことは絶対ないと言いますが態度で国公立に行くように、責めるんです!それは態度を見れば分かります!」

と、彼女は怒りをこめて言った。

「でも、先生は、そのようなことを言ってはいません。それは、どの先生もそうです。だから、学校に来てください。もし、先生が、実際国公立の大学へ行けと言うんだったら、ほかの生徒さんだっているんですから、学校へ保護者が来て、大問題になるはずです。僕たちの学校はそういうところですよ。だから、来月の登校日は、必ず学校に来てくださいよ!」

「まあまあ二人とも落ち着け!」

と、杉ちゃんはデカい声で言った。そういう風に極端すぎる態度を取ってしまう生徒が多いのも、通信制高校の特徴かもしれなかった。

「誠一君も、聡美さんも互いの言いたいことは分かる。でも、其れとそれがぶつかりっこすると直ぐ壊れちゃうんだよな。どっちかがやわらかければ大丈夫何だが、やわらかい心を持てと言ってもそれは無理だろう。なぜなら、お前さんたちは傷ついているんだから。」

誠一も聡美も、頭を垂れたまま、答えなかった。

「まあでもさ、誠一君がこうして授業をカセットテープに取ってきてくれたほど、お前さんのことを思ってくれているってことは感謝しような。それと同時に、お前さんはそういうことができるほど、徳があるということにもなるぞ。だから、自分の存在をもうちょっと認めてあげよう。」

「でも私、もう優等生と呼ばれたくない。もう国公立大学行って、幸せに成れとも言われたくない。だから、もう学校は行きたくない。そんな態度を取る、学校の先生も嫌い。」

聡美はそこまで固まってしまっていた。誠一はどうしたらいいんだろうという顔をしている。

「すみません、聡美さんの気持ち分かってあげられなくて。僕はただ、聡美さんにあこがれているだけであって、何も悪意はないのです。僕はただ家の事情で、家事をしなければならないので、全日制の高校に行くことができなかっただけで、聡美さんのように、傷ついているとかそういうことではないので、、、。」

「そんなこと、責めないでいいんだよ。」

と、杉ちゃんは静かに言った。

「誰かがいつまでも同じままでいたら、一生瀬戸物のまんまで、終わってしまうこともある。そのままでは、やっぱり苦しいだろうし、世渡りもできないだろ。聡美さんが、もう少し、感じすぎないで暮らせるといいんだけど。」

杉ちゃんがそういうと、また玄関の戸がガラガラっと開いた。

「こんにちは、天童です。皆さんお元気ですか?」

やってきたのは、ヒーラーの天童あさ子先生であった。もともと水穂さんのために来ているのであるが、杉ちゃんはここである事を思いついた。

「ああ、天童先生ですか。あのさあ、ここに、一寸敏感すぎて疲れ切ってしまっている女性がいるんだ。一寸それを和らげてやってくれないものかな。あの霊気とかいうもんで、彼女を何とか癒してやって欲しいんだ。」

杉ちゃんが玄関先に向ってそういうと、天童先生はお邪魔しますと言って、杉ちゃんたちがいる方へやってきた。

「えーと、クライエントさんは?」

「こいつだ。名前は石塚聡美さん。商売は、高校生だ。」

杉ちゃんは、聡美さんを顎で示した。

「あのな、彼女は、どうしても周りの大人の態度から、自分が過剰に期待されていると思い込んでしまっている。だから、それを和らげて癒してやってほしい。それが体験できれば、また変わるかもしれない。」

「私、なにか悪いことでもしたのかしら。私は感じたままをお話ししただけなのに。」

と聡美はなにが起きるのか不安そうに言った。

「聡美さん。」

と、誠一君がきっぱりという。

「聡美さんは、学校の先生の態度を見て、自分が国公立大学へ行かされるのではないかと、感じ取ってしまうんです。それは前の学校でひどく傷ついていて、自分が苦しいからそうなってしまうので会って、聡美さんは何も悪くありません。でも、いつまでも、人間不信感を募らせていたら、苦しいままで生きていくことになる。それではあまりにも辛いから、ここにいる先生に心の辛さを和らげて貰いましょう。」

「いいねえ、誠一君。そうやって説明ができるやつはなかなかいないよ。お前さんはそういうことを生かした仕事につけるといいね。」

杉ちゃんがカラカラと笑った。

「分かりました。まずは、聡美さんの心の傷を癒すことから始めましょう。聡美さんは何もしなくていいのよ。ただ私が、感情と体のバランスを整える治療をするから。じゃあ、椅子にでも座って貰えるかな?今から、聡美さんの体を一度ヒーリングするから。」

天童先生は、聡美を机の前の椅子に座らせた。誠一君が、聡美さん頑張ってと言って、丁度再生が終わった、数学の授業のカセットテープをケースにしまった。

「本当は、聡美さんのこと好きなんだろ?」

と、杉ちゃんがそっと誠一君に聞く。

「何を言っているんですか。彼女は、資産家のお嬢さんですし、僕みたいに、母子家庭で母しかいない家庭の人間とはえらい違いです。そんなことあるわけがありません。」

と、誠一君は答えるが、

「いや、そういう気持ちが無きゃ、授業をカセットテープにとることはしないよなと思って。」

と、杉ちゃんは悪戯っぽく笑った。

「でも、そうだとしても。」

と誠一君は答える。

「僕と、聡美さんではつりあいません。聡美さんは、僕とは、育った環境が違いすぎる。それでつきあったりでもしたら、絶対彼女は傷つきます。そんな思い、彼女にさせたくないんです。」

「偉い!」

杉ちゃんは誠一君の肩を叩いた。






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カセットテープ 増田朋美 @masubuchi4996

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