五十二 目覚めるもの

「これで土蜘蛛への義理は果たした。あやつらも逃げおおせた頃合いかの」


 足音もなく舞台の階段を下りながら、白星は一人ごちる。


「なれば、残るは」


 御山の頂を見上げ、笑みを浮かべるところへ、多数の気配が押し寄せて来るのを白星は察知した。


 方角は御山の本宮より東。

 つまりは熊野の私有地側から馬を駆り、山道を抜けてやってくる一団が目に入る。


 赤備えだった鹿島が兵とは違い、無難な配色の武装をした騎馬の群れ。

 恐らくは、騒ぎを聞きつけてきた熊野氏の私兵であろうと、白星はあたりをつけた。


 一団がどかどかと蹄の音を響かせながら駐屯所の敷地に入ると、兵達からどよめきが沸き起こった。


「これは、一体……」


 全壊した駐屯所を見やり、先頭にて一際立派な馬に跨った男が絶句する。

 私邸にて天雷の発動を察し、敵襲を見越して駆け付けた熊野くまの芦名あしなであった。


 建物は半ば地中に埋まり、地表に出ている部分も激しく燃え盛る状況を見ては、誰であろうと思考が止まったに違いない。


 そも天津が軍に、正面から牙を剥こうなどという輩はそう多くない。

 それをして、本陣へ直接攻撃を仕掛けるなど、傍から見れば狂気の沙汰である。


 さらには鹿島が誇る最高戦力、中将貞頼がいながら、この体たらく。

 鹿島の力を正しく知る者であるほど、その衝撃は大きかろう。


 もはや交戦は終わり、助かる者とてなかろうと、救助に向かおうとする者一人なく。

 夜闇を染め上げる烈火を、ただ馬上より茫然と眺めるばかり。


 声を発した先頭の男もしばし呆けていたが、己が責任を思い出してか、周囲へ視線を巡らせ、悠々と広場を横切ろうとする小さな人影を発見した。


「そこな者、待て! 何者か!」


 別段気配を殺しもしなかった白星は、素直にそちらへ向き直り、微笑を浮かべて言葉を返す。


「なに。通りすがりの土蜘蛛よ」

「土蜘蛛だと! この惨状は、お前が元凶か?」


 少女より渦巻く尋常ならざる妖気に即応し、芦名以下兵らはいつでも抜刀できる姿勢を取り、後方では弓の準備を整えていた。

 その切り替えの早さは、鹿島に劣らぬ練度を思わせた。


「建物については、別の者の仕業ぞ。捕虜と共にとっくに引き上げたがの。わしの仕事は、こやつの相手のみよ」


 言いながら、白星は近くにあった土砂の塊をこんと叩いて見せる。


 そこには土砂に埋もれるようにして、無様な屍を晒す貞頼の顔がぶら下がっていた。


「中将殿!? そんな馬鹿な……」

「ぬしらは熊野の者よな。ちょうどよい。こやつを土産として、この場は退けい」


 混乱深める芦名に向かい、白星が告げると同時、土くれの手が再び動き出し、紙屑でも放るように貞頼の遺体を投げ出した。


 どちゃり、と芦名の目前に降って来た貞頼の遺体は、見るも無残に全身が痛んでいた。一体どのような力が加われば、このようになるのか不思議な程に。


「将を討たれて、みすみす見逃すと思うのか」


 遺体を部下に回収させ、自らは剣の束に手をやる芦名に、白星は場違いにも、くつくつと含み笑いを漏らした。


「かか。それな外道にも、忠を尽くさねばならぬか。もののふとは、まこと難儀なものよな」

「おのれ、愚弄するか。敵を前に、逃げる事こそ恥であろう!」


 ついに抜刀した芦名を見据え、白星は静かに言い聞かせる。


「さにあらず。今ぬしらに死なれては、この後が困るのよ」

「何だと」

「これよりここは、今一度戦場いくさばとなる。それに巻き込まれれば、まことの犬死にぞ」


 芦名が反論をする前に、変化は起こった。


 ずしんと一度、地面へ激しい揺れが襲う。

 次いで、御山の頂、本殿の辺りから天へ向けて、一条の眩い光が立ち昇るのを、その場の全員が目の当たりにした。


「かか。膝元でこれだけ派手に暴れたからの。起きてこぬ方がおかしい」


 騒然となる場の中でただ一人、それが龍穴より吹き出した、膨大な気の奔流だと理解する白星だけが、愉快そうに笑い声をあげた。


「まさか、龍穴から……!」


 混乱の中にあって、辛うじて芦名が心当たりに行きつくと、白星はしたり顔で頷いた。


「うむ。ぬしらが崇める熊野権現。その怒りの鉄槌といったところかの」


 天を真っ直ぐ指していた光の柱は、次第に太くなっていくのが見て取れる。


「ほれ。今にもあれは、ここらへ振り下ろされよるぞ。死にたくなくば、さっさと去れい」


 白星は邪魔だとばかりに追い払う仕種をすると、御山に向けて歩み出した。


「な、お前は、何をするつもりだ!」

「ぬしの知った事ではない。はようね」

「芦名様! 危険です! お早く!」


 白星を詰問しようとする芦名を部下が止め、馬のくつわを掴んで無理矢理向きを変えさせ駆け出した。


「うむ。それでよい」


 周囲に人がいなくなったのを確認すると、白星は満足顔で首肯する。


「これで、心置きなくやり合えるというものよ。のう。熊野が龍穴の主よ」


 かつん、と白鞘が地を打つと同時。


 視界一面を覆う光の帯が、白星の頭上よりし掛かった。


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