9章 紐解く者
第37話 ハルの神器
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玉置訪花の消息は依然として掴めず黒麻呂も姿を消した。
社での戦いから一週間が過ぎていた。二人の捜索は真子が引き受けてくれているのだが今のところ目処は立っていない。仙里はとりあえず学校には姿を見せていたが、それ以外の時間に何をしているのかは分からなかった。眷属達の間に起こっている出来事にも、呪いの事件に関しても動きはない。事態は不穏をはらみながら不気味な静けさを見せていた。
「ハル様ぁ、何かお話ししてくださいましよぉ。こんなのぉ、時間の無駄遣いっていうかぁ、退屈っていうかぁ、せっかくのお昼休みに、こうしてゴロゴロしてるだけってぇ、つまんない、つまんない」
ツインテールの幼女が紫の髪を揺らしながら駄々をこねる。
「うるさいよ、
「う、うう、だってあれはハル様がぁ――」
「それにだ、ここは学校で遊ぶところじゃないんだ。たとえ、君の姿が誰にも見えないとしても、お行儀良くしてなきゃ駄目なんだよ。それが出来ないなら寺でお留守番をしていなさい」
「えぇ、やだやだやだ! お留守番なんてしないもん。しーちゃんはぁ、いつもハル様のぉ、側にいるんだもん」
「し、しーちゃんって……」
「うるさいぞぉ、良いでしょうぉ、それにぃ、ハルが名付けたんだろぉ」
「ハルって、呼び捨てかよ」
「ぶぅぶぅぶぅ」
構ってチャンを目の前にしてハルは途方に暮れた。なんでこうなるのだと、こんなはずではなかったと思えば頭が痛くなる。
――確か、仙里様に教えられていたのは「たいそうな美女」だったはずだ。それがなんでこんな子供なのだ……。美女はいったいどこへ行ったのだ。
「悪かったですねぇ、子供で」
「あっ、ああ……」
紫陽に思考を読み取られて肩を落とす。昨夜ハルは正式に朱の太刀と契約を結んだ。この幼女とハルの関係を一言で言い表すならば一心同体ということが一番近しいのだという。おかげでハルは、うかうかと考え事をすることも出来なくなっていた。
思春期の男子にとって妄想も出来ない暮らしは息苦しい。それでも救いはある。これは目の前の当人に聞いた話ではあるが、どうやら四六時中リンクしているということではないらしい。どちらかがそれを求めたときに自然と思考が繋がるということだった。このリンクはどうやら太刀を引き抜いたときに始まったらしいのだが、その仕組みについてはさっぱり理解出来なかった。
「それよりもさ」
「それよりもですってぇ! おいハルル。淑女に向かって子供などと言い放っておいて、それよりも、って感じで話を逸らすってぇ、どうかと思うわよぉ」
ふわりとドレスを揺らし腕組みをして拗ねる紫陽が頬を膨らませた。
「ハ、ハルル……」
「ぶぅぶぅぶぅ」
「ごめんごめん、紫陽は可愛いと思うよ」
取り繕うようにして褒めると紫陽がチラリと流し目で見てきた。
「本当にそう思っているのか、ハルル」
「本当に、本当に、そう思っているよ、紫陽は可愛い、可愛いよ」
「本当に?」
「もちろんさ」
「じゃあぁ、しーちゃんって、呼んでみてくださいなっ」
「……」
「固まるな! てめぇ、ぶっ殺すぞ!」
悪い目つきをした紫陽が片足を半歩踏みだして握りこぶしを突き上げる。だがそんな彼女の仕草には威圧感などない。愛らしく思えるくらいだった。
「あ、ああ、はいはい。殺すなら、どうぞ殺してみてください」
「な、なにおぉ!」
幼女が頭に湯気を立たせながらパンチを繰り出してきた。その幼女の頭にひょいと手を乗せる。ハルに突進を止められてしまった紫陽の両拳はジタバタとしながら空を叩いた。
「お話しするんだろ、しーちゃん」
ハルは溜め息をついた。
「ぶぅ、どうにも調子が出ませんねぇ」
