三十七 宣




「お待たせし申した、中将殿。巫女の準備が整いましてござる」


 部下からの耳打ちを受け、貞頼へとそう告げたのは、先に接待をしていた巫女の実兄、熊野くまの芦名あしなだった。


「おう、それはそれは。待ちかねた」


 貞頼はすでに酒が入り、芦名が選りすぐった見目麗しい侍女達の酌を受けて悦に浸っていたが、本来の目的を思い出して陽気な声を上げた。


 少しでも妹から目を逸らそうと、ぜいを凝らした料理に自慢の地酒、美女まで用意したが、芦名の目論見は脆くも崩れ去った。


 そこへ障子越しに侍女の声がかかる。


「失礼致します。巫女様のご到着でございます」

「うむ。お通しせよ」


 芦名の返答を受け、静かに障子が開かれると、従者に背負われた少女が部屋に運び込まれる。


 そして貞頼の正面に配された雛壇ひなだんに降ろされると、少女は居住まいを正し、巫女としての振る舞いを開始した。


「お待たせ致しました。八咫衆が一つ、鹿島が中将貞頼殿。遠路遥々えんろはるばる、ようこそおいで下さいました」


 そこまで淀みなく言い切ると、深々とお辞儀をしてみせる。

 地位ある巫女に相応しい、見事な作法であった。


「なんのこれしき。拙者も栄えある勅を頂戴し、参上した次第。左程の苦労もありませぬ。仮にあったとしても、巫女殿の御尊顔を拝するだけで吹き飛びましょうぞ」


 貞頼は最早周囲の侍女などお構いなしに、膳を避けて巫女の前まで這いよってゆく。


「久方ぶりにお会いしましたが、より一層美しゅうなられましたなあ。もう一、二年もすれば、帝都のおなごにも引けを取らぬ、いやさ、それ以上の珠玉となられましょう」


 堰を切ったようにべらべらとまくし立てる貞頼の進路を、芦名がさりげなく塞ぎつつ警告する。


「失礼ながら、中将殿。それ以上巫女に近寄るのはご勘弁下され。世俗の気を移しては、務めに障ります故」

「む……そうか。しかし、おれの差配なくして、此度の神事はうまく回らぬぞ。その辺り、とっくりと打ち合わせをするくらいはよいであろう?」


 大分酔いが回っているせいか、己の強権をちらつかせ始めた貞頼に、芦名は頭を抱えたくなった。


 が、しかし。

 思わぬところから思わぬ言葉が飛び出して来た。


「中将殿。毎年の見事な差配ぶり、誠に感謝しております。此度も貴殿にご協力頂けば、すべからく安泰でありましょう」


 なんと、少女が台本にない台詞を紡ぎ始めたのだ。


「おお。おお! そう言って下さるか! 左様、左様。拙者に一任されば、万事が万事、心配ご無用! 此度も安心して、神事に集中されるがよろしい!」


 貞頼も予想だにしなかった褒め口上に舞い上がり、手にした扇を膝にぺしんと打ち付けた。


「ただ、一つだけ」


 そう少女が発すると、部屋が一気にしんと静まった。


 特に語気が荒くも、声が大きくあった訳でもない。


 それでも、部屋中の者が奇妙な緊張に呑まれて一斉に黙り込み、少女の次の言葉を自然と待った。


「こちらへ来る途中、鳴釜の前にて、熊野の神より御宣託がくだりました。中将殿におかれましては、此度の熊野滞在の間、あまり派手な振る舞いはされぬが吉なり、と。しかと、この耳で聞き届けましてございます」

「な……なんと?」


 何やら思い当たる節でもあるのか、貞頼は大きく狼狽えた。


「具体的にはどうなると……!」

「残念ながら、そこまでは。ただ私は、賜った御宣託をそのままお伝えしたのみでございます。その意図までは汲み取れませぬ。ご判断は、中将殿にお任せ致します」


 そこまで凛とした言葉を続けた後、巫女は伸ばしていた背筋を不意に崩し、雛壇の上へどさりと倒れ込んだ。


「巫女様!」


 侍女と芦名がすぐさま駆け寄り、手を取り脈を診る。


「こちらへ来る際、鳴釜の前でも一度お倒れになられたのです」


 侍女の報告を聞き、芦名は得心なった様子で貞頼へ振り返る。


「中将殿。まことに申し訳ありませぬが、御宣託を受けし事で巫女は激しく消耗している様子。此度の面会はここまでとさせて頂いて宜しいでしょうか」

「あ……ああ。うむ。体調が優れぬなら仕方なかろう。後で見舞いの品でも送るとしよう」

「寛大なお言葉、ありがとうございます。さあ、寝所へ」


 苦々しく応える貞頼に一礼すると、芦名は従者達に少女の身柄を任せた。


「重ねて失礼ながら、拙者も今の御宣託がどういった意味を持つか、稚拙ながら調べてみようと存じます。つきましては、これにて退席させて頂きとうござります。中将殿におかれましては、ゆるりと宴の続きをお楽しみ下され」


 土下座にも近い深さで頭を垂れると、芦名は返事も聞かずに応接間を後にした。


 その直後、応接間の内より侍女達と貞頼の嬌声きょうせいがわっと響き始め、なんとか機嫌は持ち直したものと安堵する。


 切り替えの早さは、貞頼の美点であろう。



 問題は、宣託の方である。


 いかに妹が中将を嫌っているとしても、会見を取りやめるため、礼儀を弁えぬ下手な芝居をするほど愚かではない。


 鳴釜は、例祭にて要となる祭器。

 巫女と対にして、熊野大社の象徴たるもの。



 その御前にて倒れたとなると、少女に宣託が降ったのは事実なのだろうと思える。


 本来であれば、神事の最中でしか宣託は滅多に降りぬ。


 それをして、熊野に宿る神が、何故天津の中将を名指しに警告を発したのか。


 もしや凶事の前触れなのでは。


 芦名は調べ物のために書院へ向かう間、も言われぬ不安が、背筋をぞくぞくと這い上って来るのを止める事ができなかった。

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