四十四 覗うもの

 水溜りを音もなく撥ね退け、町への道を走り抜ける白影一つ。


 本降りとなってきた雨を気にも止めず、足場の悪さも意に介さず、まさに飛ぶようにして白星は突き進む。


 その目当ては、先に避難した民にあった。



 理由を語るには、時を少々さかのぼる。


 貞頼によって土蜘蛛の処刑が執行され、子蜘蛛の拡散が始まった際。


 白星は駐屯所を囲むようにして、周辺一帯から刺すような殺意が向けられたのを感じ取っていた。


 此度の白星の目的の多くは鹿島が軍の視察にあったが、同時に、似たような目的で訪れる者、即ち賊の残党が周囲に潜んでいるかも知れぬと踏んで、地理の把握と並行して知覚の網を張っていたのだ。


 駐屯所は御山の木々の只中にあり、その気になれば身を潜める場所には事欠かぬ。


 恐らくは残党の類が、混乱に乗じて捕虜の奪還でも行うつもりだったのだろう。


 しかしその後の貞頼の指揮による立て直しが早かったことで断念したのか、それらの殺意は霧散し、気配もばらばらと消えて行った。


 その内の一つが、避難した民の中に紛れるのを、白星は視界の片隅で捉えていた。


 そしてしばらく間を置いて、避難中の群衆から、さりげなく道沿いの林へ抜け出た気配が一つ。


 見事な隠形をもって、他の者には気付かれずに離脱して行った者こそ、白星は標的と定めて追ったのだ。


 白星も藪を割って林に入り、目当ての気配を遥か前方に捉えたが、相手もなかなかに足が速い。

 雨に濡れた草木の合間を縫い、ぬかるんだ地面を素早く移動している様子から、野戦に慣れた者であろうと見当を付ける。


 やがて遠目に、黒ずんだぼろ切れを頭からかぶった小さな背中が視界に映った。


 相手は先を急ぐあまり、周囲の警戒を失念しているようで、後方の白星には気付かぬままに進んでいる。


 そこで白星は敢えて泳がせ、じっくり尾行することにした。

 上手くすれば、潜伏場所と正体を割り出せよう。


 そうと決まれば、息せき切って走る必要もない。

 追い足を緩めた白星は、白鞘で地を叩きつつ、地脈と五感を同調させ始めた。



 ここ半月、白星とて、ただ物見遊山に興じていた訳ではない。

 町中や御山の周囲の地脈の要所を抑え、着々と土地を侵食していたのだ。


 駐屯所などは御山に次いでの重要拠点である。当然周辺の脈は制圧済みだった。

 脈が自在に読める地での人探しなど、白星にとって児戯に等しい。


 それこそ昔日、黒き衣の女を追い詰めた時と同じく、手に取るように相手の位置が把握できるのだから。


 相手の姿は肉眼で視認している。それだけですでに縁は成った。

 後は獲物が通った道筋を、地脈の記憶が伝え来るままに追えばよい。


 雨天のせいで視界は悪いが、草木が歩きやすい道を自然と教えてくれる。

 目を瞑ったままでも、鼻歌混じりに追跡を続行できるだろう。


 そんな芸当を可能とするまでに、白星による地脈の支配は進んでいた。




 追跡を始め、峠を二つ三つは超えただろうか。


 いつしか夕陽が半ば落ち、薄闇が迫る頃になって、追っていた気配が不意に消えた。


 白星は焦らず、己の歩調を崩さぬままに進む。


 気配が消えた場所の地形を見回すと、巧妙に蔦や木枝で隠した洞穴が見つかった。

 須佐の里とはまた別系統の結界の式を感じ取り、白星の口の端に笑みが灯る。


 見張りの姿は見えないが、寄れば侵入を悟られ、奇襲を受けるやも知れぬ。しかし、


「虎穴に入らねば虎児を得ず、か。ここまで追って、収穫なしではつまらぬしの」


 そうさほどの迷いも見せず、蔦をかきわけ遠慮なく入り込もうとした刹那、草葉の影を裂いて白刃が閃いた。


 がつり、と乾いた音を立て、白星の胸元を狙った刃は白鞘で受け止められる。


「かか。物騒な挨拶よな。それがぬしらの流儀かの」


 洞穴の結界に触れた事で隠形が緩み、存在を気取られたらしい。

 須佐の式に対抗し得る術を見て、白星は目に軽い感嘆を浮かべながらも短刀を押し返した。


「ちぃっ!」


 高い声の舌打ちが漏れるも、奇襲が失敗した驚愕は一瞬で収め、草木の陰を利用しながらなおも攻勢をかける小柄な影。


 それら全てを、笑みさえ浮かべて軽々といなす白星に、小柄な影は苛立ちを募らせ、増々苛烈な攻撃を加え来る。


 刃をさばきながら間近で見れば、白星よりもさらに一回りほど背が低い。

 声といい、体つきといい、年下の少女であろうと思えた。


 泥まみれのぼろ切れとしか呼べぬころもを、顔を含む全身に巻き付けて覆っている。

 そのところどころは赤黒く染まっており、布地の隙間より覗く目には、ぎらりとした明確な敵意がみなぎっていた。


「貴様、何者だ! どうしてここを」


 短刀を振るう手を緩めぬままに、幼さの混じる声で問いが投げられた。


「何、ただのもの好きよ。ちと話を、と思うたが。これではらちが開かんの」


 白星は鋭く突き出された刃に呼吸を合わせ、少女の小手を跳ね上げると、そのまま白鞘の腹を肩口に押し付けつつ足を払い、地面へ押し倒した。


 しかし生憎と場所が悪く、洞穴の入り口に着地してしまっていた。


 さらに都合の悪い事に、洞穴は入ってすぐに、急な下り坂となっていた。


 ぬかるんでいたこともあり、自然、二人はもみ合うようにして、雨水混じりの天然の滑り台を真っ逆さま。


「くそ、貴様、離れろ!」

「かか。こう勢いがついては無理な相談よ。それより刃を収めい。弾みでどこぞを斬りかねぬぞ」

「何でそんなに落ち着いてるんだ!」


 滑り落ちながらそのようなやり取りを交わすのも束の間。

 次第に傾斜が緩やかとなり、通路の幅が広くなってきた頃、ようやく二人の滑走の勢いは衰えた。


 幸いにして、洞穴は岩肌ではなく土が主だったため。二人とも目立った外傷は受けずに済んだ。



 しかし、白星はすぐには動かず、少女の拘束も解かず、辺りを油断なくゆっくり見回した。



 坂の終点は広い空間となっており、壁に松明が灯され、人の生活の跡がある。


 何より、住人達はすっかり出迎えの準備を整えていた。



 がしゃり、がしゃりと、くろがねを鳴らし、少女同様ぼろ切れをまとった集団が、滑り落ちて来た白星と少女を一斉に取り囲んだ。


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