「調子ねぇ」
無理にそんな話し方をしているからではないのか。昨夜は違っただろう。
「なんですか? 何か言いたいことでも?」
「いえいえ」
言いたいことならぬ聞きたいことなら山ほどあった。太刀が美女でなかったことなど小さなことだ。呪いの事件や雨の陰陽師についての全貌は未だ見えていなかった。全てを理解するためには圧倒的にピースが足りない。いや、それどころか仕入れた情報によって、かえって謎が増えてしまったと言ってもいいだろう。
「聞きたいことは沢山ある。でも昨夜は答えてくれなかったじゃないか」
「昨夜は、昨夜です。何事も一足飛びにとはいかないものなのです」
そんなものかと思う反面うんざりもする。
紫陽が実体を見せたのは昨日の夜が初めてだった。その姿を見たときには……いや違う。初めて彼女がその存在を訴えてきた時と言い換えた方が良いだろう。彼女はいきなり布団の中でまどろんでいたハルの顔の上に降ってきた。目から火が出るとはあのときの衝撃を表す言葉なのだろう。暗い部屋の中で不意に顔面を叩かれてハルは飛び起きた。鞘でなく剥き身の刀身ならば顔面を真っ二つにされているところだ。
「一足飛びには言えないというのも分からなくはないけど……」
彼女のその言葉には含みがあるのだと思う。古来有数の神器である紫陽が威厳も風格もみせず、このように戯れた風体を見せていることからして既に怪しい。
紫陽は道具ではない。彼女には人格もあり、その行動は主体的である。
いくら契約を結んだからといって、初対面の者に対して全てを許容するわけにもいかない。ここは慎重に事を運ばねばならないだろう。ハルは心を閉ざし思惑が外に漏れないように気をつけた。するとそこで紫陽の眉が僅かに動く。その仕草を見てこれならばと手応えを感じたハルは更に話を続けた。
「じゃ、少し話そうか」
切り出すと僅かの間を置いて紫陽はフフンと鼻を鳴らし笑顔で応えた。
「ではまず、今日の紫陽は何でそんな格好をしているのかな?」
「ん? 何でって?」
紫陽が拍子抜けをしたような顔を見せる。
「君は神器なんだよね? 昔々からそうなんだよね?」
「左様でございますが、何か?」
「今朝は和装だったよね? それが今は、何でそんな格好になっているのって聞いているのさ」
「お気に召しませんかぁ? この衣装はぁ、現代において一番ゴージャスなもののようにお見受けいたしたのですがぁ。お気に召しませんかぁ?」
紫陽が両手で膨らんだスカートを持ち上げて首を傾げた。その様子を見て目眩を起こしそうになるが堪えた。ここで相手にペースを握らせてはならない。
それにしても、いくらなんでもぶっ飛んでいる。この神器の趣向がサッパリと分からなかった。今の紫陽は黒をベースにしたドレスを身に纏っていた。そのドレスは豪奢な白のレースで飾られていて、あちこちにスカイブルーのリボンがあしらわれていた。
「紫陽、君って日本刀だよね?」
「いかにもそうですが」
「和の物、だよね?」
「はい」
「その君が、ゴージャスだのなんだのって、その言葉にしても、その服装にしても、とても和文化にはそぐわない、と、そうは思わないのかい?」
「はい、全く」
「……うう」
「嫌でございますわぁハル様、それって神器に対する偏見でございますよ。それに、今どき和装って。刀だから和装じゃなきゃって、そういう発想のほうがおかしくないですかぁ? それともこのような……、ええっと、なんだっけ」
「ゴスロリ」
「そうそう、このようなゴシック アンド ロリータこそ、我が国で生まれたファッションの最高峰ではございませぬか、あ、ございませんかぁ、ご主人様ぁ」
「あのね紫陽、言葉まで無理にメイド風に直さなくてもいいんだよ。君はそのままでいいんだ。そもそも君の元の名前だって『村雨』――んがッ!」
