幕間 一
十一 睡
亡くしたものを嘆き。
為すすべ無きを悔やみ。
力持たざること
奪いしものを呪い。
嗤いしものを
延々に、激高と悲哀に暮れ。
およそ
飲み干し切れぬ
走り
その
どれ程時を経たかも知れぬ。
時が流れているかも見えぬ。
己の
意思もなくして、ただ揺れる。
墨で染めたる
ゆらりゆるりと虚脱に
分けて
散り千切れてはゆらめいて。
泥の
このまま溶けてゆけたなら。
すべてを失くしてゆけたなら。
甘く儚く
思うてみても許されぬ。
そうは問屋が卸さぬと。
偽ることは敵わぬと。
折れぬ心が轟き
堂々巡りへ飽きずに
かくも
嗚呼、苦しや、憎しや、口惜しや。
(──うるさい)
ふとした呟きなど気にもせず、
やれ、あの首その首、差し出し寄越せ。
墓前へ手向ける花とせん。
(──うるさいってば!)
たまりかねて吐き出した叫びに、喜々とした残響引く声が応じた。
(かか。起きよったか。星子や)
声、と言っても、大気震わせたものかは定かではない。
頭へ直接言の葉を送り込んだような、とでも形容したものか。
ともあれ呼ばれたと知覚するや、ばらばらに散っていた幼き魂は、星子という名の器へ一息に収まりゆくのを感じ取った。
視界は未だ暗いまま。
ぐるり一面深い闇。
五体の感覚まるで無く。
目をつぶったまま、宙を浮かんだのならこうもなろうか、と星子は拙いながら表現を試みた。
しかし事態が一向呑み込めぬ。
先程まで、何をしていたのか思い出せぬ。
(焦らずともよい)
再び、気遣うような声がかけられる。
(だれ?)
予想よりも容易く、波なき声は出た。
星子が問うと、不意に正面の闇を割り、するりと何者かが現れる。
肩までの真白い髪を揺らし、同色の水干をまとう、幼くも目鼻立ちきりとした少女。
色を除けば、まるで自分に瓜二つ。
その手へ暗中にして眩く映える白鞘を抱き、未だ自分が浮かべた事もないような──言ってみれば、母に良く似た──深い慈しみの微笑を湛えている。
ああ。
星子は白鞘を一見し、合点なったと息をついた。
(夢じゃ、なかったんだ)
それが呼び水となり、事の顛末が頭へ去来する。
不思議な事に、記憶の紐はするすると、覚えのない映像までも引き出した。
己が身を譲り、意識途絶えた後の出来事。
本来知り得ぬはずの情報。
憎き黒狩衣の女が串刺しとなった光景を、まざまざと思い起こさせる。
その事実は、煮えたぎっていた星子の溜飲を少なからず下げた。
(ぬしは狂乱の最中も、わしと共にあの場へ在った。視界の端へ、しかと刻んでおったのよ)
(そう)
返しは素っ気なくとも、対話を続けるをよしとする程度には、星子は態度を軟化させた。
(あいつ、本当に討ってくれたんだ)
(約定と言うたろ。わしのような概念に
(ことわり。父上がときどきしてくれた、少しむずかしいお話。世界の決まりごと)
(かか。知りよるか。ぬしは存外に聡いの)
(父上にも褒められたもの)
そこで胸を張ろうとし、五体無き事に気付いてばつが悪くなる。
(ねえ。さっきのお歌はなに)
誤魔化すように話題を変えた。
白鞘は気にした風もなく応じる。
(ぬしが心情を汲んで詠んだものよ。なかなかの出来であろ)
(うるさかった。あの女の話し方みたいで)
(かか。さよか。あやつの気も喰ろうてしもたやもな。されど、ぬしの気付けには役立ったわ。わしらが夢で逢瀬を重ねること、はや数えよらぬ。言の葉交わすをついぞなった)
その言から、自分が夢の中にいるのだとようやく知れた。
無心で哭きに哭いたお陰か、自分でも不思議な程の落ち着きが戻っている。
元来人の激情とは、完全に消えはせずとも、盛んに燃やし続ける事は難しい。
忘却という、精神の防御機能が備わっている故に。
星子は知ってか知らずか、一旦追いやった憤怒より、現状の把握に努める事にした。
(私は、死んだのではないの?)
(生きておる、とは言えまいが。へその緒一本、自我のみは残ったようさな)
(じゃあ、幽霊?)
(かか。乱雑に片付ければそうなろう)
幽霊。
自身がそのようなものになったと聞かされるのは、なんとも妙な心持ちであった。
思えば、白鞘の思念とこうして安らかに語らうのは初の事。
無数に質問を浴びせたい衝動に駆られるが、同時にそれを上回る強烈な倦怠感が、星子の意識を押し込めゆく。
(うむ。此度はこれまでかの。長く精神を維持するは、まだぬしには辛かろうて。またしばらく眠りおれ)
(待って。あなたの、お名前、は?)
星子は薄れゆく意識をこらえ、最優先すべき問いを発した。
(かつてはあったやも知れぬが。とうに忘れたわ)
白鞘を抱いた娘は視線を彼方にやり、自嘲したかの笑みを浮かべる。
(そうさな。ぬしが呼び名を付けよ。この身で動くに、ぬしがおっては星子を名乗れぬ。といって、名とは自ら称するものにあらず)
呼び名。
重りを増す睡魔に抵抗しつつ回った思考は、ひどく単純な解を導いた。
(
己が名より一文字取り、鞘の色味を当てた、至極安直なもの。
名を付けられた少女は、一度ぱちくりと瞬きする。
そして、
(かか。純粋にして、縁起よき名よ。負けようもあるまいぞ)
大輪の花のように満面咲かせて頷いた。
(ではの。星子や。ゆるり休みおれ)
(うん。おやすみなさい、白星)
まるで子を寝かしつける母のように、白星の手がこちらへ伸ばされる。
それが意識の瞼を閉じたと感じるや、星子はたちまち安らぎを得て、夢の最奥へと沈み込んでいった。
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