韜晦的アムネジア(5)
世界をスローモーションで捉えるティアの思考は常人のそれを遥かに上回っている。
彼女がただ今絶賛思考中の内容は「なぜ今まで泡を使わなかったか」だ。
超獣の口元から次々と生成されては風に乗って飛ぶ泡には、まず間違いなく恐るべき熱量が封じられている。更にあの泡はただ風に流されているというよりは、風向きを利用しながら自律して移動しているように見える。
ある程度の自立機動と火力を兼ね備えた遠距離攻撃手段。それがあの泡。そのカタログスペックだけを考えるのであればさっさと使うべきであり、使わなかったからにはなにか理由があって然るべき。
思考を整理する。
そもそもその攻撃手段をなぜ目前にいる自身とユウヒに向けて用いないのか。答えは明白。彼らとて巻き込まれればただでは済まないのだ。
そのためまず現時点で脅威度の高い狙撃手の居場所を虱潰しに爆撃しようとしているのだろう。
では、なぜ最初からそれを使わなかったのか。なぜニコの狙撃によって泡がただの気泡ではないと露見するまで温存していたのか。
「──風向きでしょうか」
しかし風は最初から同じ方向に流れていた。超獣側から後方の陣地に向けて。
ならば途中で風向きが変わるのを恐れた?
泡を放った後、偶然にも風の方向が変わり制御が効かなくなるのを恐れたのだろうか。
いやそれならば偶然というよりは──
◇◆◇
後方陣地。レッド隊以外の各隊が待機するその地点。泡が風に乗って飛び立つのを観測した時点で司令が下された。
「サラマンダー隊、指定座標の空間爆撃を。火力絞って範囲優先」
「しかし、その地点にはレッド隊がいます」
「問題ありません。ニコさんが合わせます」
カニめいた形状の超獣が吐く泡が、恐らく可燃性ガスであるという憶測に支部長ソフィアは同意した。ニコの魔弾が生やした巨大な氷柱からもそう考えるのが自然であり、なによりあの死神の勘は信用に足る。
司令に対してサラマンダー隊は僅かに逡巡したものの、座標爆撃の準備を始めていた。
サラマンダー隊。全員が炎を操るマジックによって構成された特殊な隊。彼ら曰く世界はいつか炎の蛇によって終端から喰らわれるのだという。独特の世界観を共有した彼らは、その炎の蛇とやらを現実世界に投射することで熱量を汲み上げるのだのか。
ソフィアには到底共感不能な独自の視座。独自の世界観。彼らが眼差す地点には、炎の蛇が召喚される。
「《我ら炎熱と硫黄の《
常人には発話不可能な独自言語。ソフィアには理解の及ばぬ言の葉。自己を炎の蛇と同一視し諸共に火に巻かれることを願う祈りなのだと、いつか教えてもらった。
「《生きとし生ける焔に》《怒りに》《空に》《黄昏に》」
各員の足元から登りたち複雑怪奇に絡み合う光の紋様。それをあるものは魔法陣と言い、またあるものは術式と呼んだ。その呼び方の差異に意味はないのだが、サラマンダー隊隊長ネ=ジウ=サラマンダはそれを産道と名付けていた。
万華鏡めいて織りなす積層の魔法陣。どろりと煮え立つ溶岩の赤。架構と現実の架け橋となる陣を産道として、炎の蛇がサラマンダー隊隊員の心象世界から此方を睨めつける。
諸元入力完了。
それを確認し、ソフィアは通信機越しに吠えた。
「ニコさん、今です!」
「《焔の
ファイア。
指定座標に距離を無視して誕生する炎の蛇が、超獣の生み出す泡に触れて爆裂。
誘爆に次ぐ誘爆が5キロ越しに伝わり網膜を焼く。爆心地はレッド隊周辺。超獣を大きく巻き込む形で爆発しており、周辺にいるものはひとたまりもない。
遅れて駆けつける猛烈な爆風。爆豪。
見るものによっては強行偵察中のレッド隊を捨て駒にしたようにさえ思えるだろう。
だが問題ない。爆発と全くの同タイミングで放たれたニコの魔弾が、ティアとユウヒがいる地点に着弾し熱量を簒奪することで二人を守っていた。
巨大な氷柱の影で身を潜める二人を観測している。
「凄まじい、ですね」
