五十三 喰らうもの
真昼の空が落ちて来たかのような眩い光が、荒れ果てた駐屯所の敷地を鮮明に照らし出す。
烈光に備えて瞑目していた白星は、とんとんと拍子を取りつつ、白鞘で地を打ち、陣の強化に努めていた。
少女の頭上では、再び形を整えた巨大な泥の手指が持ち上がり、光の帯をなんとか受け止めている。
光の帯は光量こそ凄まじいが、純然たる気の塊であり、熱気を伴ってはいないのが救いであった。
しかしそれも、いつまでもつか。
今しも膨大な気の圧力に屈し、土くれは根元から崩れつつあった。
「かか。さすがに片腕では受け止め切れぬか」
頭上を守る天井が崩れれば、一瞬で押し潰されるであろうこの状況でさえ、白星は楽しんでいた。
「うむ。相手にとって不足なし。今時分、どの程度まで力を引き出せるものか。一つ試してくれようぞ」
白星は五芒星の上にて、小刻みな足踏みを始め、白鞘を今までになく早い調子で打ち始めた。
とととん。ととん。
独特な五拍子と共に、つま先、踵で地を踏み鳴らし、袖を振っては身体を捻る。
回り回って螺旋をまとい、がつんと白鞘地に打って、勢いのまま己を中心に円を描く。
「いざや
白星は口上の最後に、白鞘を陣の内へ振り下ろした。
するとこれまでとは違い、その先端が地面へずぶりと埋まり、半ばまで沈み込む。
そこを起点として、白星が地面をかき混ぜるように白鞘を一回転させると、周囲の地面がまるで水が如くに波打ち、次第に渦を巻き始めたではないか。
土石流が大きな円を描いて、白鞘目掛けて結集し、崩れかけていた泥の手を見る見る内に塗り固めてゆく。
そればかりか、手首より先しかなかったはずの泥の手は、どんどんと
一方で、白星を挟んだ逆の空き地にも、たちまちもう一本の泥の腕が生え、光の帯をしっかりと支えたばかりか、均衡を崩して押し返し始めた。
「今宵一切遠慮はいらぬ。大盤振る舞い、極まれり。舞えや踊れや、共に在れ。馳走は目の前、たんとある。うまげな龍穴すぐそこに。やれ、喰らえや喰らえ。残らず奪え」
白星は上機嫌で舞い、興の向くまま
それに
もはや光の帯との攻防も逆転し、今や叩き伏せられていたのが嘘のように、両の腕にてしかと握り締め、逆に引きずり出そうとまでしている。
「掴んで奪えや、龍の精。尾っぽの先まで引っこ抜け。されば馳走は我がものぞ。熊野が御山は我等がものぞ」
白星がそう口にした途端、眩いだけであった光の帯に変化が訪れた。
純粋な気の奔流は、今や縁を繋がれ、龍の概念という
しゅうしゅうと呼気を漏らす大顎が現れると、泥の腕に食い付いては、ぎょろりとした目玉で抵抗の意志を見せ、のたうつ
二つの巨躯の格闘は、森を薙ぎ、山を削り、周囲のあらゆるものを巻き込んだ。
白星の予言通り、御山の北側は、とても人の入り込む余地のない激しい戦が展開される事となった。
揺れも気にせず、巨人の頭頂よりそれを一望する白星の面には、無邪気にして妖然たる笑みが咲く。
「かか。なんともうつくしく、活きの良い龍が捕れたものよ。はてさて、どう料理してくれようか」
巨人が龍の首をねじ伏せ動きを止めたのを見計らい、白星はしばしの思案の後、白鞘の先端を振り上げ、一言告げた。
「鳴神よ」
その言霊は、確かに天雷を呼び起こし、龍の脳天に直撃した。
加減を捨てた白星の術儀の冴えは、留まるところを知らず。
奪ったばかりの他者の業を、すぐさま自己流に改良して使役してみせたのだ。
ただ一言にて生まれた黒雲は、一度と言わず、雨のような雷撃を無数に降り注がせた。
それは地形をも容易く変える、まさしく神にも並び立つ御業。
美しき金色の龍は抵抗も許されず、その身を余さず
周囲の山肌ごと幾多の
ひとしきり雷の洗礼を浴びせた所で黒雲が退くと、ぶすぶすと焼け焦げ、煙を上げる龍の身が、痙攣しながら御山の麓へぐたりと伏した。
「やもりならぬ、龍の黒焼きとは、なんとも贅沢よな」
巨人が抑え付けていた龍の顔面は、上顎が消し飛び、崩れた輪郭から、粒子状の気が立ち昇っては、さらさらと舞っていた。
白星はそこを目掛けて迷いなく飛び降りると、着地と同時に、白鞘を容赦なく龍の傷口に突き刺しては、内なる気を一息に吸い上げ始めた。
ふしゃああああああ……!
龍の悲鳴とも取れる咆哮が一帯へ響き渡るも、お構いなしに白星はその精気を貪り喰らう。
「かか。なんたる美味。さすがは永く祀られていただけはあるの」
今にも蕩けそうな笑みを浮かべ、悦に浸る白星。
「しかし、まだまだ足りぬ。思えば、こそこそするあまり、しばらくまともに気を喰らっておらなんだ。この甘露の前に、食欲をかき立てられるのも道理よな」
喰らえど喰らえど、満ちる事はなし。
己の本分を思い出したかのように、貪欲さを剥き出しにして、白星は龍気を貪り続ける。
それと共に、取り込んだ気の内に、どこか懐かしいものが混ざり込んでいるのを白星は感じ取った。
これまで喰らって来た気脈より、格別に身に馴染むのだ。
爆発的に己の気が高まりゆくと同時、脳裏をぞくりとうずかせる何かが潜んでいる。
この熊野が龍穴に、白星との過去の因縁、あるいは記憶の断片が埋もれているのやも知れぬ。
そう思い至った白星は、精気を喰らう手は緩めずに、しばし記憶を紐解く作業へ没頭する。
しかし、ふと。
今まで感じた事も無い、強烈な殺意が向けられたのを察し、白星は意識を現実に引き戻された。
記憶の糸が繋がるまで、今一歩といったところであったが、無視せざるを得ない程の殺気であったのだ。
そしてそれは御山の頂上、即ち今立っている龍身の延長上から向けられており、今しもこちらへ急速に接近して圧力を増している。
「ようやく主のお出ましか。ひとまず腹はそこそこ満ちた。食後の運動といくかの」
白星は迫り来る脅威に備え、ぶしゅりと白鞘を龍の身から引き抜くと、不敵な笑みを浮かべて敵を待ち構えた。
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