増田朋美

今日は曇っていてやや寒いと感じる日であった。その日、杉ちゃんが、製鉄所の中でそろそろ浴衣を縫いたいなと言いながら、現在流行っていると言われる木綿の着物を縫っていたところ、

「こんにちは。一寸、よろしいでしょうか?」

と、誰かが玄関先で言っているのが聞こえてきた。杉ちゃんが何ごとだと思って、玄関先に移動すると、応接室からジョチさんも出てきて、玄関先に行った。玄関先にいたのはジャックさんだった。とりあえず、ジョチさんは、玄関先で話しても仕方ないと言って、ジャックさんを応接室に入らせ、ソファーに座らせた。

「どうしたんですか。何だかずいぶん暗い顔していらっしゃいますけど。」

ジョチさんがいう通り、ジャックさんは、何かあったらしくがっかりした顔をしているのであった。

「もしかして、又武史君が学校から呼び出されたの?」

と、杉ちゃんがジャックさんにいうと、

「はい、そうなんです。しかも今回は、特別講師として来てもらっている、美術の先生を怒らせてしまったようで。」

と、ジャックさんは困った顔をしていた。

「はあ、又岡本太郎みたいな絵を描いて怒られたのか。とりあえず、事件の概要を教えてよ。」

杉ちゃんに言われて、ジャックさんは、

「はい。みんなで学校の庭の櫻の木を写生するという授業だったようですが、木とは似ても似つかない物体を描いてしまって、幾ら先生が注意しても、僕には木はこのように見えるんだと主張して聞かなかったそうなんです。それで、美術の先生がお怒りになった見たいで。」

と、答えた。

「女性の先生ですか?」

ジョチさんが聞くと、

「はい、女性の方です。なんでも東京芸術大学を出られたすごい先生で、特別講師として武史の学校に来ているようです。保護者の皆さん、すごい先生として、もう奉るような態度を取っているんですよね。」

と、ジャックさんは答えた。

「はあ、芸大行ったのに補助教員なの?ろくな奴じゃないな。」

杉ちゃんがそういうと、

「でも、僕は全然知りませんでしたが、東京芸術大学と言いますと、なんでもすごい大学だそうじゃないですか。日本の美術学校の最高峰とか。」

とジャックさんは言った。

「そんなことはない、むしろ、日本は、学歴があればあるほど、がたにはまった馬鹿が多いから、そういう奴のいうことなんて気にしないでいいの。」

「まあ確かに、そうかもしれませんね。芸大出の美術教師と言いますと、普通は小学校で教えることはあまりないでしょうからね。僕みたいに、わけがあるか、事情があったのでしょう。しかし、武史君が、岡本太郎のような絵を描くのは問題だと思いますよ。もちろん、岡本太郎さんは悪い人ではないですけれども。六歳の子供が、ああいう絵を描くのは、どこか悪いところがあると思ってしまいますね。それにしても、今回はまずかったですな。特別講師の、芸大出の先生を怒らせてしまったんですから。」

と、ジョチさんが解説すると、

「はい、学校の先生にも言われました。明日の神話のような絵ばかり描いているのは、精神的に何か問題があるんじゃないかって。イギリスでは、そういう事で問題になることはなかったので、どう対処していいかなんて分からないんですよね。」

ジャックさんはがっかりとして言った。

「まあねえまったくねえ、日本では一寸でも違いが出ちゃうと、そうやって呼び出す国家なんだよな。その点、進路とか、点数とかそういうことは、都合良いように押し付ける癖にね。まあ言ってみれば、上のいうことを都合よく聞く、無能なイエスマンの人間ばかりが理想的って事かな。日本では。そして、高級な学歴を持っている奴には弱いと来ている。全くね、そういうお粗末な、なんて個性のない国家なんだろう。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「それに、岡本太郎だって、悪い奴じゃないと言うが、海外では高く評価されている芸術家のひとりであるわけだし、別に岡本太郎の明日の神話みたいな絵を描いたって、何も悪いことはないんだよ。それが、問題視されて、補助教員が怒るって言う方が問題だと思うけどね?」

「そういってくれると、嬉しいんですが、学校の先生は、うちの学校が私立である事をもう少し認識してもらいたいと言いました。武史が美術の授業で描く絵は、問題が多すぎるということです。そうはいっても、本人がそう見えるとしているので、こちらとしてはどう対処したらいいのか分からないんですけどね。本当にどうしたらいいんだろう。とりあえず学校の先生には謝ってきましたけど。やっぱり学校は変わった方がいいのかな。其れとも、そのまま学校に残ってもいいものでしょうか。他の生徒さんにも影響を与えかねないと、学校の先生はおっしゃってましたけど。」

