十二 醒

 唐突に、脳髄へ焼けた鉄串を差し込まれたような激痛を覚え、浅羽兼続は文字通りに身を跳ね起こした。


 兼続にしてみれば、晴天の霹靂である。


 直前の記憶は、賊の長と鉄火場で相対し、己が膝を折った場面。


 それが一転、清潔だが武骨な造りの屋内と変わり、半裸で敷物の上へ立っているのだから。


「若。意識が戻られたは喜ばしゅうございます。ですが、まだ横へなっておられた方がよろしいかと」


 呆然とする他無い兼続へ、横合いからしずしずと一声かけられた。


 首だけ向けて見やれば、よくよく知った顔。

 浅羽家抱えの老薬師、南海宗源みなみそうげんが、白い髭に覆われた柔和な顔を安堵に綻ばせている。


「ここは、兵舎、か。おれは、一体」


 部屋を見回し、己が属する軍の療養所であると認識するも、何かが腑に落ちぬ。


 額へ手をやろうとしたところ、ふと違和感を得た。


 いつまで経とうとも、指が顔面に達しない。


 恐る恐る視線を左へ送ると。


「おれの、手が」


 肘の半ばより先が綺麗さっぱり消え失せ、傷口を朱に滲む包帯が覆っている。


 まざまざと現実と痛みを突きつけられ、兼続の記憶はたちまち逆行していった。



 長の術で地に落とされ、芦屋道子の助太刀により難を逃れた後。


 流血多く意識が混濁した兼続は、部下に連れられ一足先に帝都へ帰還を果たしていた。


 その間、朦朧としながらも周囲の慌ただしい会話は耳に入っており、里に残りし兵は賊を掃討するも、被害甚大にして撤退。

 単身神器の奪還へ向かった道子も未だ戻らず、との報が脳内を錯綜した。



 賊風情と侮り、少数の手勢で攻めた代償か。


 己の負傷も含め、痛み分け、とするにはあまりに大きな損害である。



 兼続は状況の整理が進む程に、耐えがたい屈辱が狂気を呼び込み、己を蝕むのを強く感じた。


「お、おお、おのれ。おのれおのれおのれ」

「若、お気を確かに」

「おのれえええええ!」

「若様! 誰か、誰か人を!」


 すがりつく宗源を乱暴に振り払い、乱心した兼続は吠えながらに激しく地団駄を踏む。


 容易く畳ごと底板を踏み抜いて地を揺らし、咆哮は突風となり屏風や障子を吹き飛ばした。


 とても常人には近寄りがたし。


 騒ぎに集まった人々も、遠巻きにするより手立てなく。


 目につく家具を薙ぎ払い、壁へ大きくひびを入れ、いよいよ柱も危ういかと思われた頃。


「兼続殿。浅羽が兼続殿。どうかどうか、その辺りでお鎮まりあそばせ」


 涼やかにして、どこか軽薄な響きを持つ声が、猛る天狗の動きをぴたりと止めた。


「おお、助かり申した。芦屋殿」


 持て余した宗源が頭を下げた先に、生死不明なはずの芦屋道子が平然と立っていた。


「いえいえ。なんのことはござりませぬ。わたくしめ、兼続殿のご様子へ気配りするよう、お父君より申しつかっておりますれば」


 死の淵を渡った形跡まるでなく。

 芝居じみた口調も仕草もそのままに、薄い笑みを張り付けて。


 荒く息を弾ませる兼続にとって、その様は酷く癪に思えるものだった。


 一瞬でも安否へ気を配ったのが馬鹿らしい。

 生還できるものなれば、部下の一人も救ってくればいいものを。


 そう文句の一つ二つも言いたくなる。


 しかし如何せん。名を呼ばれたのみで、一切の動き取りようもなし。


 こうした事態を見越して、普段より執拗に名を呼ばわって縁を築いていたのだろうか。


 兼続はそう思い至り、長との一騎討ちで学んだ呪の恐ろしさが甦ると同時、道子の抜け目無さにも舌を巻く。


「さてもさても。ご健勝であられるようで、何よりにございまする」


