10-2 モモウラ教授

 情報を集めて、仮説を立て、実証し、失敗し、また情報を集め……。

 モモウラと同僚は必死に、穏やかで人懐っこいクロという女性を取り戻そうと動いた。


 ある程度検証を進める中で、どうやらクロの性格は以前と正反対になったらしいと気付いた。彼女の中から温かい記憶の一切が消えていたのだ。


 そのうちにモモウラはあることにも気付いてしまった。

 あらゆる物事に淡白になったクロの知能が以前と比べものにならない程に上がっていたのだ。




 脳の前頭葉損傷により、損傷以前になかった障害が報告された症例はいくつか存在している。


 失語症、半側空間無視、記憶障害、注意障害、遂行機能障害、脱抑制や人格変化などの社会的行動障害、発動性低下や無関心など症状は多様で、挙げればキリがない。




 クロはこのうち記憶障害、人格変化、無関心等の症状が認められたが、遂行機能障害や注意障害や脱抑制はほぼみられなかった。


 遂行機能とは将来の目標達成のために適切な構えを維持する能力のことであり、遂行機能障害とは適切な行動が取れなくなるものである。


 注意障害とは、注意の配分・転換や注意の保持と処理を同時に行うことの障害である。


 脱抑制とは思ったことをそのまま言ったり行動したりするため、相手を傷つけたり気分を害したりしてしまう症状である。

 この症状は、自分の言動を相手がどう思うかを理解できない問題と衝動コントロールの問題が複合的に関与して起こるものだ。




 つまり、クロは脳損傷によりその記憶や人格に影響を受けていたが、その中に情動性知能の低下に関わる障害は一つも見られなかったのだ。


 そして、学力の低下どころか向上が確認された。知能検査で測る学習能力の向上が確認されたケースは初だった。




――――――――――――――――――


*以下は、参考文献です。

 ちなみにですが、作中の「クロ」のような症例は文献では見つかりませんでしたのでそこは完全に創作です。


 ただし、人格変化については「ヒトの脳損傷研究から見た情動のメカニズム」という論文での症例を参考にしています。


 その症例では、「自己中心的で他人に無関心になり,また自己の将来にも無関心になった.」「以前に比べて他人(家族を含めて)との付き合いが減り,外出を好まなくなった.他人への気が回らない.」という症状の記述がありました。

 それをこんな感じの人かな……と勝手に考えて書いてます。


(この症例では他にも、仕事への自主性がなくなったり、怒りっぽくなったりという症状も見られたようなのですがそこは反映してません。

 反映してしまうと「情動性知能が低下してる」ことになって、物語として成り立たなかったので……)




・前島伸一郎・大沢愛子・棚橋紀夫,「前頭葉損傷による高次脳機能障害のみかた」,イブニングセミナーⅡ,2012年3月31日


・福井俊哉,「遂行(実行)機能をめぐって」,2010年


・藤井 俊勝・平山 和美・深津 玲子・大竹 浩也・大塚 祐司・山鳥 重,「ヒトの脳損傷研究から見た情動のメカニズム」, 日薬理誌(Folia Pharmacol. Jpn.)125,83~87,2005年


・益澤秀明・平川公義・富田博樹・中村紀夫,「交通事故が引き起こす“脳外傷による高次脳機能障害”」脳外誌13巻2号,2004年2月





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