7章 古の記憶

第28話 不穏

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 人知れぬ山の奥の奥へ分け入る。雑木に囲われた一角で草木に埋もれる三角屋根を見つけた。


「ほう、これが眠れるもりの入り口か」


 仙里は幼き狼の背後に立ち石造りのほこらを眺めた。


「よもや、つけられていたとは……」


 眠れる杜の後嗣が口惜しそうに歯がみをする。しなやかな体躯が振り向くと美しいたてがみが風にそよいだ。彼女の青銀の毛並みは一族の中でも特に誇り高き者が纏うものだと聞いていた。


「別に、難しいことではなかったですよ」

「用向きをお伺いしても?」


 真子まこは顔を引きつらせながら微笑んだ。口では平静を装うが焦りを隠していることは容易に見て取れた。


「別に?」

「べ、別にって、馬鹿にしているのですか!」

「いや、その様なことはない」


 仙里は一直線に切り揃えられた前髪をサッと掻き上げ視線を空へと投げた。


「ふざけないでください!」

「ふざけてなど――」

「ふざけているではありませんか! その態度は、その口ぶりは、何がそんな――」

「あなたの所業よりは、ふざけてはおりませんがね。はて?」


 真子の言葉を遮り仙里は目を細める。視線を受けた真子は戸惑いながら口ごもった。仙里は鼻を鳴らして話を続ける。


「戯れ事にしては度を超していると、まずは言っておきましょうか」

「戯れ事?」

「昨夜のことですよ。しかし解せない」

「昨夜? 解せない? 何のことです」

「あなたの意図が解せない。あいつを殺したいのか、殺したくないのか。すぐに殺さないのは何か手間が必要なのか」

「……何を、言っているのですか?」

「今更ですよ、姫さま。人身御供にしたいのでしょ? あの蒼樹ハルを」


 仙里は悪戯心を言葉に乗せ軽い調子で尋ねた。途端に真子が身を固くする。


「……流石は『御霊みたま集め』、耳聡いことですね」

「ほほう。私のことをご存じでしたか」

「今はこれでも、私は『雨の左方』に連なる者。右方にあった黒鬼の御霊を鎮めるお役のことなど存じています」

「ふ、ふふふっ」

「な、何が可笑しいのですか!」

「あ、いや失礼。見る者が違えばこうも変わるのかと思いましてね。黒鬼の御霊を鎮める役ねぇ」


 仙里は額に手を当て笑いを堪えた。


「あなたは……あなたって……」

「いや、申し訳ない。別に姫様の物言いが可笑しかったのではないのですよ。いやなに、私が何かの役に立つために働いているのだと、そう思われていること自体が滑稽でしてね」

「違わないでしょう!」

「まぁ良いではないですか、小さなことです」

「仙狸よ、あなたは……」

「私のことはいい。それよりも、あなたのことです」

「私のこと?」

「聞かせてもらいたい。あなたが何故この一件に関わっているのか、どうして蒼樹ハルを直ぐに殺してしまわないのかを」


 仙里は真っ直ぐに真子を見た。気迫により周囲の木々や野草が揺れる。本気を感じ取ったのだろう真子はたじろぐように後退った。


「ハル様のことは……あの方は……」

「余程の事情があるのだと聞いています。もっとも、それが何なのかは知らないし、興味も無いのですがね」

「私は、一刻も早く見つけ出さねばならないのです」

「『雨の陰陽師』を、ですか」


 尋ねると真子は悲しげに小さく頷いた。


「残念ですが、それは叶わない。この世にはもう雨を探し出せる者がいない」

「……そのことも、知っていたのですか」

 呟くように話す真子は、まるで捨てられた子犬のように見窄みすぼらしく、一族を治める覇気などまるで感じさせなかった。


「鬼籍から巫女を連れ戻すことは出来ない。よって雨は姿を現せない。それは居ないのと同じ事だ。諦めなされ」

「しかし……」

 真子が項垂れて僅かに口を動かす。それでも雨様はいる、と自身に言い聞かせるように呟いた。

 

