9-4 地下室のピアノ


 ドッペルは電車を捕まえて帰ろうと無人駅に向かって歩いていた。

 施設で子供たちから貰ったお手玉を特に理由もなくポンポンした。


 踏切の音が近付く頃、別れ道に差し掛かった。


 駅まではすぐだがちょっと寄り道したい気分だ。

 ぐるぐると頭を流れる情報を整理したかった。


 寄り道して数分歩くと海に出た。


 ざざーと穏やかな波音が鼓膜を揺らした。

 気ままな歌を聴いているようで眠くなってきた。


 砂浜に降りたりはせずに海沿いのアスファルト道路の端を歩いた。


 しばらくして小綺麗な白い家が見えた。


 庭を覗くと、髪をゆるく一つにまとめた、四十代くらいの女性がいた。

 服も靴も真っ黒で烏の翼を思わせる。


「うわぁ、魔女みてぇ……」


 ドッペルがさらに覗き込もうと庭の柵に背伸びすると、女性はぎろりと睨みつけて来た。


 女性は水やりの途中らしい。

 水が出続けるホースの先を摘まみ、何を思ったのかドッペルに向けてきた。


 勢いを増した水がブシャーッ! とドッペルの全身に直撃した。


「ぎゃあああっ! 冷てぇー!」


 必死でったドッペル。


「……あら、すみませんね。不審者がいたものだから」


 女性は憮然としてドッペルを観察していた。


「ええーっ。俺そんな不審者に見えんの? うっそー、ショックー……。てか、おばさんも魔女みてぇで超不審者ー!」


 結局ドッペルはドッペルなので最後はケラケラ笑い出した。


 ドッペルの失礼な態度に気を悪くした様子もなく、女性は水やりを中断すると表情の読めない顔でドッペルを白い家に招き入れた。


「濡れた服を乾かしてあげる。いらっしゃい」


「へっ?」


 一体何を持ってドッペルに対する警戒を解いたのだろうか。

 疑問はもたげたものの、


「まいっか。どうもぉ! お邪魔しまぁす!」


 結局ドッペルはドッペルなので何やかんや招かれることにした。




 二階で女性から渡された、ドッペルには少し大きいシャツに着替えて、一階のリビングに降りた。


 リビングの一番大きな窓からは海が見えた。モスグリーンで統一された清潔な室内。

 白い木の机の上にはパソコンと書類が広げられていた。


 ピピッと電子音が鳴った。女性がお湯を沸かしたらしい。

「どうぞ」と女性がドッペルに淹れ立ての紅茶を手渡した。


「どうもぉ。おお、いい匂い」


 素直に受け取り一口飲んだ。ひどくほっとした。


 女性はドッペルの斜めの位置に座った。


 何か妙な状況になったなぁ。


 何の気なしにドッペルは視線を机に散らばる書類に向けた。


 次に、驚愕した。

 それらの書類はドッペルゲンガー製造計画に関わった企業が持っていた書類だ。


「これ何ですかっ⁉ てか、おばさんはこの企業の関係者⁉」


「……クロと呼んで頂戴。次におばさんと呼んだら許さないわよ」


「クロさん? ニックネーム? ま、いいや! クロさんはこの企業の何っ?」


 クロと名乗った女性はドッペルを見定めるように目を細めた。


「私はこの企業のアドバイザーみたいな仕事をしてるわね。午前中に書類の整理をしていたけど、それがどうかして?」


 ドッペルは、アドバイザーと名乗ったクロがどこまで計画を知っているか図りかねて、くしゃっと口を噤んだ。


 だが、中途半端な探り合いをしても女性の方から話し出したりはしないだろう。

 そう瞬時に導き出してドッペルは賭けに出た。


「クロさん、ドッペルゲンガー製造計画って知ってる?」


「……どうして、それを」


 その反応は知っていると言っているようなものだった。


 ドッペルはふっと頭に浮かんだことを尋ねた。


「もしかして、クロさん。すぐそこの養護施設の援助をしてる企業が別のに変わってたことと何か関係あるの? ねえ、教えてほしいんだけど!」


 ドッペルが身を乗り出すとクロは顔を顰めた。


「あんたこそ関係者なのかしら?」


「俺は、あの施設の出身なんだ。だからあの施設と企業と研究所の真実が知りたい」


 クロは唇を噛んで「……聞く権利はあるってわけね」とぼやいた。


「分かったわよ、話してあげる。最初に言っとくけど楽しくないわよ」





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