四十三 断ずるもの

 爆音と炎が飛び交う中、白星はしかと目撃した。


 宙に舞った幾多の外殻の欠片。

 その裏側より、ぞろぞろと無数の小さな影が這い出て来るのを。



 飛び散った小さな影は密集して一塊ひとかたまりとなり、出来上がった群体が手近な兵をざぶりと呑み込んだ。


 兵らは慌てて振り払おうにも、小さな蟻のようなものが全身を這い回り、とめどなく押し寄せ、足を取られて成す術なく地に伏してゆく。


 ある者は共に回った炎に焼かれ、ある者は身をかじられて苦痛に悶えた。


 黒い群体の範囲はじわじわ広がり、それに伴い炎も燃え盛ってゆく。

 娯楽のための見世物が、あっという間に地獄絵図へと様変わりした瞬間だった。


「中将殿! 卵です! 子蜘蛛の群れが腹に潜んでいたものかと!」

「おのれ、奴め。まだそんな精気を宿していたか!」


 将校らしき兵の報告を受け、貞頼が忌々しげに叫ぶ。


 観衆らは混乱に陥り、まさに蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う有様。


「かか。己の死を悟り、最期に一矢報いたか。異形ながら、天晴あっぱれな気概よ」


 その狂騒の中で呟き、白星は一つ閃き笑みを浮かべた。


「千歳、気配を絶て。この場をどう納めるか、あの中将とやらの器を量る絶好の機会ぞ」

「承知しました」


 完全に衆目がこちらにない事を確認すると、白星と千歳はすぐさま隠形まとい、柵の上へ飛び乗って視界を確保した。


 二人が対岸の火事を決め込んだ頃には、爆炎で飛び散る土蜘蛛の残骸と、背に炎をまとった子蜘蛛の群れは、演習場の半ばを埋めるほどに広がっていた。


 今なお炎上を続ける土蜘蛛の亡骸より子蜘蛛の群れは沸き続け、火に巻かれるのも厭わず打って出ている。


 これほどの火勢を想定していなかったのだろう。周囲に配された水桶は物の役にも立たずに焼け落ち、蒸発してゆくばかり。


 不測の事態に、巻き込まれた兵はもちろん、離れて待機していた兵にも動揺が走り、皆一様に浮足立っていた。


 そこへ、


「ええい、何を腑抜けておるか! 鹿島の兵が恐れを見せるな!!」


 雷のような貞頼の一喝が鳴り響き、場の混乱がぴたりと止まる。

 一瞬にして兵の誰もが平静を取り戻し、指示を求めて上官を見上げた。


「柵の外の者どもは民を避難させよ! 無事な者は負傷者を救助に向かえ! すでに動かぬものは捨て置け! 兵舎へ燃え移るまで、一刻の猶予もないと知れ!」


 今まで貴人ぶっていた態度から一変、貞頼のよく通る声が修羅場を駆け抜けると、兵らの動きにたちまち精彩が蘇る。


 柵の前でごった返していた観衆を手早く並ばせ町へと逃がし、子蜘蛛にたかられてもがいている同僚になけなしの水をぶちまけ、望みがありそうな者から、炎の中より引っ張り出してゆく。