ジャックさんは、またこまった顔で言った。

「そうですね。之ばかりは、本人に何とかしてもらうべきでしょう。武史君が無理やり学校を変わってしまったら、また順応できなくなって問題を起すことにもなりかねませんしね。本人が学校を変わりたいと言っているのなら、話しは別ですが、そういうわけではないんだったら、無理やり動かしてしまうことはどうかと思います。」

ジョチさんがジャックさんに答えのひとつとして、そう提案した。

「もし、学校で、十分なサポートがえられないのであれば、学校以外に武史君を何とかしてくれるところを探すというのもひとつの手ではないでしょうか。まあ、この辺りは、そういう施設に消極的ですからなかなか、みつからないとは思うんですけど。ただ、本人の意思をつぶしてしまうことは避けた方がいいとは思います。」

「そうですか、、、。何だか、どうしたらいいものか、僕たちもよくわからないということでしょうか?」

「ええ、そういう事だと思いますね。まだ、武史君のような個性が強い子をどう扱うかは、今の教育現場でも答えは出ていませんよ。まあ確かに、通信制の高校のようなものがちらほら富士にも出てくるようになってはいますが、其れだって、十分な対策を取っているとは言い難いですもの。大変だとは思いますが、武史君が将来悲惨な人生にならないために、今のうちからしっかり対策を取って言ってください。武史君は今どうしていますか?」

ジョチさんがそう聞くと、ジャックさんは、学校で補習を受けていると答えた。なんでも授業妨害も

はなはだしいというのだ。授業中に質問ばかりして、周りの生徒に迷惑をかけているという。それを迷惑だと生徒から直接言われたことはないので、本人は気にしていないというが、先生たちからしてみたら、授業を邪魔されるので、大問題といったところだろう。

「とにかくですね。武史君が、学校に行きたくないと言いだしたら、それは無視してはいけません。そうなったとき、単におろおろするのではなくて、じゃあこういう選択肢があるよと提案してあげるのが、親の務めだと思ってください。」

ジョチさんに言われてジャックさんは、

「はい、分かりました。今日は話を聞いて下さってありがとうございました。答えが出たというわけでは無くても、聞いてくれる人がいるだけで、すごく嬉しいです。まあ確かに学校のことは、武史が口にしないと分からないですよね。」

と、ため息をついて言った。

「それに、言いだすのをまっているという姿勢もダメだぞ。ちゃんと武史君の態度をよく観察してね。」

「はい、分かりました。そういうことができるように頑張ります、ありがとうございます。」

ジャックさんは、ありがとうございましたと言って、椅子から立ち上がった。杉ちゃんとジョチさんは、応接室から、ジャックさんが帰っていくのを見送った。

其れから、その数日後の事である。

杉ちゃんと、ジョチさんが文房具屋に用事があって、外出していた時のこと。丁度二人が、バラ公園を訪れた時の事である。

「あそこにいるの武史君じゃないか?」

と、杉ちゃんが、公園の池の前に、画板をもって座っている少年を指さした。隣に誰かいるのかなとおもったら、30代くらいの若い女性が一緒にいるのが見えた。

「武史君!」

と、杉ちゃんが声をかけると、

「あ、杉ちゃんと理事長さん。こんにちは。」

武史君は後を振り向いてあいさつした。そういう挨拶ができたり、社交辞令はうまいところが、また武史君の症状につながっているのかもしれなかった。

「今日は。今日は一体どうしたんですか?こんなところに、画板を持ってきて。」

ジョチさんがそう聞くと、隣にいた女性が、

「ええ。彼に写生をさせる練習をしているんです。今池にいる鴨を描いてみろと課題を出して見たんですが描いたものはご覧の有様です。」

と、武史君の画板を二人に見せた。確かに、画像に描かれたものは鳥の絵であった。そこだけははっきりしている。しかし、その色も、池にいる鴨とは明かに違っていた。池にいる鴨は、緑の首をしていて、灰色ががった羽をした、いわゆるマガモと言われる鴨なのだが、武史君の画板に描かれている鴨は、全身赤色で、周りに、雷のような突起が生えているのである。

「武史君、あの鴨は、何色をしているのかな?」

と、女性が武史君に聞くと、

「緑の頭に、灰色の胴体をしています。」

と、武史君は答えた。

「そうだねえ。じゃあなんであの鴨を赤い色で描いたの?」

「はい、鴨が餌を取りたい時の緊張感というか、そういう感じも感じ取れるからです。」

「なるほどねえ武史君。でも今の授業は、あの鴨を、見たままに描くのが目的なのよ。だから鴨の絵を描くんだったら、ちゃんと緑色の頭に、灰色の胴体を描いてごらんなさい。」

