幕間 一

十一 睡

 亡くしたものを嘆き。


 うしなったものを惜しみ。


 為すすべ無きを悔やみ。


 力持たざることあざけり。


 おかしたものを憎み。


 とくしたものを恨み。


 奪いしものを呪い。


 嗤いしものをそしり。



 延々に、激高と悲哀に暮れ。


 永々えいえいに、焦燥と鬱積うっせきされ。



 喧々囂々けんけんごうごうと。

 およそ筆舌ひつぜつに尽くせぬ負情ふじょうの波が、寄せては引かずに満ち満ちた。


 飲み干し切れぬ汚濁おだくとし、忘我の果てまで燃やして馳せる。


 走りめぐって吠え猛り、のたうち回ってむせび泣く。



 そのすえ辿り果てたるは、茫然自失が底の沼。



 どれ程時を経たかも知れぬ。

 時が流れているかも見えぬ。


 己の姿形なりすら取りようなし。


 目鼻口めはなくちなく、五体なく。


 意思もなくして、ただ揺れる。


 墨で染めたる水面みなもへぷかり。

 れた反物たんもの浮かべたように。


 ゆらりゆるりと虚脱にかる。



 ゆだ揺蕩たゆたい、布から糸へ。

 分けてほぐれて、はらはらり。


 散り千切れてはゆらめいて。



 へだたり、正体なくし。


 泥の安寧あんねい心地良し。



 このまま溶けてゆけたなら。


 すべてを失くしてゆけたなら。



 甘く儚くとろけてみても。



 思うてみても許されぬ。


 そうは問屋が卸さぬと。


 偽ることは敵わぬと。


 折れぬ心が轟きわめく。



 堂々巡りへ飽きずに入切いきる。


 かたきを取らんや、みなぎえる。



 かくも業腹ごうはら極まれり。


 たぎり滾ってなお足りぬ。



 嗚呼、苦しや、憎しや、口惜しや。





(──うるさい)


 ふとした呟きなど気にもせず、飄々ひょうひょうとした歌声は続く。




 やれ、あの首その首、差し出し寄越せ。


 かたきに連なる諸首もろくび寄越せ。


 墓前へ手向ける花とせん。




(──うるさいってば!)


 たまりかねて吐き出した叫びに、喜々とした残響引く声が応じた。


(かか。起きよったか。星子や)


 声、と言っても、大気震わせたものかは定かではない。


 頭へ直接言の葉を送り込んだような、とでも形容したものか。


 ともあれ呼ばれたと知覚するや、ばらばらに散っていた幼き魂は、星子という名の器へ一息に収まりゆくのを感じ取った。


 視界は未だ暗いまま。

 ぐるり一面深い闇。


 五体の感覚まるで無く。


 目をつぶったまま、宙を浮かんだのならこうもなろうか、と星子は拙いながら表現を試みた。


 しかし事態が一向呑み込めぬ。


 先程まで、何をしていたのか思い出せぬ。


(焦らずともよい)


 再び、気遣うような声がかけられる。


(だれ?)


 予想よりも容易く、波なき声は出た。


 星子が問うと、不意に正面の闇を割り、するりと何者かが現れる。


 肩までの真白い髪を揺らし、同色の水干をまとう、幼くも目鼻立ちきりとした少女。

 色を除けば、まるで自分に瓜二つ。


 その手へ暗中にして眩く映える白鞘を抱き、未だ自分が浮かべた事もないような──言ってみれば、母に良く似た──深い慈しみの微笑を湛えている。



 ああ。



 星子は白鞘を一見し、合点なったと息をついた。


(夢じゃ、なかったんだ)


 それが呼び水となり、事の顛末が頭へ去来する。


 不思議な事に、記憶の紐はするすると、覚えのない映像までも引き出した。


 己が身を譲り、意識途絶えた後の出来事。

 本来知り得ぬはずの情報。


 憎き黒狩衣の女が串刺しとなった光景を、まざまざと思い起こさせる。


 その事実は、煮えたぎっていた星子の溜飲を少なからず下げた。


(ぬしは狂乱の最中も、わしと共にあの場へ在った。視界の端へ、しかと刻んでおったのよ)

(そう)


 返しは素っ気なくとも、対話を続けるをよしとする程度には、星子は態度を軟化させた。


(あいつ、本当に討ってくれたんだ)

(約定と言うたろ。わしのような概念にった神霊しんれいの類いは、交わした盟約たがえる事ならぬ。それがことわりというものよ)

(ことわり。父上がときどきしてくれた、少しむずかしいお話。世界の決まりごと)

(かか。知りよるか。ぬしは存外に聡いの)

(父上にも褒められたもの)


 そこで胸を張ろうとし、五体無き事に気付いてばつが悪くなる。


(ねえ。さっきのお歌はなに)


 誤魔化すように話題を変えた。


 白鞘は気にした風もなく応じる。


(ぬしが心情を汲んで詠んだものよ。なかなかの出来であろ)

(うるさかった。あの女の話し方みたいで)

(かか。さよか。あやつの気も喰ろうてしもたやもな。されど、ぬしの気付けには役立ったわ。わしらが夢で逢瀬を重ねること、はや数えよらぬ。言の葉交わすをついぞなった)


 その言から、自分が夢の中にいるのだとようやく知れた。


 無心で哭きに哭いたお陰か、自分でも不思議な程の落ち着きが戻っている。



 元来人の激情とは、完全に消えはせずとも、盛んに燃やし続ける事は難しい。

 忘却という、精神の防御機能が備わっている故に。



 星子は知ってか知らずか、一旦追いやった憤怒より、現状の把握に努める事にした。


(私は、死んだのではないの?)

(生きておる、とは言えまいが。へその緒一本、自我のみは残ったようさな)

(じゃあ、幽霊?)

(かか。乱雑に片付ければそうなろう)


 幽霊。


 自身がそのようなものになったと聞かされるのは、なんとも妙な心持ちであった。


 思えば、白鞘の思念とこうして安らかに語らうのは初の事。

 無数に質問を浴びせたい衝動に駆られるが、同時にそれを上回る強烈な倦怠感が、星子の意識を押し込めゆく。


(うむ。此度はこれまでかの。長く精神を維持するは、まだぬしには辛かろうて。またしばらく眠りおれ)

(待って。あなたの、お名前、は?)


 星子は薄れゆく意識をこらえ、最優先すべき問いを発した。


(かつてはあったやも知れぬが。とうに忘れたわ)


 白鞘を抱いた娘は視線を彼方にやり、自嘲したかの笑みを浮かべる。


(そうさな。ぬしが呼び名を付けよ。この身で動くに、ぬしがおっては星子を名乗れぬ。といって、名とは自ら称するものにあらず)


 呼び名。


 重りを増す睡魔に抵抗しつつ回った思考は、ひどく単純な解を導いた。


白星しらぼし


 己が名より一文字取り、鞘の色味を当てた、至極安直なもの。


 名を付けられた少女は、一度ぱちくりと瞬きする。


 そして、


(かか。純粋にして、縁起よき名よ。負けようもあるまいぞ)


 大輪の花のように満面咲かせて頷いた。


(ではの。星子や。ゆるり休みおれ)

(うん。おやすみなさい、白星)


 まるで子を寝かしつける母のように、白星の手がこちらへ伸ばされる。


 それが意識の瞼を閉じたと感じるや、星子はたちまち安らぎを得て、夢の最奥へと沈み込んでいった。

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