涙の理由

@J2130

第1話

 こだわりってね、人それぞれです。

 ファッション、車、レストラン、煙草、本、靴、いろいろですね。

 他人からみれば“そこか? ”ってところにこだわっていたり。

 まあ、それがこだわりなんでしょうね。


 5月の連休あけに娘が産まれ、その年の12月にある封筒がきた。ほぼ同じ内容だけど、差出人というか会社名がちがうものが3通来ました。

「初節句、年内特別割引!」

 ひな人形の割引セールのご案内で、いずれもカラーでいい紙を使ったきれいなカタログ入りだった。

「どこでこうゆう情報を仕入れるんだろうな‥」

 といつも思うけれど、きっと名簿屋さんがいるんですね。

 娘が産まれたその年の年末、僕らは数枚の案内用紙のなかからひとつだけ選んでその人形メーカーに電話した。

「ありがとうございます‥」

 電話に出た人はうれしそうにそう言った。

 さっそく予約をいれた。

 初節句は3月なんだけど、そんなに早く準備するのかな‥。


 車で行くと伝えてあったけれど、大きいそのビルには駐車場はないようにみえた。とりあえず路上に停めてお店に入ると、

「お待ちしておりました、車ですよね‥。キーをお借りできますか‥、弊社の駐車場に停めてきますから‥」

 僕はまだ半年の娘とベビーカーを車から出し、キーを預けた。

 別の定員さんが僕と妻とベビーカーの娘を上の階に案内してくれた。

 そのフロアーに行くと、

「かわいいですね‥、鼻筋が通っていて、美人になります」

 ほめ上手な年配の男性が僕らに付いた。

 そこには、もう、見たこともないくらい、何体、何セットものひな人形が並べられていた。

 すごい‥、壮観だね。

 娘は泣きもせず、なぜかごきげんでベビーカーにおさまっている。

 妻はうれしそうに人形を見てまわっていた。

 値段はね、ピンからキリまで、何段飾りから内裏様とお雛様の二体のみのものもある。

 男の僕から見ても、きれいだし、そう、人形によりお顔も違うし、作りもちがう。少しでているお雛様の手もきれいだ。

 妻は、

「りほ、どれがいいかな‥」

 楽しそうに娘に話しかけている。

「美人さんだね、よかったね、お人形買ってもらえるんだね」

 上手だな、この社員さん。それに安心感がある、体型がちょっと太っているからかな。

「何か値段の差ってあるんですか‥」

 男はいけないね、そうゆうことを訊くから。

「いろいろありますが‥」

 何段とか人形の数もそうだけど、作り、特にのお顔、いいものは職人さんが手掛けていて、飽きのこない気品のあるお顔だとのこと。。

 着物も同じで、素材、縫い方からちがい、高級感が高いもにはあるとのことだった。

まだ一歳にもならない娘にはよくわからないよね。

妻は本当に楽しそうに見ている。でもさ、狭いマンションには何段飾りなんて入らないし、大きさだけは考えて欲しいな。

一応カタログで見たもの、お内裏様とお雛様のお二人の親王飾りにしようとは言っていたんだけれど。

「この写真のはどれかな‥」

 僕は訊いてみた。たくさんあってわからなくて。

「こちらですね‥」

 ほぼフロアの中央に連れていかれてお目当ての人形を見た。

 綺麗でかわいいいお雛様だ。お内裏様も凛々しいし、男の僕が見ても

“これはかざりたいな‥”

