応援コメント

ドッペルゲンガー製造実験計画書②-2」への応援コメント


  • 編集済

     僕、テレパシストが存在するとしたなら、それは共感覚の一種だと思うのですよ。

     例えば、葛さんだったら、他人に何か言葉を投げかけた時、相手が何を考えてるのか経験で、なんとなーくわかると思うのです。

     プロのメンタリストとかは、それも含めて、相手の眼の黒眼の位置とか白目の割合。
     表情の微妙な変化。しぐさ。なんかを洞察力で読み取ったりします。

     人間の感覚は優秀なので、意識しなくても自分の持つ知識とか、感情の経験に照らし合わせて、洞察力を使わなくても相手の気持ちがわかる時もあります。
     
     コミュニケーションをとる相手の言葉に違和感を感じなくても、相手自身に違和感を感じるのもそのせいです。

     それを突き詰めたモノがテレパシー。
     自分だけがわかるのではなくて、相手のその感覚を鋭敏にさせる能力。
     それも含めてです。

     気持ちを伝える能力。
     気持ちを読み取る能力。
     
     その両方が極端に高い人達の事を、テレパシストと呼ぶのかも知れません。

     なんだこのコメント。
     

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    「テレパシーは共感覚の一種」という解釈になるほど、と考えさせられております。
    Y.Tさんはおそらくテレパシーを、根拠なしに、しかし確かに感覚でわかり合う能力、と捉えておられるのかなあと思いました。

    「知識とか、感情の経験に照らし合わせて」とおっしゃったことに関して、すごく興味を引かれてしまいました。
    共感覚というと例えば「黄色い声」と言った時、声という「音」に本来ないはずの「色」のイメージがくっついてくることであり、それを皆なんとなく理解できる、ということだと考えています。

    それが環境(経験や文化的文脈)によって築かれた感覚と捉えられるのか、すべての人間の無意識に共通してくるものなのか、と疑問を持っておりましたが、
    もしかしたら環境と自分の無意識での理解の要素が混ざり合っているかもしれませんね...。

    「相手の感覚を鋭敏にさせる能力」...気持ちを直感で理解し、相手にも悟らせる、ということでしょうか。なるほどです!



    (テレパシーは、こちらで参考にした文献では「認識感覚器官の経路とは無関係に行われるある者からもう一人の者へのあらゆる感情の交信」との定義があったのですが、それは実際にもう実現間近では...?と思い、せっかくのサイエンス・フィクションなので「思考・情動体験の記憶の交信」を付け足しました...)

    長文になってしまいました...。
    興味深いコメント、本当にありがとうございました!