 まさに鶴の一声。

 将の器の成せる業と、兵の練度が遺憾なく発揮されていた。


「かか。人は見かけによらぬとは、よく言ったものよな」

「ええ。噂には聞いておりましたが、ここまで見事な采配とは」


 すっかり武人の顔付きとなって檄を飛ばす貞頼の評価を改め、白星と千歳が言を交わす。


「しかし、まことの見物みものはここからよ。周囲にもはや水気なし。あの火の海と小さき軍勢を相手に、如何に始末をつけるやら」


 好奇心剥き出しで目を細める白星の関心は、すでに阿鼻叫喚の炎熱地獄より離れ、貞頼の挙動にのみ注がれていた。


「中将殿! 民の退避は完了、可能な限りの兵は引き上げました」

「うむ。なれば、兵舎に火の手が届かぬようにだけ気を配れ。我が天津の力にて、愚か者を滅してくれる」


 兵に簡潔な指示を飛ばすと、貞頼がついに自ら動きだした。


 抜き放ったままだった剣を再び天へ高く掲げると、今までで最も大きな音声おんじょうを発したのだ。


「最期まで往生際の悪い劣等種めが! 余興は終いぞ! 虫けら風情にはもったいないほどの、天津が力の一端にて往生させてくれよう!!」


 怒気を孕んだ叫びに呼応するように、上空がにわかに暗くなってゆく。


 黒い雲がもくもくと渦巻いたかと思うと、一気に陽光を遮るまでに空を埋め尽くした。


「いざ、鳴神なるかみよ! れ!!」


 貞頼が叫んだ直後、目も眩む閃光が迸ったかと思うと、身体の芯まで突き通すような轟音が辺りを打ちのめした。


 全ては一瞬。

 それらが止むと、事はすでに終わっていた。


 後に残るは、かすかな燃えかすが点在する処刑場。

 土蜘蛛や子蜘蛛は跡形もなく消し飛び、焼け焦げてえぐれた地面だけが、黒煙をたなびかせて事件の顛末を物語っている。


 それすらも、ぽつぽつと降り始めた雨によって鎮められようとしていた。


「かか。天津が一つ、鹿島の権能。しかと見届けたり」


 耳を塞いでいた手を離し、白星は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「あれと並ぶ使い手が襲ったのならば、里の崩壊も納得できると言うものです……」


 対して千歳の顔色は青ざめ、星子に至ってはすでに気を失っていた。



 黒雲を呼び寄せ、雷撃を落とす。



 単純に言えばこれだけの出来事であった。


 しかし天候を自在に操り、かつ狙いすました場所へ、周囲へ被害を出さぬよう加減した上で雷を打ち込む。これだけの精密な作業を、あの一瞬でこなしてみせたのだ。


 黄金の鞘の剣を触媒として発動した権能のようだが、落雷の際、一度剣に宿してから改めて放ったのを白星は目撃していた。


 只人が扱えば、剣に帯電した時点で黒焦げとなっている事であろう。


 まさに天津の血統があってこそ。 

 天津神より受け継がれし力という看板に、嘘偽りはないものと思えた。


 そして白星は、雷が視界を染めた時、脳裏に記憶の閃光がかすかに迸るのを感じていた。

 鹿島の血、ひいてはあの雷の権能とは縁がある。そう思えてならなかった。


「ふははは! 蛮族如きが! 小細工を弄そうが無駄よ。残りの賊どもも、この天雷にて撃ち殺してくれるわ。楽しみに待っておれい! はぁっはっはっはっはっは!!」


 圧倒的な力の解放に酔ったように、雨中でげらげらと高笑いを続ける貞頼の名と顔を、白星はしかと記憶に刻み付けた。


 同時に素早く周囲に目をやり、状況を確認する。


 観衆はすでにおらず、兵も手薄。

 将である貞頼は舞台の上で孤立している。

 討つだけであれば、絶好の機ではある。


 しかし、と。白星は思い留まった。


 外に出ていないだけで、兵舎の中にはまだ多数の兵がいるだろう。

 後始末のために、すぐにも応援が出て来る可能性が高い。


 そして抜き身の剣を掲げたままの貞頼は、高揚のためか未だ帯電しており、雨の中で迂闊に近寄るのは下策と見えた。


 この状況で戦闘となれば、白星の存在が明るみに出るのは必定。それはまだ避けたいところである。


 そも神事とやらがつつがなく済めば、帝都に戻る戦力なのだ。今すぐに戦う必要すらない。


 何より、下拵えもなく目の前にぶら下げられた餌に飛び付くのは、白星の行動指針に反するものであった。



 見るべきものは見た。

 収穫ありとして一度戻り、策を練り直すべき。


 そう結論付け、帰還するべく千歳を促そうとした矢先。


「千歳よ。先に戻っておれ。わしは寄り道をしてくるでな」


 口をついた言葉はそれだった。


 そして返事も待たずに柵をひょいと飛び降りると、白星はぬかるむ地面を蹴って走り出していた。


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