 と思うような美しいお二人の姿があった。

 サイズはここだとそうでもないけれど、マンションだと少し大きいかな。

 妻は立ち止まって見ている。思い入れが違う。

 娘はベビーカーから妻をじっと見ているね。笑っている。

「綺麗‥、お雛様が気品があって綺麗‥」

 僕を見る妻。

「やっぱりこれにしようかな‥。お値段がね、ちょっとだけどね‥」

 値段を気にしているんだね、でも初節句だから。

「とりあえず候補にしておけば、他のも見る‥?」


 結局この親王飾りのお人形にさせてもらった。

 来年二月の大安の日に配達してもらう段取りにし、端数の金額は切り捨ててもらった。

 当時の僕の給料の約一か月分のお値段でしたね。


 車で帰る途中、信号待ちをしていると、後部座席ですすりなく声がした。

 真後ろのチャイルドシートにおさまる娘の声とはちがう、大人の泣声がした。

「うん‥?」

 左から振り返って妻を見ると、ハンカチで目を抑えながら泣いている。

 僕はなんかしたか‥、失言があったかな‥。もっと高いのを買いたかったのか‥、すぐキャンセルすれば大丈夫だよな。

 いろいろと一瞬にして考えた。きっと僕が心無い言葉や行動をしたんだろうな‥。結婚してまだ二年たってないので、お互いの生活とかすり合わせたり、調整している最中なので、齟齬がまだあったりする。

「どうしたの‥」

 僕はおそるおそる妻に訊く。すぐにあやまるつもりでね。

「うん‥、ごめんね‥」

 妻がなぜかあやまる、僕のせいではないようだが、どうしたんだろう。

「ありがとう‥、高いの買ってくれて、いいの買ってくれて‥」

 値段なんかいいのにね、賞与も出たし。

「大丈夫だよ、初節句だし」

 僕が前を見ながら言うと

「うん‥」

 と妻は言った。

 ルームミラーで確認すると、少し落ち着いたようだ。

 妻は娘の頬をなでている。

「あのね‥」

 僕は運転しながら聞いた。もうすぐ冬の日が落ちるころだった。

「いいの買いたかった‥、だからうれしい‥」

「僕もだよ、うん」

「実家のはね、姉のなの‥。姉の物って感じでね‥、すごくいいもので、毎年私が飾るの‥、飾るのが楽しみで‥。年代もので、だけど姉が産まれたときに本家のほうから頂いた、いいものなの‥」

 去年僕もいっしょに飾った。七段で年代物で素人の僕が見ても非常にいいものだった。妻の実家は母方も父方も古い家系で、とくに父方の本家というのは大きく、我々の披露宴でも本家の長男さんが来て妻の親族はみなさん丁寧にごあいさつをしていた。

 薬剤師、薬局経営者が父方には多かった。

「私ね、自分だけのが‥ずっとね‥欲しかった‥」

 妻のご実家は資産はあると思うけれど、妻だけの人形は‥。

「あの七段飾りはお姉さんと共有だと思うけれど、違うのかな‥」

「うん‥、実家の物、姉の物って‥そんな感じで‥」

 難しいんだな、旧家とかそうゆう家庭でもいろいろあるんだな。

「だからこの子にはね‥、りほにはね‥、いいのが‥欲しかった‥」

 最後のほうは声がかすれてた。

「よかったね‥」

「うん、よかった‥、すごくよかった‥ありがとう‥」

 妻はまた泣いているようだ。

娘はきっと寝ているね。車の揺れが好きだから。

ルームミラーを覗くのもいいんだけれど、妻はあまり泣顔はみられたくないだろう。

「うれしい、りほのいいのが買えてすごくうれしい‥」。

 妻は泣きながらまたそう言った。


 毎年喜々として妻は我が家と実家の二つのひな人形を飾っている。とくに我が家の人形は、ひな祭りが終わっても長くそのままにしている。

「婚期がおくれる」とかよく言われているが、かえって

“そのほうがいい”

 と妻は思っているようだ。僕もそうだが大切な一人娘なので、僕も妻も長く娘といっしょにいたいからね。

 まあ、いつまでもいられても困るけれど。

 ひな祭りの時期になり、ひな人形を楽しみながら飾る妻を見ると、あの涙声を思いだす。

 こだわりと言ったら変なのかな。

 でもよほどうれしかったのだろうね‥。

 買ってもらった娘より、ずっとずっとうれしかったんだろうな。

                            

                                     了

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