キョンシーかあさん

炭焼豚

プロローグ「一児のママです。キョンシーです」

 昼下がりの台所。私の身体は宙に放り出された。



「ん……!?あ、あれれ~……!?」



 私は突然の出来事に驚いて、硬直したまま顔面から地面に向けて勢いよくバターンと倒れた。どうやら、隅に置いておいた段ボール箱にうっかり躓いてしまい、転んでしまったようだった。偶然にも、眼鏡は転んだ時に頭頂部の方にズレて、私の顔に潰されるようなことはなかったようだ。ふぅ~、危ない、危ない。眼鏡が壊れてないのは、不幸中の幸いということにでもしておこう。


 そんなことをのんきに考えていると、廊下からダッダッダとこちらに誰かが駆けてくる音が響いてきた。パタンと勢いよく開かれた引き戸の向こうには、私の夫__パパがいた。



「大丈夫か!?なんか、もの凄い音したけど!?」


「あ、あはは~……だ、大丈夫~……」



 心配して駆けつけてきたパパに対し、私は気の抜けた生存報告をした。いやはや、結婚当初からあれだけ台所に物は置かないようにしようと決めていたのに、どうして私は学ばないのだろうか。はぁとため息をつきながら、私はゆっくりと立ち上がろうとした。

 ……起き上がれない。関節が、うまく動かない。起き上がろうにも、腕がなかなか曲げられない。おや~?最近は調子が良かったんだけどな~?



「パパ~……ごめ~ん、腕が動かない~……」


「ええ、マジか!?霊符、そろそろ交換時かな……」


「ううん、そっちの問題じゃないと思う。たぶん、冷えにやられた~」


「ああ、なるほど。この間は雪も降ったし、最近晴れの日も少ないしな。そりゃ身体が冷えて、関節もこわばるってもんだ」

「……って、ママの場合、冷えても流れる血がなくないか?それが原因で関節が固まるっていうのはおかしな話で__」


「いいの~!そういうのは気持ちの問題なの~!」


「ええ……そういうもんか……?」




「……それはそれとしてさ、パパ」


「ん?なに?」


「早く起こしてくれないかな?」


「あ」


 ごめん、ごめんと言いながら、関節がカチンコチンに固まった私の身体を、パパはゆっくりと起こしてくれた。まったく、周りが見えてないというか、なんというか。そんなところが少し愛おしく感じつつも、やっぱりもう少し気が利けるようになって欲しいなと、今日も今日とて私はパパに願うのだった。




 そういえば、霊符だの、流れる血がないだのパパが言っていましたね。この言葉からわかる通り、私、仙道せんどうましろは普通の人間ではありません。私は、キョンシーなのです。


 私をキョンシーとしてこの世に留めたのは、私の夫、仙道通せんどうとおる。表の職業とは別に、道士として活動をしています。彼はその道士の力を使って、なんと私を蘇らせてくれたのです。ボサボサっとした髪に細い目は、いかにも大雑把で怪しいおじさん感があるけれど、その見た目とは裏腹にとっても真面目で優くて、それにどこか小動物みがあって__こほん。まあ、パパについてはこれくらいでいいでしょう。


 とにもかくにも、私はパパのおかげで、今ここにいます。不便なことは多々ありますが、それ以上に幸福なことが多すぎて、気にしすぎるようなことはありません。周囲に私がキョンシーであることがバレないように立ち回るのは慣れてきたし、パパも全力でサポートしてくれているので、案外うまくやれています。ただ__



「ふわぁ……ママ~、なんかおっきい音した~……」


「あ、ニキ君。おはよう~。起こしちゃった?」


「ううん。さっき起きた」


 立ち上がり眼鏡をかけなおすと、ちょうど件の子が起きてきました。この子は、仙道丹希せんどうにき。私とパパの子供です。見てください、このキュートなマシュマロほっぺ。感じてください、この癒されオーラ。パパに似て、とっても愛らしいでしょう?それに、声だって__おっと、話がズレました。


 そんな愛おしい我が子は、実は私がキョンシーだということを知りません。なぜなら、私とパパが必死にその真実を隠しているからです。子供に秘密を作るというのは、はっきり言って嫌で嫌でしかたがありません。毎日、罪悪感で心身共にボロボロになりそうです。でも、私たち夫婦はこの事実を伝えるにはまだ早い気がすると判断し、日々我が子を騙しているのです。



「ママ。さっきのおっきい音、何?」


「あ~……えっとね~、ママ、さっきそこで転んじゃってね~……」



 あははと苦笑いをしながらニキ君の方を見ていると、彼は目元をじわりと濡らしながら、悲しそうな表情でこちらに歩いてきた。



「ママ、大丈夫?痛くない?」



 ニキ君は、どうやら私のことを心配して泣いてしまったようだった。やってしまった。この子に心配をかけさせてしまった。親として、子に心配をかけさせるようなことはしたくないのに。罪悪感が一気に込みあげてくる。


 しかし、ここでその気持ちを表に出してはいけない。ニキ君は、私のために優しい言葉をかけてくれているのだ。泣いてくれているのだ。だったら、私がやるべきことは決まっている。これ以上、この子に心配をかけさせないためにも、笑顔で無事だと答えなくては。



「__大丈夫。ママは平気だよ?」


「本当?」


「本当。ほ~ら、見て。ママ、こんなに元気だもん!」



 笑顔のまま、腕を大きく上げ、私は力持ちのポーズをした。ニキ君の暖かい想いが私に伝わったのか、私の身体もポカポカと暖かくなった気分になり、なんとなく関節の動きも先ほどより良くなっている気がした。


 しっかり元気なのが伝わったのか、ニキ君は泣くのをやめて、悲しい顔もしなくなった。ただ、やはり何か思うところがあるのか、こちらをじーっと眺めていた。



「……?ニキ君?どうしたの?」


「ママ、本当に大丈夫?」


「うん、大丈夫だよ?」


「でも、ママ。ママのお鼻、曲がってるよ?」



 その言葉を聞いて、私の思考は一瞬にしてフリーズした。え?ニキ君、今なんて言ったの?お鼻が曲がってるって言った?どういうこと?