「私は教えられた……。私は出会った。教えられた時を計って教えられた場所へと向かった。あの場所は、あの学校はあの者との約束の地」 


「……因果が結びついた夜、あそこに、『雨』に連なる者がいたというのか」

 仙里は首を傾げ、驟雨から聞かされた話を思い出した。


「あの者は言ったのです。『そこで君は出会う。僕は確かに雨様ではないが、きっと雨様に会わせてあげるから』と」

「だが、待ち人は来ず、現れたのがあの蒼樹ハルだった」

「……はい」

「やれやれ、とんだペテンに騙されたものだ」


 揶揄すると真子は恨めしそうに睨み上げた。


「私は、騙されたとは思っておりません」


「ほう、そこまで言われるか。だがそれならば教えてもらいたい。あなたは何故にあの蒼樹ハルを偽物と知っていながら雨と呼んだのですか。何故に雨と呼びながら殺そうとしているのですか」


「……もう時間が無いのです」

「時間が無い?」

「雨様が消えれば里も消えてしまう。私達の存在は消えてしまう。父も、母も、里の皆も」

「はて? 神が消えるとは可笑しな事を言いますね」

 

 神の命に限りなどない。そこに確たる存在があるだけである。仮に一時的に肉体が失われたとしても消滅などしない。


「数年前、里は犬神の襲撃を受け、雨の神器じんぎ雲華うんかの水鏡を奪われた。幸いにして鏡の核となる青の御霊みたまは奪われずに済んだのですが、鏡は未だ取り戻すことが叶っておりません」

「神器が失われたとて、存在が消えるまでにはならないでしょう。あなた方は神なのですから」

「私達は雨の眷属としてのみ顕現が許されている。眷属として私達を生かしている宝珠が力を失えば、主との縁が切れれば、私達は消える。これは道理なのです」


 仙里は雨の御霊と真神の曰くを知った。同時にあの灰色の玉がただの石ころにしか見えなかった訳も理解した。御玉にはもう力が残されていないのだ。


 それにしてもこの真神は無謀なことをする。もとより『雨恋あまごい(雨の陰陽師の召喚)』の儀式は、雨喚びの巫女の技で行われる。巫女以外の者が不完全な神器だけを頼りに雨探しをするなど不可能。それは億の砂から一の粒を見つけるのに等しいだろう。いや、それ以上か。


 ――しかし、それならば何故、あれはどういうことだ。

 仙里は、はたと思い出した。蒼樹ハルの手の中で神器の宝珠が僅かに輝きを見せたことがあった。


「誕生するはずだった雨様のうつわ消えれば、雨の号自体が消滅する。雨様が消滅すれば私達も消える」

「雨の器?」

「雨とは『諡号しごう』なのです」

「なんと、おくり名であったとは」

「そうです。雨とは、天啓によってその資格を与えられた陰陽師が死後に讃えられて送られた名前」

「なるほど、雨の出現が再誕とか再来というものでないことは確かなことのようだ」

「時間が、無いのです……」


 真子は小さな肩を落とし細い息を吐いた。


「端的に聞きます。あいつを狙ったのは何故です?」

「あの方は……。ハル様は、あの真菰まこも様の血縁の者と聞きました」


 真子は、ぼんやりとした眼で覗うように見てきた。


「あ、ああ」

「やはり、知っておいででしたか」

「まぁね。しかし、あいつが雨喚びの血縁者であるからといって、それがどうして」

「ハル様の血と魂を、青の御霊に吸わせれば、一時的にでも力を戻すことが出来ると聞きました」

「ほほう」

「でも、私には出来なかった。理由を問われても答えることが出来ません。私にも、それが何故なのか分からないのです」

「だが、諦めたようには見えないのですけどね」

「……はい」


 真子が何故このような戸惑いを見せるのか。本人が分からないというのだから、仙里に分かるべくもない。ただ、蒼樹ハルの何かが、この小さな神に何らかの期待を抱かせていることは分かった。その心情には僅かであるが共感できた。仙里の中にも、万が一にも、という淡い思いはある。だがそれは夢物語と言い換えて良いほどの希薄な望みだった。