ぞんざいに話をしていたハルの鳩尾に紫陽の拳が入った。
「ハルル、二度とその名前で呼んだら承知いたしませんわよ」
ゴスロリ少女が目をつり上げて睨んだ。
「なんだよ! 本当の、こと、じゃないか……。ゴホッゴホッ。大体なんで新しい名前なんか必要なんだよ。元のままで十分にカッコイイと思うぞ」
腹を押さえながら呼吸を整える。
「嫌でございます。そのようなカビが生えたような古くさい名などいりませぬ」
紫陽は腕組みをしてプイと顎を突き上げた。
紫陽の名前、ハルの寝不足はこのことが原因でもあった。
枕元に姿を現した村雨の第一声が「良い名を付けろ!」ということであった。
しかしハルにネーミングのセンスなどない。なので「ムラサメ」のままで十分だと説得したのだが太刀は一向に譲ろうとはしなかった。それで仕方なしに思いつくまま候補を挙げていったのだが紫陽は全く納得しなかった。
――薄らと夜が明け始めた頃……。
眠気を浮かべた眼が外の薄明かりの中に
「ハル様?」
「ああ、ごめんね」
「あの花、真菰様がお好きでいらしたのですか?」
「え? なんで? 何で君、そんなこと」
「刀身が抜かれた時から私の心とハル様の心は朧気ながらにも繋がっておるのです。故に今のような強い感情であれば、こうしてお心を読み取ることも出来るのでございます」
「ああ、なるほどね」
「お察しいたします」
太刀は恭しく首を垂れた。
「気にしないで、もう昔のことなんだから」
「ハル様……」
太刀の濡れた目が見つめてくる。そこにハルは笑顔を作って見せた。
「七変化の花って言われているんだよ」
「え?」
「紫陽花のことさ。花の色がさ、変わるんだ。空色から紫になって、そのあと薄桃色に変化していくんだ。だから七変化。それでもね、その
「……ハル様」
「あ、ごめんね。偉そうに花の話なんか」
「い、いえ」
「でもこれも、みんな妹からの受け売りなんだけどね」
話をしながら遠き日々を思い出していた。思い浮かべる風景の中に妹の笑顔があった。可憐であどけない笑顔、優しい眼差し。だけれどもう彼女はいない。
「ハル様、お労しい」
「君は優しい子だね」
涙ぐむ子供の頭をハルは優しく撫でてやった。
窓から朝日が差し込んでくる。その
「綺麗な髪だね。まるであの紫陽花のようだ。そうだ、君の名前なんだけど、その美しい紫の髪と紫陽花から取って『
いってハルは宙に文字を描く。その文字を理解したのか、目の前の子供は「うん」といって頷いた後、その顔に満面の笑みを湛えた。
――とんとん、紫陽がハルの肩を叩いた。
「ハルル! ハル! ハル様っ!」
「あ、ああ、なんだっけ。そうそう、話だったね」
「ハル様、今朝の素敵な出来事を思い出して下さったのは嬉しゅうございますが、先ほど始業の鐘が鳴りましたよ。急いで学び舎にお戻りになりませぬと」
「え! 鳴った? ああ、そうだね」
「お話は、また後ほどにでも」
「わかった。また後でね」
中庭で手を振りながら見送ってくる紫陽を後にしてハルは教室へと急いだ。
太刀を見れば武器だと思う。しかし、あのように可愛らしい姿からはとても邪を滅するような猛々しさは感じられなかった。
ハルが得た神器、紫陽はハルの心を読む。如何なる時でもハルの意を汲もうとする。近すぎるその距離感にはまだ少し不自由を感じてしまうが嫌な気はしなかった。
今まさに混迷、時局を読めば悠長なことは言っていられないであろう。だがそれでも紫陽とはもっと丁寧に色々なことを話さなくてはならない。まだ距離がある心を彼女に寄せていかなければならない。決意を新たにしてハルは教室に飛び込んだ。
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