9-1 地下室のピアノ

 ドッペルは堂々と施設に立ち入った。

 事前に卒業生だと連絡を入れていたため特に警戒されずに入れてもらえた。


 見知った職員は誰もいない。施設も増設したようだ。

 あれから驚くことに十年近く経っているのだから当たり前か。


 当時では考えられないくらい開放的な雰囲気だなあ、と呑気に思った。




 日当たりの良い廊下を歩けば、部屋から子供たちの顔が覘いた。

 物珍しそうに「だれー、だれー?」と口々に話し掛けてきた。


 子供たちの洋服のところどころに折り紙の切れ端がくっついていた。今は折り紙遊びの時間なのだろう。


 くすっとドッペルは笑い、子供たちに手を振った。


 職員の事務室もしくは休憩室のような部屋で十年前の名簿を見せてもらった。

 ちなみにドッペルの身分が完璧に偽装された書類を差し出すとあっさり信用された。


 結論から言ってあまり目ぼしい情報は見つからなかった。

 それは自分の本名を知らないからでもあるだろうが。


 うーん、うーんと唸って名簿に目を凝らすうちにソファーに倒れ込んで足をバタバタさせて、「あのぉ、大丈夫ですか……?」と心配されたくらいだ。


 だが、だからこそ分かったこともあった。


 十年前にこの施設に経済的支援をしていたのは例の企業で、それが何かの事情で数年前から今のスポンサーに替わっていることだ。


 今この児童養護施設はきちんとした福祉施設として機能していた。

 先程見かけた子供たちは適切な養育を受けているのだ。


 ドッペルには手掛かりを掴めなかった残念さより、今の子供たちはこの施設で安心して暮らしていることの安堵の方が大きかった。


 お茶菓子として勧めてもらった饅頭を一口食べ、「うーん」と眉を寄せ、また一口食べ、「うーん」と口を尖らせるドッペルに、案内してくれた職員は「そんなにその饅頭、不味いですかね……」と肩を落としていた。




 帰り際、「子供たちの様子を見ていってもいーですか?」と訊いたドッペルに「勿論ですよ」と職員は答えた。


 わらわらと子供たちがドッペルの膝に這い上り(ゾンビか!)、構ってくれとせがんだ。


 お昼前、陽だまりを薄いレースのカーテンが遮っていた。

 柔らかな光が子供たちの肌を寄り添うようになぞっていた。


 子供の高い笑い声はドッペルの耳には心地よく響いた。

 この笑い声に覚えがある気がした。


 いや、そんなわけないと首を振った。


 ドッペルの中でこの施設にいた頃は孤独だったことしか記憶にない。

 この施設で友達と笑い合ったことなど、一度として……。



「オリジナルの青年の様子はどうなんだ?」


 教授に尋ねられたモモウラレンゲは平静を装って肩を竦めた。


「まあ、ふつう、かな。特に変わったとこはなかったし」


 本当はカズマに振られ、動きを把握できなくなってしまっていた。


「そうか」


 教授は平坦に返しながら腹の底ではいつになく苛立っているようだ。


 結果が出ない。


 ドッペルゲンガー製造計画を進める上でどうしても完成された“高度な知能”を手に入れる必要があった。


 それなのに何度知能テストを重ねても被験者のドッペルゲンガーの青年の成績が伸びない。


 その焦燥を容易に読み取れてしまったレンゲは顔を伏せた。


 カズマの家からドッペルゲンガーを誘拐してから二週間以上が経過していた。


 そして、教授は強硬手段に出ることを決定した。





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