「まぁいいでしょう。それはそれとして、私には他にも聞かねばならないことがある。それは、あなたが今回のこの一件にどう関わっているのかということです」

「この一件?」

「そうです。私が追っているこの件に、あなたはことごとく介入している。私には、あなたが蒼樹ハルをけしかけているように思えている」

「嗾ける?」

「あなたは、化け物を夢見に誘った。あの女に蒼樹ハルを殺させようとした」

「ちょ、ちょっと待ってください。私は――」

「しらを切りますか」

「私には、何のことだか」

「ほう、しかし無駄ですよ。嘘は直ぐにバレます。そもそも、現在あの辺りに、あのようなことが出来る者はない。夢見に人の魂魄を誘える者はあなた以外にはありえない。ここまで言っても否というのならば、私は力ずくでもあなたの口を割らねばならないがどうか」


 仙里は厳しく真子を問いただした。対して真子は、真っ直ぐに仙里の目を見返してくる。その目には強い意志が浮かんでいた。


「私は、昨夜ハル様に起こった出来事を知りませんし、関与しておりません」

「それはおかしい。あたなたは常、蒼樹ハルの影に遁甲をしている。知らないはずが無い」

「確かに、私はハル様の影におります。ただそれは……」

「それは?」

「私は、私にはもう力がない。里が封じられたのと同時に、その力のほとんどを封じられてしまっているのです。私には、もはや獣ほどの力しかない」


 真子はガクリと首を下げて嘆いた。


「昨夜のことは、本当にあなたの仕業では無いと?」

「はい。それは真神の名に誓ってそう申し上げましょう」


 どうやら、嘘は言っていないようだと思う。

 仙里は深く眉根を寄せた。この不可思議は何だ? よもや蒼樹ハル自身が彼女を引き寄せたとでもいうのだろうか。


「仙狸よ、私はハル様の影の中にて庇護を受けています」

「庇護?」

「あの夜、犬神の追っ手に襲われ力を使い果たした私は、いつ消滅してもおかしくないところまで追い詰められていた。ハル様の中に温かく大きな力があることを感じた私は、戦いの後、ハル様の中に避難をしたのです」

「つまりは、常は易々と動けないと?」

「口惜しいことではありますが」

「それを私に信じろと?」

「そうして頂くより他はありません。これは証明のしようもないこと。確かに、少しずつ動けるようにはなってきましが、それは本来の力を取り戻してのことではありません。今もこうして動けているのは、ハル様から受ける恩恵のおかげなのです。だから、今の私にそのようなことを施せる呪力など無い」

「……恩恵」

「あなたも感じているのではありませんか。ハル様の力の片鱗を」


 仙里は口を結んで目を閉じた。これまでも稀に驚かされるようなことはあった。だがそれでも、それを片鱗と解釈してよいものかどうか……。


「わかりました。取りあえずはそういうことで了承いたしましょう」

「ありがとうございます」


 真子はコクリと頭を下げた。雨の左方、真神の姫にして後嗣である者がこうも頭を下げる。その礼節を矜持とみて仙里は真子の言い分を飲んだ。


 どうやら、真神と犬神の一件は、自分の事情とは無関係のようである。それでも解せないことがある。仙里は疑念を抱いていた。

 あの夜、仙里は雨の匂いに引き寄せられて動いていた。無論、蒼樹ハルが後を追って来ていることには気付いていたが、それでも、事態がこのように動くなど想像も出来なかった。一連のことを全てを宿命と括ってしまえば簡単なことである。だが、このような偶然などあるものなのか。起こりえることなのか。

 今まで、雨の存在などまやかしだと思ってきた。八百有余年を費やしてきた年月を思えば、この事態の変化はあまりに早く、簡単過ぎるように思えてくる。


 ――ありえない。神の悪戯とでもいうのか。

 仙里は不意に昔のことを思い出した。遠い遠い昔に起きた戦、それは大峰おおみね兼五郎けんごろう義親よしちかが命を落としたあの戦の記憶だった。


「左方の赤鬼衆に討伐された右方の黒鬼衆。馬鹿な、あの時から何百年経ったと。あり得ない。だがあの戦……」

 仙里はきな臭い気配を肌に感じていた。

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