そう女性は言っている。

「でも、僕は鴨がおしりをあげて一生懸命餌を食べている姿がすごいと思うんだ。だって、生きることは食べることだもん。見たままを描けというから、そういうところも自然に見えると思うんだよね。」

要するに武史君のような子は、一般的な子供と見る視点が違うのである。其れを理解できるか出来ないかで、教師の腕が問われると言ってもいいだろう。

「武史君はどうしてそう思ったの?確かにみんな食べて生きているけど、それをどうして感じ取れるの?」

と、女性が聞くと、

「あのね、おじさん。」

と武史君は答えた。

「おじさんって誰の事?親戚のおじさんとか、そういうことかな?」

と、女性が聞くと、

「僕と一番仲良しで、僕のことをだれよりも分かってくれるおじさんだよ。おじさんが、ご飯を食べるときは、本当にすごいガチンコバトルみたいになるもん。だから僕は生きるのは食べることなんだったって思ったんだ。だから、そういうところを絵に描いて見たんだよ。」

武史君はそう答えるのだった。おじさんとは明かに水穂さんの事だろう。女性は困った顔をして、武史君のことを見た。

「食事をするとき、ガチンコバトルをするなんて、あり得る話ではないでしょ。武史君は、自分の解釈を物事に当てはめてしまうのではなく、ありのままの事実を、何も考えないでそうなんだなって思う練習が必要かな。」

「そうだけど、なんでも考えて自分で行動するようにしなければダメだって、僕、何回もパパから言われたんだ。」

ここは、武史君の父がジャックさんであることがそういう結果を持ち出したのかもしれなかった。ジャックさんの故郷であるイギリスでは、なんでも自分で考えることを重視するからである。日本では、相手に従順に従う方がいい子だと思われがちであるけれど。

「それにね、みんなそういうじゃないか。何でも人に言われたとおりにうごくのではなくて、自分で考えて、自分でうごきましょうって。僕はその通りにやっている。自分で考えてこうあるべきなんだと考えながらやっているんだ。僕だって、周りのことをちゃんとみて、僕なりにうごいている理由も考えて、絵を描いているんだよ。ただ、鴨さんの体を描いたって、何にもならないじゃない。鴨さんがどう動いているか見て、鴨さんの動きでなにが見えるか考えて描いているんだけどな。」

そういう武史君をみて、女性の顔にぽわんと涙が浮かんだ。それはどういう涙なのだろうか。武史君があまりにも反抗的で悔しいのか、其れとも、武史君を目的の指導まで持っていけない悔しさだろうか。其れともどちらにも所属しない別の涙だろうか?

「郁子先生、どうしたの?僕はただ、僕の考えをちゃんと言っただけだけど?自分の考えを素直に言えない子は、いけないことだって教えたのは先生でしょう。その通りにしているだけだよ。」

郁子先生と言われたその女性は、武史君の顔を見て、悔しいのと悲しいのが混じった複雑な表情をした。

「まあ、そういうことなんですよ。」

郁子先生が泣いているのを見て、ジョチさんがそっと彼女に声をかけた。

「それは仕方ないじゃないですか。彼がいうことも別に間違いではないですよ。それをどう矯正していくかが、先生の仕事でしょう。今時の教育なら、武史君のような子が出てしまっても仕方ないんじゃないですか。泣いてる暇はありませんよ。学校教育がそういうおかしなことを要求していると気が付けてよかったと思ってください。」

「そうそう。事実はあるだけだよ。それに対してどう動くかを考えてくれればそれでいいのさ。それに自分の存在がどうのとかそういうのは全く関係ないんだ。お前さんが、あの芸大卒の補助教員なんかな?」

杉ちゃんにそう聞かれて、郁子先生は小さく頷いた。

「ええ、確かに、その通りなんですが、こんな子を受け持つとは思いませんでした。」

「それは言っちゃダメだい。どんな子でも、我慢して面倒見るのが教育者だ。お前さん、私は優秀でこんな子を受け持つはずがないと思っていないかな?それだけはやっちゃいけないことだぜ。教育者ってのは、どんな子でも必ずこうしようって、考えるのが当たり前なの。」

杉ちゃんは、郁子先生に説教するように言った。

「なんでも自分にしたがってくれるかとおもったら大間違いだ。たとえ反抗的な生徒でも、自分の生徒だと思ってやらなくちゃ。そういうところは、もろに生徒さんは感じ取るからな。そして自分が必要とされていないと思い込むだろう。それではいけないよ。そういう思いをさせちゃいけない。」

