三十九 試すもの

「こうして皆と夕餉を共にできるのは久しいな」


 囲炉裏に吊るした鍋の様子を見ながら、健速は嬉し気に笑みを浮かべた。


 大黒屋としての仕事が山積みで、夜にも接待や会合で外食の多い健速は、なかなか時間が合わずにいた。


 しかしとある日の夕暮れ、おもむろに竹林の庵に顔を出し、こうして囲炉裏を囲む事となった。


 白星達が熊野へ腰を据えてより、はや半月余り。

 千歳を通じて随時報告はされているのだろうが、直にその暮らしぶりと進捗しんちょくを見たいがために、わざわざ時間を設けたのであろう。


「それで白星殿。星子よ。熊野の町はどうであった?」


 早速にも、椀によそった雑炊を渡しながら健速は尋ねた。


「すごいです。初めて見るものばかりで。大きくて、広くて、建物も人の着物もみんなきれい!」

「うむ。千歳の案内がまた上手での。余さず見て回れたわ。人が暮らすには、まことよきところよ。須佐が里とは、また別種の活気で満ちておる」

「恐れ入ります」


 健速の問いに、星子は弾んだ声を返し、白星が瞑目して首肯すれば、千歳が頭を垂れた。


「いよいよ兵が集まりよって、物々しくなっておるのが珠に傷だがの」


 帝都を発った鹿島の兵が続々と集結し、町中の警備が増員されているのだ。


 しかしいかに天津の兵とは言え、末端までが異能や術理に通じている訳ではないようで、警備の兵とすれ違っても、白星達の隠形が見破られる事は今のところなかった。


「うむ……兵と言えば、例年神事の護衛の指揮を執る中将、鹿島貞頼が早々に到着したようだ」


 健速は貞頼のことが気に入らないのか、顔に嫌悪がありありと浮かんでいた。


「ぬしは面識があるのかの」

「いや、直接話した事は無い。ただ、社殿や警備兵の駐屯所へは物資を卸しているからな。挨拶回りの折に、幾度か顔を拝んだことはある」


 腕を組み、鼻息荒く健速は続ける。


「奴は天津人至上主義で有名でな。天津以外は人に非ず、と公言しているほどだ。恐らく、今年も恒例の出し物をやるだろう」

「出し物とはなんですか? お祭りと関係がありましょうか?」

「うむ……祭りの前座のようなものだが。子供が見るのはあまり勧められんな」


 星子が興味を示して食い付くが、健速はしまったとばかりに、歯切れ悪く返すのみ。


「誤魔化しても無駄ぞ、健速よ。鹿島の軍は、近隣の賊を狩り立てながら進軍しているとの噂を聞いておる。そこへ差別主義の将と来れば、やる事は一つよの」


 健速の隙を付いて徳利を奪った白星が、意地悪く笑んで見せる。


「何をすると言うの?」


 遠慮なしに杯を傾ける白星に、星子の純粋な質問が向けられた。


「見せしめの処刑。拷問。はりつけ。打ち首。その辺りであろうよ。のう?」


 さらりと答えて見せた白星の流し目を受け、健速は溜め息混じりに頷いた。


「見せしめ……? 処刑って……?」


 混乱を始める星子をあやすように、白星はお守りをふわりと撫でる。


「健速よ。いずれ避けて通れぬ道ならば、早めに教えてやるのが星子のためにもなろう」


 その言葉が決め手となり、腹を決めた健速は千歳と視線を交わして頷き合うと、ぎこちなくも話し始めた。


「星子よ。我等須佐の民は、武士の血統として教育を受けて来た。それは七つの女子であったお前も同じ事。座学の内容を思い出せ。敵方に敗れた者の末路はどうであった?」

「敗けた兵……戦の中で死なば本望。しければ、虜囚として恥をさらす……」


 武士の心得を記した書の一文をそらんじた星子の声に、徐々にふるふると怯えが混じってゆく。


 その脳裏には、七年前、己が父が家族の首をぶら下げて刃を振るう姿が鮮明に映し出されていた。


「あ、ああ、父上……あああああ……!!」

「星子! 落ち着け! 星子!」


 お守りが振動するほどの絶叫を放つ星子に向けて宥める健速だが、その声は届いているかも怪しい。


「ふむ。此度はこれまでか」


 見かねた白星は、お守りごと星子を己が影にずぶりと沈めた。


「白星殿。今のはあまりに性急に過ぎたのでは!」


 姪の心の傷を開いた事に憤慨してか、珍しく声を荒げる健速。


「のう、健速よ。これより仇討に際して、如何程の血が流れると思う」


 対して白星は静かに杯をちろり舐め、問いかけで返した。


「それは……」

「わしは星子との約定で、すでに一人討っておる。あやつが望む限り、満足するまでいくらでも討ってやろうぞ。何しろわしは、ぬしら曰く魔性のもの。人ならざるものである故な。ぬしら人の営みこそ嫌いではないが、敵とあらばいくら死のうと、さして思うところはないでの」


 淡々と語る白星の口元に、皮肉げな笑みが浮かぶ。


「しかし、星子は別よ。こやつには我が盟友として、わしの所業を見届ける義務がある。そのためには、いかに理不尽であろうと、縁なき敗者の死ごときで揺らぐ意志では足りぬ。その程度の器では、わしの盟友たり得ぬのよ」


 静かながらも鬼気迫る妖気に圧され、健速と千歳、二人の達人が声を発する事さえできず。


「何。案ずるな。七年前の雨の夜。わしはこやつの中に鬼を見た。それ故盟約を長らえたのだからの。こやつはぬしらが思うよりずっとしたたかよ。すぐにも血路を歩むに慣れるであろ。こやつの心が砕けぬ内は、わしが盟約を反故にすることはあり得ぬ」


 そう言って白星が破顔すると、それまでの冷徹な空気はどこへやら。

 健速と千歳の緊張もようやく解け、情けなくもその場へへたり込んでいた。


「しかし、鹿島が中将か。処刑を催すからには、自らも場にいよう。天津が将の面を拝んでおいて損はあるまいて。敵を知るによい機会よ」


 徳利を引っ繰り返して最後の一滴まで杯に満たすと、白星はぐいと一飲みに干した。


「町中への細工はあらかた終えたでの。いよいよ御山へ乗り込む時も近かろう」


 健速と千歳はその真意を汲む事ができず、顔を見合わせるばかり。


 しばし庵の中には、くつくつと笑う白星の声と、すっかり汁気のなくなった鍋の焦げる音だけが響いていた。

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