七十四 掴むもの

 国麿が心配気に騒ぎ立てる中、ともあれ白星一行は、打猿が消えたという浜辺へ降りる事にした。


 引き潮が随分と進んだようで、水溜りの残る岩礁や、取り残された魚がぴちぴちと跳ねる小さな水溜りなどが目前に広がるのを、白星は興味深く観察してゆく。


 やがて国麿が打猿が消えたと訴える場所へと辿り着き、国麿の背より降りると、ともすればずぶりと沈み込みそうな、ひやりとした泥の感触も裸足に心地良い刺激を与えた。


 白星は正直なところ、打猿ほどの剛の者であれば、己でどうとでもするだろうと、大した心配もしていなかった。


 それよりも未知の刺激で頭が一杯になっていたのだ。


 国麿が案内した現場は、今やすっかり水が退き、ぷくぷくと小さな泡がそこら中で湧く干潟と化していた。


 よくよく見れば、小さな穴から白星の見た事がない生物がひょこひょこと顔を出しては、はさみのような前脚を使い、泡を吹きながら泥をんでいる。

 体躯は手の平程度と小さいものの、がっしりとした鎧を思わせる立派な甲殻をまとう多脚の生物を見て、白星は既視感を得た。


「はて。こやつら、つい最近どこぞで見たような気がするの。これな珍妙なものならば、そうそう忘れようもないが」


 足元にいた一匹をつまみ上げ、じたばたと暴れる様をじっくりと眺める白星に、福一が近寄った。


「おや、潮招きですか。そう言えば、白星様は海がお初でしたね。図鑑で似姿を見て、覚えていなさったのでは?」

「ああ、まさにそれよ。はて、確か蟹とやらの一種だったか。うむ。やはり実物は違うの。この鋏が片方だけ大きいものが雄だったか。なかなか勇壮よな」


 手でもてあそばれながらも、鋏を懸命に振り回して威嚇する蟹相手に、童女のような笑みを浮かべる白星。


「姉御~、蟹なんざ、ここらにいくらでもいるぞお。それより、打猿の兄貴を一緒に探してぐれよお」


 白星のあまりの緊張感のなさに、国麿は土下座をせんばかりに頭を下げた。


「かか。すまぬな。初めてづくしで気が散ってしもうた。まあ打猿であれば、よほどの事でなくば心配いらぬとは思うがの。一応は探してみるとするか」


 白星はしゃがんで蟹を足元の泥地に放してやると、立ち上がり様にぽんと手を打った。


「これはしたり。いなくなった状況すら聞いておらなんだな。ほれ、ここが現場であろ。詳しゅう話してみい」

「お、おう。まだここらに水が残っでる時でよう。海蛇がなかなか出てこねえから、怒った兄貴が思いっ切り水面を叩き付けだもんで、勢い余って頭から水の中に引っくり返っちまったんだ」


 国麿も身振りで前足を振り降ろす。


「すぐ起き上がるかと思っだけど、なかなか浮かんでこねえ。力み過ぎて、海の底にはまっちまったんだと思って、おれも潜ってみたら、兄貴の姿がもうなかったんだよお」


 今にも泣き出しそうな国麿の言を受け、白星はようやく真剣に事態を捉え始めた。



 海蛇は結局出ず仕舞い。


 水に入った途端に消え失せ、今や泥一面となっても姿を現さぬ打猿。



 情報としては心許ないが、白星は一つ閃くものがあった。


「福一や。確か件の祠の場所は、程近いと言うておったな?」


 急に話を振られた福一は、周囲を一望すると、


「……ああ、見えました。あちらの河口がそうです」


 一点を指差して見せる。


 そこには確かに、太く緩やかな流れが注ぎ込む河口が見え、現在地から二里も離れていないのではないかという距離であった。


「ふむ」


 白星はおもむろに浅瀬へ白鞘を突き刺すと、先刻同様脈を読む。


 そしてしばらくすると、白鞘を下段に構え、ぺたぺたと干潟を歩き出す。


「ここか」


 国麿と福一が見守る中、白星は気合一閃。

 素早く振り上げた白鞘にて鋭い衝撃波を放ち、勢いよく泥土を左右に断ち割った。


「──うおおおおおおおおお!?」


 割れた干潟の中から、底に埋まっていたと思われる打猿も中空に打ち上げられ、困惑の悲鳴を上げた。


「おお。兄貴い! 無事かあ!?」


 泥土と共にどしゃりと干潟に落ちた打猿の元へ、国麿が走る。


「ぷはああああ! やあっと息ができたぜえ」


 ぜえはあと大きく息を乱す打猿だが、周りの面子を見ると居住まいを正して、健在さを見せた。


「おうよ、この通りぴんぴんしてらあ! でもよ、泥ってえのは、思ったより重いもんなんだなあ。全身埋まると全然動けねえや。いやあ、びっくりだ。助かったぜ、姉御」

「私は、小一時間ほど息をせずにいられたあなたに驚きですよ」


 福一が若干呆れ気味に呟くが、誉め言葉と捉えたか、打猿が機嫌よく笑った。


「がっはっは! 打猿様の凄さがわかったか!」

「だっはっは! そうだぜ、兄貴は凄えんだ! 土蜘蛛の根性を舐めるなってんだ!」

「根性で済むんですね……」


 苦笑する福一をよそに、打猿と一緒になって笑う国麿は、心底ほっとしたような表情を取り戻していた。


 が。


 兄貴分の姿を改めてみると、はたと動きを止めた。


「んん? 兄貴よう。そりゃなんだ?」


 打猿の複数ある脚にすがりつくようにして絡まっているものを指差し、首を捻る。


「ああ、こいつらが海の底に引っ張り込みやがったんだ。おまけに身体中を何か硬いもんでちくちくやってきでな。あんまりしつけえがら、くしゃっと締め上げてやったんだ」


 打猿は身体からその残骸を引きはがすと、白星の斬り開いた泥の割れ目に放り込んだ。


「あ~、まったく。ひでえ目に遭った」

「元はぬしの迂闊が原因だがの。それに、休むにはまだ早いわ」


 白星は打猿を含め皆に警戒を促すと、白鞘を担いで河口を睨む。


「確信した。あの河口の下に、わしの首が埋まっておる」

「やはり……では、ここは首の妖気を喰らったものの縄張りなのですね」


 懐から匕首あいくちを取り出し、福一が確認する。


「うむ。てっきり海蛇が主だと思い込んでおったが、見事にあてが外れたの」

「じゃあ、なんだってんだい?」


 身体をくねらせ、戦闘準備を始めた打猿に、白星が答える前に。


 周囲の干潟から大量の気泡がぶくぶくと浮かび出し、一行を取り囲んだ。

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