七十五 挟むもの

 気泡に紛れ、ぶしゃり、ぶしゃりと、次々に硬質な尖塔が干潟に突き上がってゆく。


 間を置かず、泥の中から巨大な蟹の群れが姿を現した。


 先刻白星が愛でた潮招きが、何十倍にも育ったような巨躯。


 土蜘蛛兄弟にも引けを取らぬ体躯に見合う、これもまた巨大な鋏を掲げ、猛烈な勢いで一斉に襲い掛かって来る大蟹達。


 皆が皆、横歩きで走り寄って来る様は、ともすれば微笑ましい光景でもあったが、狙われた者はたまったものではない。

 その質量と、見かけによらぬ速さは馬鹿にできず、繰り出された鋏を受け止めようとした打猿の鉤爪が、いとも容易く弾き返された。


「うお! やるな化け蟹が!」


 打猿自身、蟹風情と侮って手を抜いていたが、本気を出さざるを得ぬと今の一撃で悟る。


 平行移動から、掲げた大鋏を垂直に叩き付けるだけという、単純明快な攻撃方法ではあるが、溜めもなく一直線に振り下ろされるため、動きが最小限でいつ飛んで来るかが読みにくい。


 打猿と国麿が頑丈さを活かし、壁となって奮闘するも、手数が追い付かず押され気味であった。


 攻撃力には土蜘蛛に分があるようで、化け蟹の関節を狙って切断しては、見事に無力化している。


 しかし、一匹を処理する間に三匹、四匹と続々と現れては、二人を滅多打ちにしてゆくのだ。


 がつがつと全身を叩かれても、土蜘蛛兄弟の頑強な甲殻にはひび一つ入らないが、内側に振動が響き、脳を揺らすのだから馬鹿にできない打撃であった。


「くそ! うざってえな、この蟹公どもめ! やい、福一! お前も何か仕事しやがれ!」


 打猿が頭部を守りながら相手を押し返し、何の役にも立っていない男へ叫ぶ。


「ああ、すみません。言い忘れておりましたが。私は自分の身を護るので精一杯です。どうか戦闘では何も期待をしないで下さいまし」


 土蜘蛛達の間をすり抜けて来る化け蟹の攻撃を、軽快に避けながらも、福一は平然と公言した。


 恐らく水渡りの術の心得があるのだろう。その足取りはしっかりとしたものだったが、肝心の攻撃の手段がないと堂々と白状したのだ。


「ふむ。これは少々困ったの」


 白星は囲みを割って鋏を繰り出して来る化け蟹の腹部へ回り込み、白鞘の一突きで仕留めてゆくが、やはり新手が尽きる事がない。


 徐々に足の踏み場が蟹だらけになってくると、白星はそれらを土台に次々と獲物に飛び移り、頭部を叩き割る戦法に切り替えた。


「姉御~! こりゃきりがないぜ!」

「中将の時みたいに、ぴしゃ~んと雷様でどうにができねえかい?」


 半ば蟹に埋もれて苦言を呈する兄弟に、白星は苦笑いを返す。


「水気は雷を通す。諸共に黒焦げとなろうが、構わんかの」

「うあああ、そりゃなしだ! 勘弁しでぐれ!」


 二人の悲鳴が響く中、白星は打開策を己の内に探していた。


 自分一人であれば、それこそ雷なり氷雪なりで、どうとでも切り抜けられよう。


 しかし今は同行者がいる。大規模な術は用いる事ができない。


 数匹ずつ冷凍して数を減らす事も試してはみた。

 しかし泥土に生息するだけあって、寒さに滅法強いらしく、加減した氷の吐息では効き目が薄かったのだ。


 他に術を使うにしても、この土地との同調は未だ済んでおらず、方陣を描く暇もない。どうにも準備不足は否めなかった。


 そこで、現在咄嗟に使える武力で直接抵抗するに至る訳だが、相手の総数が読めない限り、根比べにも限界があろう。


 ここは一度戦略的撤退をするべきかと考えた瞬間、白星は手札が一枚残っているのに気が付いた。


「打猿、国麿や。今から一瞬囲みを破る。その間に福一を連れて浜から逃げよ」

「姉御はどうすんだあ!?」

「妙案が浮かんだでの。わしは気にせず、全力で駆けい」


 白星は不敵に笑うと、どうにか蟹をかきわけて、干潟に白鞘を突き刺した。


「かなり雑ではあるが、仕方あるまい。ぬしら、準備はよいか」


 返事を待たず、白星は術を発動させていた。


 在りし日の須佐の里にて、黒衣の女が操る赤津波を破った、断水の秘技を。


 浜辺へ向けて発動した不可視の斬撃は、蟹の軍勢諸共に干潟を豪快に抉り取り、一筋の道を見事に創り出した。


「流石姉御!! 今のうちにとんずらだ!」

「三十六計、逃げるにしかず、ですね」

「おめえは喋るな! 舌噛むぞお!」


 打猿と国麿は、多数の蟹に身の各所を挟まれ引き摺りながらも懸命に走り、泥と蟹が雨となって降る中を全速力で駆け抜けた。

 その際、背に乗った福一が密かに水渡りの術をかけ、逃走に貢献していた事に、兄弟は気付く余裕もなかった。


「うむ。急ごしらえにしては上々よな」


 再び化け蟹と白兵戦を繰り広げながら、白星は三人が逃げおおせた事を確認した。


「さて。ぬしらと遊ぶのはもう飽いた。わしの首を返してもらいにゆこうぞ」


 その時正面から殴りかかってきた蟹の一撃を、白星はがつんと白鞘で受け、その勢いを利用して大きく吹っ飛び、放物線を描いた。


 角度も距離も、どんぴしゃり。


 先刻福一が示した河口の方向へと、戦闘をしながら移動していたのだ。


 白星は河口のど真ん中に吸い込まれるように落下し、大きな水しぶきを上げて沈んで行った。


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