四 侵すもの

三十八 根を張るもの

 千歳が須佐の術儀のすいと、丹精を込めて編んだ依り代。

 星子がその仮初の器に馴染むのに、そう大した時間はかからなかった。


 最初こそ、陰陽のいろはを矢継ぎ早に叩き込まれて泣き言を上げていたが、健速が帰宅し、久しぶりに血族とのゆるりとした団欒を経た事で心の緊張が解けたものか、その日の晩には器越しに、ある程度の視覚を得るに至っていた。


 移動こそ持ち運ぶ白星の気分一つであるが、絶えず消耗する霊体でいるよりは、幾分か余裕をもって周囲を見回す事ができる。

 その手段が与えられた星子の喜びようは、七つの幼子相応のものであった。


 そして明くる日より早速、千歳を案内に立て、白星と星子は熊野の町の見物へ繰り出した。



 期待と共に依り代へ宿った星子を首元へぶら下げた白星は、千歳に続いて大黒屋の裏門を潜り、小道を大回りして表通りへと抜けた。


 するとどうか。

 現れた光景は、どちらを向いても、人、人、人の大行進。


 ともすれば、在りし日の須佐の里の人口より遥かに上かと思える人波に、星子はただただ圧倒されるばかり。


 仮に星子に肉体あらば、あんぐりと口を開けたまま呆けていた事請け合いであろう。


 老若男女問わず、皆一様に笑顔に溢れ、ざわざわとした喧噪に溢れる街並みは、初めて目にする田舎者を呆気に取らせるに十分な威容であった。


 表参道などは、毎日が縁日であるかのように人の往来が絶えず、軒を連ねる商店も繁盛のほどが伺える。

 どの店も、大黒屋に負けじと間口を広げ、呼び込みの声も威勢が良い。


 未知の食べ物があれば白星が目聡く見付け、財布を預かる千歳にねだって食べ歩いた。

 星子も供え物という形で恩恵を受ける事にも慣れ、仲良く団子などを分け合う姿を見せては、千歳の頬を緩ませる。


 喜色に弾む星子の声は、須佐に縁ある者にしか聞こえず、大勢の只中にあってもまるで問題がない。

 傍目からすれば、白星と千歳の二人連れ。ちょうど参詣に来た祖母と孫に見える事だろう。


 白星一人で歩いていたならば、よからぬ輩が寄って来たかも知れぬが、二人でいることが、程よく周囲に溶け込む一因となっていた。


 当然ながら、千歳も変装に加えて隠形術の遣い手であり、大黒屋との繋がりを示すものは露ほども見せていない。


 内輪話であろうと、堂々と茶屋の縁台などで始める豪胆ささえ披露した。

 言葉の端々に一ひら呪を乗せて、周囲のざわめきに混ぜ込む事で、他者には意味の通らぬ戯れ言にしか聞こえぬようにしているのだ。


 木を隠すなら森の中。

 下手にこそこそせず、その場に合わせて自然に同化することが、諜報の肝なのだと千歳は説いた。


 その言葉は正鵠せいこくを射ており、例えばこうして茶屋に陣取っているだけでも、付近の客やら通行人の話す声が耳に入って来る。


 玉石混交ぎょくせきこんごうの噂話が多くを占めるが、どれほど怪しく尾ひれがついた話にも、源流となった事柄があるものだ。


 草の使命は、そういった噂話から真贋しんがんを見極めて、有用な情報を収集する事にあった。


 それはとても地味で、粘り強さを要する作業であるが、根気と言う点では白星に一日いちじつの長がある。


 星子は途中で気を散らし、浅き眠りに沈みもしたが、白星と千歳はお構いなしに情報収集を続けた。




 数軒の茶屋を巡り、居座っては噂話に耳をそばだてていたが、やはり取り沙汰されるのは、近く催される神事にまつわる件が多い。


 中でも今年は熊野の神事を司る巫女の成人の儀も含まれているらしく、それはもう盛大に執り行われるのではないか、と持ちきりであった。


「ふむ。祭神の名は伏せ、巫女を現人神と扱うか。まるで帝の如きではないか。のう、千歳や」


 湯飲みを傾けていた白星が一息ついた後にそう問うと、千歳は柔和な顔のままで頷いた。


「ええ。私共も、かつては躍起になってその起源を探ったものですが、成果は芳しくありません。詳しくは後程、健速様からお聞きになるのがよろしいでしょう」


 千歳は店員に茶のおかわりを注文すると、かすかに声の調子を落として続ける。


「白星様がこの地の龍穴を手中に収めるにあたり。障害となるのが、件の巫女と秘奥の祭神ということになりますが。それだけではありませぬ。すでに天津が八咫衆の一つ、鹿島の軍が帝都を発ったとの報せもございます。かの御山の警備は元より堅牢ですが、今後は更に兵が増える事でしょう。白星様は、如何にお動きなさるおつもりですか?」


 ただでさえ少ない須佐の生き残りとしては、現状頼れる戦力は白星のみである。

 表情にこそ出さぬが、この圧倒的な数の不利をどうするのか、疑問や不安が胸に渦巻いているのだろう。



 恨みは強く。しかして、現実は儚し。



 そんな仄暗い感情を吹き飛ばすように、白星は呑気に笑って見せた。


「かか。そう急かすでない。策を練るは、相手の布陣、全容を見てからでもよかろ」


 団子の最後の一つを平らげると、白星は舌なめずりをしながら付け足す。


「時はある。まずは打てる手からじっくりと、の」


 その不敵な笑みは、絶対の自信から来るものか。

 はたまた、単純に団子が美味であっただけなのか。


 今の時点で千歳が推し量るには、少々難題であった。

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