「しかしこれだけで決着とはいかないでしょう。やつらもカテゴリーⅢ以上がほとんどです。無傷とはいかずとも死ぬには程遠い」
「でしたらもう一度爆撃準備を? あの泡を撃たせないようにすべきでしょうか」
「それには及びません。彼らはもう泡を使わないでしょうから」
爆心地の大気はその熱によって温められ、上昇気流を生む。超獣のいる地点には周りから風が吹き込んでいる状態であり、もはや泡などを用いたところでとても制御は効かないだろう。
恐らく超獣らが恐れたのはこれだ。泡を誘爆された場合、それによって風向きが変わればもはや通用しない。
恐らくこの泡は、ここぞというところで使う初見殺しの切り札だったのだろう。ティアによって見破られなければ、確かに甚大な被害を生んでいた可能性がある。
現状を冷静に再確認する。
切り札は潰した。爆風によって超獣は少なからぬ被害を受けている。なによりカテゴリーⅣは既に半数打ち倒した。
順調だ。
順調なのだが、なにかまだ嫌な予感がある。
カテゴリーⅣが、まさかこの程度で終わるはずがないという信頼めいた確信。
まだだ、気を抜いてはならない。
カテゴリーⅣの恐ろしさを、ソフィアは知っている。
◇◆◇
「支部長も、まあ無茶苦茶なことやりますよね」
「そうですか?」
「そうですよ。これニコさんが盾作ってくれなきゃ大ケガ間違いなしです。ユウヒさんはまあ大丈夫でしょうけど」
ティアは自身の発言が正確ではないことを自覚していた。自分の足ならば爆発の圏外まで逃げることくらいそこまで難しいことではなかったはずだ。だがこの場に留まることを選んだ。
合理的な判断ではない。なんとなく、まだ戦線を離脱すべきではないと思い、そうした。
寸分違わず発生した氷の柱がなければ大ヤケドしただろうが、まあそれはそれ。ニコなら必ず合わせるだろうという確信があった。
氷の柱の影に身を潜めつつ様子をうかがう。噴煙の向こうから立ち上る焼けたタンパク質のいい匂い。戦場に場違いなほど美味しそう。
そして、なにかが動く気配。
──疾い。
キィン!と硬質な音。弾丸の速度で駆けるティアの振るう鎌と、カテゴリーⅣの超獣が振るう鋏が交錯していた。
振り回す軌道の最中に介入され、狙いが狂った鋏が地面をえぐり飛ばしていく。凄まじいパワーだと感嘆する。ティアは速度では大きく勝っているものの、あれほどの怪力はない。
なんで隊長はあんな怪物と力比べして普通に勝っているのだろうか。
益体もない考えが頭を過るのだが、そのあたりで打ち切る。
やはり超獣は健在らしい。あの分厚い甲殻が爆風から内部組織を守ったのだろう。それでも多少はダメージが通っているだろうと思い、超獣を観察する。
まだ、土煙が立ち込めていてよく見えない。よく見えないのだが。
違和感。
なにか妙だ。カテゴリーⅣの超獣が不意打ちめいて襲ってきたこと、それは別にどうでもいい。
これはもっと異なる点への形容し難い感覚。
なにか、致命的な見落としをしているような、ボタンを掛け間違えているような。そういう感覚。
土煙が晴れていく。
超獣の全貌がようやく明らかになり。
「これは、これはこれは、おかしいですね。ニコさん、お仕事失敗しましたか?」
思わず口が回る。
いくらかの傷が刻まれた甲殻。その中央には氷が生えていた。
間違いない。間違いなく、ニコが開幕の狙撃で撃ち殺した個体だ。それが平然と活動を開始している。
それだけではない。ユウヒが叩き潰した個体がおもむろに立ち上がり、ティアに脚を切り飛ばされていた個体が当然のように欠損部を接合している。
生き返っていた。
カテゴリーⅣの個体が4体。
切り札は潰したはずだった。
爆風によって超獣は少なからぬ被害を受けているはずだった。
カテゴリーⅣは既に半数打ち倒した。そのはずだった。
戦局は、振り出しに戻されていた。
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