韜晦的アムネジア(6)
『そんなはずは…!!』
無線越しの悲鳴だった。ニコが途中で切った言葉の続きはきっとそんなはずはない、だろう。
彼女の魔弾はその性質上、狙撃の前から与える損害を把握できる。ニコは恐らく必殺を確信して魔弾を撃ち、予想通りの結末を得ていた。
彼女のこの手の確信に誤りがあった試しはない。
しかし、確実に仕留めたはずだった超獣は、その胴体から狙撃の痕跡たる氷を生やしたまま駆動している。
「これは、再生したのでしょうか」
口に出した予想が正しくないと知りつつも言葉にした。答えるものはいない。
ユウヒはカテゴリーⅣ三体に囲まれ大立ち回りを繰り広げている。ティアが相対するのは胴に氷を生やしたままの一体のみではあるが、隊長の援護に回るような余力はない。
もっともあの怪物めいた隊長に援護なんてものが必要なのか定かではないのだが。
振るわれる鋏を紙一重で回避。返す刀で関節を浅く裂く。
…やはり筋繊維を断ったような感覚がない。超獣もまるで痛覚が存在しないかのように損傷に無頓着。
「──ニコさんがしくじったとは、やはり考えにくいですね」
ティアの思考速度は本人の運動性能に比例して、人間離れした高速である。視界に捉えたカテゴリーⅣ達の損傷の状態を把握し、その性質を凄まじい速度で解釈していく。
隊長を取り囲む超獣の内の一体、一度はユウヒに叩き潰されていながらも立ち上がった個体だ。その甲殻にはダメージの痕跡を示すひび割れが色濃く残っている。どうにも回復したというよりは、砕けた甲殻を継ぎ接ぎした応急処置のように見える。
仮に超獣が死の淵から蘇るような再生能力を保有していたとして、あのような損傷が修復されないのはなぜだろうか。
中枢神経系の破壊すら克服し立ち上がったらしきカテゴリーⅣが、たかだか甲殻を治せないというのは違和感がある。
「そもそもこの手応えは一体…」
肉を裂いたと思えない奇妙な感触。ティアの直感はその手応えにこそ、超獣の不自然な回復のからくりがあると訴えている。
ふと、後方から凄絶な悪寒。ユウヒのいる方角。
「あ、ティアさんそっち行きます」
「──おっと!? いや結構あぶないですね!」
ぱかーんと、いっそコミカルな炸裂音とともに超獣の巨体が吹き飛んできた。ティアの反応速度でようやく回避が間に合うような、途方も無い勢いだった。
放物線さえ描かず低空を滑った超獣は、雑魚を巻き込みつつ接地。大地を圧縮断熱で赤熱させつつようやく停止したその体の中央は、破城鎚でも叩きつけられたように陥没している。
隊長が蹴り飛ばしたのだろう。思わず呆れ返りそうになるのを我慢。
そんなことよりも重要なものが、今見えた。
粉砕された甲殻の隙間から、どろりと粘土の高い液体が溢れていた。
「──液状化した体内器官、というわけではなさそうですね」
毒々しい緑色の液体は、その実液体というよりは固体に近く、固体と呼ぶには流動的にすぎるスライムめいた様相だ。
その液体は恐らく超獣の内部を満たすほどの体積がある。カニのような外観に反し、その身体の中身は流体によって形成されている。
この超獣は強固な外骨格と、それを駆動させる柔軟極まりない内部組織で構成されている。
「──なるほど、妙な手応えはこれですか。筋繊維ではなく、体内を満たす流体を操作して体を動かしているわけですか。
恐らくは泡を操っていたのも同じ異能によるものだ。
そしてその液体の漏出は、しかし不自然に停止し逆再生でもするかのように甲殻の継ぎ目に吸い込まれていく。
その直前、カテゴリーⅢ相当の超獣が甲殻の隙間から内部に侵入する様をティアは見逃さなかった。
「なるほど、なるほどなるほど。わかりましたよあなた達の秘密」
◇◆◇
カニやエビなど甲殻類に分類される生物は、皮膚に付属するように骨格を形成する。このような骨格構造は特に外骨格といい、非常に頑丈な組織である。
圧力や衝撃から軟部組織を保護するという点において、この構造は非常に優れており小型の生物はこの骨格を持つものが多い。
しかし強い水圧に耐え生活する彼らの外骨格は分厚く頑強である反面、内部に筋肉や臓器を収めなくてはならないという制約により成長に応じた大型化が困難である。
