21-2 神経衰弱
…………。
神経衰弱を開始して一時間が経過した。
この時点でカズマもドッペルも同じくらい錠剤を飲んでいた。
次のお題は、人生で一番辛かった時期のこと。
最初はカズマが話す番だ。
ドッペルが一言も聞き逃すまいというように、ぐっとカズマの方に身を乗り出してきた。
「先に訊いとくけどさ。カズマのコンプレックスって何?」
傷つく話題は、大きな情動を引き出すことには必要な情報なのだろうが……。
「……それで簡単に答えられるんならコンプレックスじゃなくね?」
「もう! 屁理屈はいいから!」
「ああー、ごめん」
……ダメだ。話が進まん。
ソラが電話の向こうで爆笑していた。
『アハハ! 二人とも仲良すぎだね! ……じゃあ俺が手助けするしかないかな』
ソラが資料をめくっているらしい物音が聞こえた。
『……カズマ君は中学に上がる前ぐらいにガクンと成績落ちたことがあったよね。その時にクラスメイトにいじめられてた』
「は? 俺はいじめられたことなんて……」
『そう?』
ソラは首を傾げているような声。
ソラの無感情な声に心の中をスキャンされている気分になる。不快だ。
陰で悪口を言われているのを聞いたことくらいはあった。そのくせ必ず面倒な仕事はカズマに押し付けてくるクラスメイト。
いじめと呼べるほどのことはなかった。
自分ではやはりそう思うが。
ドッペルは目を見張った。
「カズマがいじめられてたのって成績のこと……? それって俺のせいで……」
この頃はカズマの成績不振と反対に、ドッペルの知能が上がった時期なのだ。
だが成績不振の理由は他にある。
「ドッペルのせいじゃない! それに俺はいじめられてないって!」
『いやいや、カズマ君。庇っちゃダメでしょ?』
ニヤニヤと含み笑いの気配をさせているのはソラだ。
ドッペルが遠慮がちにカズマを窺った。
ここまでお膳立てされれば、思い出したくもない昔の記憶を、カズマは話すしかなかった。
早くこの作業を終わらせたい。
引き攣りかけた頬を誤魔化すために手で触れた。
ドッペルに勘付かれないようにどうにか表情を固定する。
その記憶はこれまでも思い出す度に、喉の奥を爪で引っ掻かれるような不快感が巡るようなものだ。
小学六年の頃だったか。
『これ返すよ、サンキューな』
ポイっと手渡されたのはカズマがクラスメイトの男子に貸していたノートだ。
借りてたノート返すから、とこの男子から電話が来てコンビニの駐車場に呼び出されていた。その日は日曜だ。
カズマはノートを受け取りながら不満が口をついた。
『あ、うん。良かったのに。今日わざわざ持ってこなくても』
つい、わざわざ呼び出してくんなよと苛立ちが混じってしまった。
慌てて訂正した。
『いや、面倒だったろ? 持ってこさせて悪いなって』
『あっそう? じゃあ言ってくれたら良かったのにさぁ。月曜は小テストあると思ったから』
……その小テストなら教科書に答え書き込んでるんだからノートは必要ねえんだよ。
相手が『気を遣ってやったのに無下にしやがって』と言わんばかりに肩で小さく溜息を吐いた。
『悪い、電話してくれた時ちゃんと俺が言えば良かった。でも、ありがとな』
……何で俺が謝ってんだろ。溜息を吐きたいのはこっちだ。休日にわざわざ呼び出す方が非常識だとは思わないのか?
だが結局、相手との仲を取り成すのはカズマの役回りだと悟ってもいた。
話を切り替える時、出来るだけ何気ない声を出すように努めた。
『あ、ちょい訊いていい? 図書館ってさ、この道真っすぐでいいんだっけ? 俺こっち方面に来るの初めてなんだよな』
相手は割と丁寧に道を教えてくれた。
なんだ、悪い奴じゃないじゃん。
彼はちょっと自己中心的なところがあるように見えて、内心嫌っていたが実はそうでもないのかもしれない。
程々ににこやかに会話を終え、カズマは踵を返した。
そのタイミングで背後にバラバラ自転車が来て止まった。
顔見知りの同級生もいるからカズマを呼び出した男子の友達らしい。
あ、そっか。
ここに俺を呼び出したのってそのまま友達との遊びの集合場所にしてたからか。
背後でカズマのことに気付いたようだ。
あいつ誰、というような無遠慮な声がした。
答えたのはカズマのクラスメイト。
『ああ、クラスの奴だよ』
『何か用事あったんじゃねぇの、あいつ』
『いや別に。偶然だし、俺そんなあいつと仲良くねぇよ。さっき道を聞かれただけ』
ゲラゲラと耳障りな笑い声が過ぎ去った後、疲労感と薄い惨めさがカズマに纏わりついた。
小学校高学年と中学の最初の頃はそういうことが何度もあった。
別にいじめじゃない。
今思えばカズマを含め周囲が皆ガキだっただけだ。
悪気のないことも多かった。
だが、その時の息苦しさは今でもうんざりするほどカズマの中に爪痕を残していた。
俺はそんなに都合がいいだけの人間か。
面倒事を押し付けるのに丁度いい『良い人』か。
軽んじられて当然か。
自分の中で泡が膨れるように醜い感情が競り上がってきそうになった。
それを飲み込み、耐えていないと爆発して壊れそうだった。
――はっと目の前に焦点が合うと、ドッペルが気遣わしげにカズマを覗き込んでいた。
平気だと告げた。実際は酷く目眩がしていた。
ドッペルが気遣うように口を開け、何も言葉にならず閉じて、を数回繰り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます