八十四 潜るもの

 湖水に飛び込んだ白星を迎えたのは、光すら射し込まぬ濃い邪気だった。


 それだけであれば白星の障害足り得ないが、たっぷりと邪気を吸った湖の在来生物が異形化し、隙あらば襲って来るのだ。


 これらをいちいち相手にしていてはきりがない。

 そこで白星は、まず湖を満たす邪気から対処することにした。


 白鞘を頭上で大きく旋回させると、ゆっくりではあるが渦が生まれ、繰り返している内に、やがて周囲を飲み込まんとする大渦へと育って行った。


 吸い寄せた大量の水から邪気のみを吸い取ると、白星の足元からは元以上に浄化された湖水が吐き出されてゆく。

 時には邪気に侵され巨大化した異形も、為すすべなく巻き込まれては浄化され、湖の健全化が進んでいる良い証左になった。


 それを半刻も続けると、湖の中はすっかり様変わりし、元の景観を取り戻していた。


 同時に湖底にどんと鎮座する、竜宮と思しき華美な城を発見し、白星は真っ直ぐに向かって行った。


 立派な構えの門の前に立つと、訪いを告げるより先に、重い音を立てて両開きの門が開いてゆく。


 開き切ったその先には、豪華な衣服を着て戴冠した老爺が立っていた。

 鰐淵王自ら出迎えに来たらしい。


「ようこそおいでくださいました。私が鰐淵王と申します。まさか、湖の浄化をして頂けるとは感謝の至り。是非ともゆっくり休んで行かれますよう。精一杯のおもてなしをさせて頂きましょう」

「うむ。浄化はほんのついでであったが、そう言われて断る理由もなし。喜んで招かれようぞ」


 背を向けて歩き出した鰐淵王に続いた白星は、視線を様々に飛ばす。


 紅く太い柱、青を基調とした、透き通りそうな壁、そこら中で踊るように泳ぎ回る魚達。


 なるほど、伝承にある竜宮そのもの有様である。


 邪気の影響が全くないように見受けられるのは、城内にある龍穴の力で結界を張っていたのだろう。


 そう白星は当たりをつけていると、鰐淵王が立ち止まり、こちらを振り返った。


「ここが宴会場です。ささ、どうぞ上座へ」


 鰐淵王が言うや否や、天女の如くの女官達がわらわらと現れ、白星の手を取って上座へ座らせた。


 そして出るわ出るわ、川の幸に山の幸。酒も樽で持ち出す大盤振る舞い。


 邪気を祓ったのがよほどありがたかったのだろう。

 鰐淵王は終始にこにこと笑顔で酌をし、ここ数カ月がどれだけ苦痛であったかを白星に訴えた。


 そして話題が尽きた頃を見計らい、ついに鰐淵王の表情が締まる。


 いよいよ本題の龍神──竹生姫について触れるのだろう。


「あの娘がああなってしまったのは、一寸のすれ違いの果てのことでしてな」


 鰐淵王が長い髭を撫でながら語り出す。


「あの日、私と他愛ない口喧嘩の果てに竜宮の外へ飛び出した折、見張りの報告によると、琵琶湖を横断する橋の上に黒き衣をまとう者ありて、怪しげな動きを見せていたとのことで」

「黒き衣とな? そやつ、女であったか?」

「服装からは男のようであったと聞き及んでおります。そして件の者が何やら術を発動させると、付近一帯が邪気に呑まれて行ったのです。当然、竜宮の外にいた娘もそれに巻き込まれ、荒ぶる龍神の正体を現して天へ昇っていったのです」


 それ以降雷雨が止まぬのは、これまで聞いてきた話と同じであった。


「しかしこれほど容易く邪気を祓える貴殿なら、我が娘をも退治てくれるものと信じております」

「退治か。正体を現すと、知性を失い元には戻れぬのだな」

「左様でございます」

「念のために聞くが、ぬしは娘を討つ事になろうが構わぬか」

「あの日喧嘩さえしなければ……後悔はありますが、もはや覚悟の上でございます」


 口ではそう言うが、袖の先をぎゅうと握り締めたのを、白星は見逃さなかった。


 娘を殺されて平気な親などいまい。

 しかし此度の竹生姫の暴挙は、首一つ取っても余りある。例え本人の意思ででなくとも、だ。


「さよか」


 父の覚悟を汲んで、白星はそれ以上問いかけなかった。代わりに、


「おう、忘れるところであった。ぬし、あの高みへ至る妙案があると言うておったな。それはなんぞ」


 懸案であった空へ手出しする方法を鰐淵王へ催促した。


「おお、これは失礼を。妙案と誇れる程のものでもないのですが、まず龍穴を……」

「ほう……」


 話が進む内に、白星の顔ににやりとした笑みが灯る。


「よい。愉快ぞ、鰐淵王よ。わしは乗った」

「そうですか。いや、よかった。ありがとうございます」


 鰐淵王もほっと一息吐き、算段の付いた二人はこれで事は成ったとばかり、宴の続きに戻った。


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