第8話 空飛ぶ猫
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危機を知らせた
いま分かっていることは、呪いの事件が現在進行形であることと、自分が何らかの危険に深入りしようとしていること。
聞き込みにより呪いの標的は確定できた。校内で怪しげな何かを見た者は事故死した生徒を含めて四人。全員が一年生で同じ中学の出身だった。その中には、やはりと言うべきか、宮本円香も含まれていた。
――こうなれば少しでも情報がある方から取りかかるしかないか。
茜からの忠告は保留することにした。取りあえず、自分の危険より次の殺人を止める方が先決である。未だこれといった手掛かりはないが既に
目的の場所である商店街は市の中心部にある。その商業地の中に標的となった四人のうち一人の住まいがあるらしい。詳しい住所までは分からなかったが、ハルは近くまで来れば何らかの異常を掴むことが出来るかも知れないと考えた。
自転車は風を切って走る。学校から商店街までの数キロを軽快に進む。アーケードに差し掛かり多くの人が行き交う姿を見て自転車を降りた。
「――あれは、もしかして仙里様?」
二本の尻尾を持つ猫を見つけた。
ハルは我が意を得たりと拳を握った。だが……、人混みの向こう側にいる仙里を見て首を傾げる。目を細めてジッと見つめた。彼女と背景がズレている。仙里は無理にコラージュされた画像のように背景から浮き出ていた。多くの人間が行き交う雑多な空間の中で悠々と佇んでいる猫は誰の気にも留められていなかった。
「仙里様!」
呼びかけて急ぎ駆け寄るも、彼女は直ぐに目を切って姿を消してしまう。ハルは幻惑の正体を掴むことが出来なかった。
太陽が西の稜線に沈む。夕暮れ時の薄い紺の夜空に金星がポツリと輝きを見せていた。結局のところ予感は外れ、何の成果も得られぬまま時を無駄にして気が付けばもう夕飯時になっていた。
踏み込むペダルも重く家路は遠い。遅くなった帰宅を心配されないことがさらに気分を沈ませる。ハルは幼い頃に愛する両親と妹を一度に失っていた。
いまは叔父の
叔父にも家族はない。広い敷地に男二人で暮らす様にはどこか物悲しさもあるが、その広さに救われることもある。むさくるしいよりはマシだとも思う。
走る身体が夜風を受ける。家路へ急ぐ対向車のライトが秒刻みで目に差し込んでくる。帰宅ラッシュの時間帯に入ったのか道路が混み始めていた。
家族を思えば胸の片隅に寂しさが湧いてくる。事故から数年が経過し、幼かった自分も高校生になった。もうあの頃のように子供ではない。ハルはペダルを踏む足に力を込め、まだ夏になりきらない重い空気を振り切るように走った。
家路へと向かう時、少しだけ学校の方へと戻ることになる。それでハルは昼間のことを思い出した。
茜は、何に深入りするなと言ったのだろうか。あの時は何気に仙里の姿を思い浮かべてしまっていたが、深入りというのは、つまりは妖怪に関わるなということなのだろうか。
「 でも、やっぱり、ありえないよな……」
妖怪と
それに、あの銀杏の前で仙里は言った。「わたしのことを他者に話せば……」と。つまりそれは二人だけの秘密ということになるのではないのか。
いつしか足が止まっていた。今日はここまでか――。
澄んだ星空を見上げながら明日の捜索に思いを馳せる。夜の空気を吸い込み再びペダルに足を掛けるとハルは星空から少し目線を下げた先にある街灯の上に銀の塊を見つけた。丸い照明器具の上に優美な姿を見せる二尾の猫、薄く光る体毛の色はまごうことなき仙里の銀色だった。
「仙里様!」
直ぐさま声を掛けた。すると声に反応した猫が高みから視線を落としてきた。
「危ないですよ! 落ちたらどうするんですか!」
焦りながら声を張り上げる。心配して駆け寄ると予想外の事が目の前で起こった。
あたふたしながら見つめるハルを横目で見た後、フッと失笑を溢した猫が勢いよく空中に飛び出した。空を舞った銀の猫がゆっくりと下降していく。仙里は車道を流れてくる車の屋根に柔らかく着地すると、次々と走ってくる車の上をポンポンと軽やかに渡っていった。
気が付けば飛び去る仙里の後ろ姿を追いかけていた。猫の八艘飛びを目で追う。彼女が妖怪であることを目の当たりにする。放物線を描くような銀の線を信じられない気持ちで見ていた。彼女の背中を追う最中、猫は時よりハルの視界から消えたのだが、それでも銀の軌跡を描きながら高いところを飛び跳ねるようにして移動する彼女を完全に見失うことはなかった。
仙里に追いついた時には完全に息が切れていた。ハルは自転車を停めて深呼吸を繰り返し呼吸を整えた。
「なんなんだ、これってどういうことなんだ」
辿り着いた場所は自分が通う高校。そこは昼間とは全く違う様相を見せていた。時間の感覚も失せていた。これはやらかしてしまったなと思いながら時間を確認する。ポケットからスマホを取り出すと時はすでに夜の十二時を過ぎていた。さすがにこれは不味いだろうと思い、取り急ぎ帰宅のメッセージを尚仁の携帯に送ったその時だった。唐突にハルは声を拾った。いや脳裏に直接声が響いた。
『――サマは何処に! どうか、どうかお助け下さい』
助けを呼ぶ声は幼い子供のものか。直ぐに考えたのは助けるということだったが、経験則が足を止めた。ハルは呪いの藁人形とは違った悍ましい気配を感じ取っていた。とても恐ろしい気配だった。
『無礼者! 近付くな――』
また、声が聞こえた。
声は校舎の向こう側にあるグラウンドの方から聞こえてきていた。先ほどよりも切迫する声。ここでまた、深入りするなという言葉を思い出すが、考えるまでもない。悲鳴を聞いて焦る必要もない。言葉遣いも怪しいし、そもそも、幼い子供がこのような時間に高校のグラウンドにいる理由がない。この学校は街外れにあって周囲に住宅などもない。子供が一人でいることの方が不自然なのだ。校内に消えた仙里の動向は気になるが、それとこれとは別である。やはり、ここは悲鳴を無視して帰るべきだ。ハルは冷静だった。
――僕は人間、化け物を相手に何が出来るわけじゃない。
救いを求める声を無視することに一抹の罪悪感はあった。後ろ髪を引かれる思いもする。それでも無理だと思う。これは踏み込んではいけない事態である。絶対に危険だ。自転車の方向を転換して家路へと向いた。
『――様! どこに、どこにおいでなのですか、あ……さま……。どうか……』
縋るような声が、ハルの胸を背中から刺した。
「駄目だ、駄目だ」
ハルは目を閉じ首を振った。
『アメサマ、どうか助け……』
救いを求める声が、先ほどよりも弱くなった気がした。
「無理です。ごめんなさい。僕には出来ないです」
うつむいて歯を食いしばった。ハルは思いを振り切って帰路へと足を踏み出した。
『キャアアアア!』
一際大きな悲鳴がした。
「ああ! もう! 駄目だって言ってるだろ! 助けてくれっていったって、僕なんかには何も出来ないんだよ! 無理なんだよ」
吐き出された言葉とともに投げ出された自転車が、そのまま横倒しになって校門の前に捨てられた。ハルは閉じた門を飛び越え、悲鳴のしたグラウンドへと向かった。
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