 屋内にして下駄ではないが、つま先立ちでつつい、と無事な廊下へ踏み出す独特の足運びは、相も変わらず軽快だった。


「芦屋殿も。よくぞご無事でしたな」


 緊縛が解けたのを感じ、痛みをこらえつつ、せめてもの皮肉を込めて言い返す。


「いえいえ、とんでもござりませぬ。恥ずかしながらわたくしめ、惨敗も惨敗。ものの見事に討ち果たされ申した」


 兼続は耳を疑った。


 それであれば、目の前にいる者はなんだと言うのだ。


 道子はその疑問を見越したように笑みを広げる。


「わたくしめ、備えあれば憂いなしを標榜としておりまして。兼続殿に同行したは、わたくしが丹精込めて編み上げた式人形にございますれば」

「あれが、式?」


 人の身で、あれほど精巧な人の形を生み出したと言うのか。


 陰陽師というものの底知れなさへ再度戦慄する兼続へ、道子は構わず続けた。


「さてさて。かように無様にも敗れたるわたくしめが、恥を忍んで参ったは。何をおいても、お一つご報告をせんがため」


 すすと部屋に滑り込むと、扇子で周囲の目を隠し、兼続の耳元へ囁く。


「賊に生き残りやあり。貴殿の左腕が仇、長殿のご息女にして、神器の力により途方もなき魔性と成りし者」


 その言葉に兼続の目が刮目される。


「なれば今すぐにでも討ちに」

「若、なりません。今は御身が大事にございますぞ」


 血気に逸る兼続を、宗源が止めようと躍起になった。


「ええ、ええ。悔しゅうござりましょうが、なりませぬ。かの地は今や、氷雪乱舞の大魔境と変じ申した。もはや侵入すら叶いますまい」


 道子は一枚の紙を取り出すと、表面を指でさらさらとなぞってみせる。


 するとたちまち紙面が、その場へ直に臨んでいるような、猛吹雪が舞う映像をもたらした。


「とは言え、ご心配は無用にて。かの者の力は、必ず大きな乱を呼び込みまする。動かば遠からずに足跡は辿れましょうぞ。我らはそれを待ち、力を蓄える事に心血を注ぐのが吉。と見まするが、如何に」

「むう」

「幸いにして、賊の拠点を潰し、邪気を散らすという目標は達しております故、咎めだてる者もありますまい」


 正論、ではある。


 冷静になってみれば、兵の再編もなっておらず、己もまた手負い。


 長のみでもあの強さだったのだ。

 道子をして魔性とまで言わしめる怪物とやりあうには、いささか以上に分が悪い。


「ご納得頂けましょうや。されば、具体的な献策をば」


 無言を肯定と取ってか、道子はとんとん話を進めゆく。


「まずは兼続殿。浅羽兼続殿がその左腕を、元へと戻すのが最善でござりましょうぞ」

「戻す、と。義手ではなく?」


 脇で聞いていた宗源が首を捻る。


 古今東西、欠損した四肢を癒す医術など聞いた試しがないためだ。


「然り、然り。それも、元の腕より具合がよろしくなるやも知れませぬぞ」

「そのような事が、まこと叶うのですか」


 兼続にとっては是非もなし。

 勢い込んで尋ねると、道子はもったいぶった仕草で袂より包みを取り出した。


「これなるものならば、あるいは」


 解いた包みの中身は、得体の知れぬ干からびた肉塊だった。


「これは一体」

「人魚の肉、にございまする。食さば不老長寿の効能万全。欠けたる肉体に繋がば、それをも補うと、もっぱらの評判にて」


 なんとも怪しげな。


 宗源が小さく呟くのが聞こえるが、藁にもすがりたい兼続には些細な問題に思えた。


「お試し、なさりまするか」

「愚問」


 短く返し、兼続はひったくるように肉塊をもぎ取った。

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