 おそるおそる自分の鼻をなでるように触ってみる。すると、なるほど、確かに。綺麗に“くの字”に曲がっている。私は不意の出来事に、思わずパパの方に目線を移した。すると、パパも同じように、青い顔をしながらこちらに目線を送っていた。私とパパは目を合わせ、互いの思考を共有した。正確には共有してはいないのだが、それでもお互いに何を考えているのかは何となくわかった。鼻が曲がっているのに平気そうにしている人間が、いったいどこにいるのだろうか。そうパパが言いたげにしているのが、私には手に取るようにわかった。



「ママのお鼻、“く”みたいになってるよ?」


「あ……えっと……その、ね!?ええっと……」



 やってしまった!自分の鼻が曲がっていることに、まったくもって気がつかなかった!


 よくよく考えれば、思いっきり顔面を強打しているのだ。顔になんらかの異常が起こっていてもおかしくはない。だがしかし、私の痛覚は死んでいる。いや、そもそも私自身が死んではいるのだが、それゆえに通常の痛みを感じとれなくなってしまっているのだ。たとえ腹を貫かれようとも、首を飛ばされようとも、私は痛みを感じない。そんな無敵の存在ではあるのだが、無敵であるがゆえに、私は普通のことに気づきにくくなってしまっていたのである。


 これも、少し前にパパと話し合ったじゃないか!学べ、私!学ぶことを学べ、私!!


 あまりの失態に倒れそうになった私をパパが支える。その様子にまた心配してしまったのか、ニキ君が悲しそうに訊ねてくる。



「……ママ?やっぱり、痛いの?」


「う、うん。ちょっと……ちょっとだけ痛いかも……」



 本当は痛くない。ただ、これで痛くないというのはあまりにも不自然だ。だったら、嘘をつくしかない。これも、ニキ君のためなのです。


 ああ、痛くないというのも案外嘘かもしれない。鼻は痛くないけれど、その代わりに胸が痛い。ニキ君にまた嘘をついて、ママはとっても心が痛いです。



「ニキ君。パパ、ママの怪我、治してくるな。だから、ちょっとここで待っててな」



 そのパパの言葉に、ニキ君は首をブンブンと振った。そして、はきはきとした声で、ボクも一緒にママの怪我を治すと言って聞かなかった。



「あ~、えっとな……気持ちは嬉しいんだけどな……」



 純粋な優しさに満ちたニキ君を前にして、パパがついに口ごもってしまった。ただでさえパパはニキ君に弱いのに、純粋な目を向けたニキ君を前にしたパパは、どうしようもなく弱くなってしまうのだ。しかたなく、私は曲がった鼻を抑えながら、ニキ君に向き直った。



「ニキ君。ここで、神様にお祈りしててくれる?ママの怪我、早く治れ~って」


「そうすれば、ママの怪我、早く治る?」


「うん、もちろん!」


「わかった。じゃあ、神様にお祈りする!」

「神様~、神様~。ママのお鼻、早く治してくださいな~」



 ふう。何とか、誤魔化せたようだ。かなり無理矢理な誤魔化し方だったけれど、今までのニキ君への対応が物を言ったようだった。普段、家で大人しくお留守番をしてもらうために、神様にお祈りしていればパパとママが早く帰ってくると言い聞かせていたのだが、こんなところで役に立つとは思わなかった。


「何とかなった、か?」


「うん。たぶん大丈夫」

「それじゃあ、パパ。早く行こう?」


「ああ、そうだな」




 神様にお祈りをするニキ君を背中に、私たちはその場を離れて、庭の奥まった場所にある離れに向かった。その小屋は、パパが私を蘇らせた場所。夫婦の間でしか語られない秘密の空間。



「ここに来るのも久しぶりだね。掃除、ちゃんとしてる?」


「……まあ、たまには。」


「ん~?今の間は何~?」



 たまに生まれる、夫婦だけの時間。私は、この時間が好きだ。もちろん、ニキ君も含めた家族3人の時間も大好きだけど、やっぱり二人きりの時間も大好きなのだ。



「まあ、治ればなんでもいっか。じゃあ、ささっとよろしくお願いしま~す」


「簡単に言うなぁ……案外、他人の気を操作するのは骨が折れるんだぞ?」


「こっちはすでに骨が折れてるんです~。いいから、早く治してよ~」

「ほ~ら、ニケ君が待ってる」


「はいはい、わかりましたよ」



 道士とキョンシーの夫婦が、仲睦まじく小屋の中に入っていく。その様子は、もし他人に見られたら間違いなく異様な光景だろう。そもそもキョンシーなんてものがいる時点で、普通の人からしてみたら卒倒ものだろう。けれども、私たちにとってはこれが普通であり、これが私たちの日常なのだ。


 今回は、危うくニキ君に怪しまれるところだった。もしバレてしまえば、この日常は終わりを迎えてしまうだろう。とはいえ、今回も最終的にバレなかったからよしとして、次に繋げていこうとパパと話した。


 きっと、この先はもっと危うい場面が出てくることだろう。そういった事案が起こらないように、未然に防ぐことはもちろん大事だ。しかし、そうは言っても運が悪ければ、バレそうになる場面は不意に起きてしまうことだろう。ただ、そのときはそのときで、また夫婦で協力し合いながら誤魔化していけばいいのだ。そうやって、この日常を守っていこう。歪だけど幸せな、この素晴らしい日常を。



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