そのため外骨格をもつ生物は成長の際、脱皮という手法を取る。これまでの外骨格を文字通り脱ぎ去り、新たな外骨格を得るのである。
◇◆◇
隊長が蹴り飛ばした超獣が起き上がる。粉砕された甲殻はまた補修されたように継ぎ合わされ、ミシミシと不快な音を立てていた。
その不自然な治癒のカラクリを、ティアはこう結論づけた。
「強化外骨格と、さしずめパイロットといったところでしょうか」
明らかな致命傷からも復帰する異常な生命力。
それは死の淵から蘇るような再生能力ではない。
ニコも隊長も、確かに超獣を殺傷していた。アレはただ、死ぬたびに中身が入れ替わっているだけ。
「その巨体、きっと他の個体が脱ぎ去った殻なのでしょう。あなた達はそれに搭乗して操っているだけ」
ティアは起き上がったカテゴリーⅣではなく、周囲に大量にいるカテゴリーⅢと思しき個体たちを見渡す。大したことはできないだろうと後回しにしてきた雑魚だ。
だがその認識が誤りだった。
このカテゴリーⅢ達の能力は、恐らく流体の操作。彼らは巨大な強化外骨格に乗り込んで、その内部にある液体組織を操るパイロット。さもなくばドライバーだ。
カテゴリーⅣとして見做していた巨大な超獣は、その実中身は空洞の殻にすぎない。
命を断つ感触がないのは当然だ。なにせあれはただの強化外骨格で、中にいるパイロットにはなんの痛痒も与えていないから。
「とはいえタネは割れました。このデカブツは抑えておきます。当初の予定通り、有象無象は他の方々に任せてしまいましょう」
無線は垂れ流したままだ。
後方陣地にいる支部長にも、ティアの考えは伝わっただろう。
少しして始まる後方からの火力投射。カテゴリーⅣにはなんの影響もないが、それ未満の雑魚にであれば有効な攻撃。
カテゴリーⅢのパイロット達が殲滅され、残ったカテゴリーⅣがユウヒ達の手によって叩き潰されるまで、そう時間はかからなかった。
そして、代えの操縦士を全て失った超獣が再び立ち上がることはなかった。
◇◆◇
「──茹でても」
「はい?」
「いえ、茹でても食べられなさそうだなと」
「はぁ、いや、まあそうでしょうね」
「カニっぽいのに」
「カニっぽいけど超獣ですし」
作戦を終えて、隊長が超獣の死骸を足先でつつきながらぼやいていた。
ティアには自分の感性がイカれているという自負がある。きっとそれは事実だ。
だが、その、やはりこの隊長もつくづく突拍子もない思考の持ち主ではないのかとも思う。
普通、超獣を食用にしようなどと考えない。だから超獣を食べようと考える隊長もまた普通ではない。至極当然な帰結だ。他人を異常者扱いする暇があれば自己洞察でもしてみればいいのではないか。
「カニが食べたいのでしたら一緒にお店を探しましょう。海洋研に伝手がありますし、きっと見つかりますよ」
「いや、うーんそこまでしてもらうのも悪いですし」
ニコとかいう隊長に甘すぎる隊員もよろしくないだろう。このご時世にカニなんて食べようとしたら大事だ。というか図鑑上以外に存在するのだろうか。最悪遺伝情報から研究所で再現するしかないだろう。バイオカニだ。
「ところでこの殻、たぶん脱皮したあとのやつですよね」
「そうでしょうね。これくらいの大きさの個体が四体いたのか、それとも全部同じ個体なのかは分かりませんが」
「それならこの殻を残した巨大な超獣が、どこかに潜んでるんでしょうか」
「どうでしょうね。仮にそういうのがいるとしたら、カテゴリーⅤ相当でしょうか」
隊長が空を仰ぐ。巻き上げられた噴煙の跡と、上昇気流が生んだ雲で嫌な天気模様にみえる。
生暖かい風が吹き抜けて髪が揺れた。
恐らく、そういう強力な個体は実在するのだろう。ここではないどこかに潜伏し、いつか人類を根絶やしにすべく現れる。
だけど、それは今ではない。
そして、その時はきっとユウヒ隊長がなんとかしてしまう。
それがどうにも気に食わなくて、ティアは顰めそうになった顔を作り笑いで誤魔化した。
COLLAPSE 不死浪 @0084
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