「そうなんですね。でもあたしは武史君に普通の生徒と同じようになってもらいたくて。」

思わずそういってしまう郁子先生に、武史君はがっかりした顔をした。その顔は何だ、大人って結局

そういうところを求めているだけか、と言いたげな顔だった。

「僕は、おじさんのところに行きたい。」

思わずつぶやいた武史君に、

「いいですよ、今日は気候がいいので、水穂さんも、のんびりしていると思いますよ。」

とジョチさんは言って、武史君に行きましょうかと言った。郁子先生は、はあとため息をついた。お前さんも一緒に来てみなよ、と杉ちゃんが言ったので、郁子先生も杉ちゃんの後をついて行った。

製鉄所は公園から直ぐ近くだった。まるで日本旅館のような建物で、居場所を提供する施設としては、一寸、豪華すぎる建物だった。杉ちゃんたちは、その段差のない玄関からどんどん入ってしまった。武史君は製鉄所に入るな否や、直ぐにおじさんと声をあげて、四畳半に走っていってしまった。ジョチさんや杉ちゃんが追いついた時は、もう武史君は水穂さんのそばにいた。

「おじさん見て。今日、鴨さんの絵を描いたんだ。鴨さん、一生懸命水の中に生えている藻を取ろうとしていたから、その気持ちも一緒に絵に描いたんだよ。でも、郁子先生が、其れじゃダメで、鴨さんの絵だけ描けば良いというんだけど、先生は余分な事ばっかり言って、僕が描きたい絵とは違う絵にしちゃうんだよね。」

と武史君は布団の上に座っている水穂さんに画板を見せながらそういうことを言った。

「そうなんだね。武史君の描きたい絵というのは、鴨さんそのものではなくて、鴨さんが餌を食べたくて、一生懸命餌を取っている様子何だろうね。」

水穂さんは優しく武史君にいう。

「そうなの。だって生きることは食べることだもん。おじさんがいつも食べることで苦労してるから、僕、食べるって本当に大変だんだなってことは分かってきたの。そして簡単に食べれる僕はすごいなと思ったんだよ。だから、そういうところを絵に描きたいんだ。先生は、ダメっていうけど。」

「そうなんだね。武史君は、日ごろの事から、そういうことを感じ取れるんだね。でも、今回は、武史君の負け。先生は、鴨さんの体を描いて欲しかったんだと思うよ。鴨さんが餌を取って食べている様子を描きたいのなら、其れは学校以外の場所で描いたらどうかな?武史君がそういう観察力があるっていうことはすごいことなんだけど、学校の先生は、武史君にしてほしいことというのがちゃんとあるんだから。武史君のすごいところは、また別のところで発揮すればいいよ。」

水穂さんは、にこやかに笑ってそういうことを言った。このありさまを見ていた郁子先生が、水穂さんを見て、大変悔しそうな顔をしている。悔しそうが度を越して憎々しげと言っても過言ではなかった。郁子先生は、水穂さんの着物を見て悔しがっていた。確かに美術教師という事から、水穂さんの着物のブランド名もちゃんと分かるに違いない。そしてそれがどういうことを意味するのかも。

「武史君、学校の先生には、学校の先生が望んでいる通りの事をしてあげようね。武史君が感じていることは、また別の時に大いに絵に描いてみてごらん。そうい、、、。」

水穂さんは、最後まで言い切ることができず、せき込んでしまった。水穂さん大丈夫ですかとジョチさんと杉ちゃんは、直ぐに彼の近くに駆け寄って、背中をさすってやったりしている。郁子先生は、これにまた驚いている様子であった。

「嫉妬するわ。」

と郁子先生は言った。

「同和地区のひとに、私が言いたいことの同じことを言われるだなんて。」

「まあそうかもしれないが、武史君にいうことは伝わったんだから、ありがたいとおもえ。」

杉ちゃんが、郁子先生にそういった。

「お前さんじゃできない事でもあるだろ。」

杉ちゃんにそういわれて、郁子先生は又何か気が付いてくれたようだ。其れについて少しかんがえているような感じで、天井を見つめていた。

やがて郁子先生の目が天井から降りてきた。

「ありがとうございます、でいいのかしら。私にはできない事をやり遂げてくださったんだから。」

その顔は、自分にはできないことがあると初めて知ったような顔であった。きっと自分はものすごいエリートで、なんでもできると思っていたのだろう。

「私はまだ、社会のことをよくわかってないのかもしれないわね。」

郁子先生は、小さくため息をついた。






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増田朋美 @masubuchi4996

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