白亜の先途
日由 了
第1話 白亜の先途
ゆうべまで人の形を保っていた魔女の亡骸を抱えて、研究者は途方に暮れていた。
こうなった顛末は自分にあって、そしてそうなるよう望んだのもまた研究者だった。
崩れた肉の塊は腕に収まりきらず、床を赤く汚していた。
後には、これでよかったのだと繰り言を呟く己と、たった一つの失敗作が残った。
今しがた、己の手で殺めた魔女の幼い頃と瓜二つの失敗作。
似ているだけで連続性など欠片もない、魔女と研究者の被造物は、潤んだ茶色の瞳でその光景をじっと見つめていた。
上階では扉が激しく叩かれている。
最終判断を自分に委ねるべきではなかったと研究者は考えていた。
きっと自分は、彼女なしで生きられるし、研究も続けられる。
恐らく彼女は、己がいなくても好きに生きて、好きに死んだ。
だからこそ、最後の死に方を、自分に託すべきではなかった。
ここは棺だと魔女は笑った。地下深く押し込まれた棺だと。
かつての魔女はそう語った。
研究者は片手で肉片を抱え、もう一方の手で失敗作の隻腕を引いて、石の階段を下った。
ドクター、どこへ。
失敗作が尋ねた。
あなたは遠くへ行くの。
研究者は答えた。
ドクター、私が遠くへ行った後は。
失敗作の問いに、研究者は答えなかった。
愛着は、あったのだと思う。その時点で、諦めるべきだったと我が身を悔いたがすべてが事の後だった。
人の身を捨てた魔女が、おおよそ運命とも呼べる代物が切ったカードを台無しにしたいと不遜に創りあげたそれを。
依代ではないと思い出したことが、大きな間違いだった。
最後に魔女は、お前が選んだのならそれでいいと告げた。
愛してやまなかった、不遜な笑顔で。
石の階段を下る。地の果て。夜の底。
断たれた腕の痕で隔たれた壁を叩いた夕べのことも、失敗作は忘却する。
それでいいと思った。誰しも、胎の中の頃など覚えてなどいない。
痛みがあったことを覚えていられても、痛みの感覚そのものは記憶を再生しても再現しないのならば、痛みの経験があった自己だけが連続する。
零と一のパターンで構成された糸でできた反物を自我と呼ぶのならば、痕跡で生きている。
記憶という痕跡で、できている。
連続しない失敗作は、それならば。彼女とは異なる新しい生き物として生きられるのかもしれない。
かなしくはなかった。そのはずだ。
そこに自分がいなくても、これは続きを紡いでいくものだという確信があるからだ。
そこに自分がいないことが、ただ、どうしようもなく、さびしいだけだ。
それこそただの、感傷だ。
ドクター。
失敗作は、魔女の遺した右手は問う。
いつか終わりが来るのかな。
どこへも繋がらないし、どこにも続かないつもりだったんだ、ドクター。
いつかの終わりに焦がれているくせに、そこへ辿り着きたくないのは逃避行なのかな。
失敗作は尋ねた。
私は、何を望まれている、と。
研究者はしばし、口を閉ざしたまま失敗作の手を引いて歩き続けた。
最下層の扉を開き、据え付けられている装置へと失敗作を導く。片腕に、魔女の肉片を抱えたまま。
自分がこれからどうなるかなど、まるで知っているかのように失敗作は尋ねなかった。
自分はそういうふうにできていると、応えてしまうだろうから。
いずれ朱に染まる髪を、研究者は指ですいた。
装置に腰掛けた失敗作が不思議そうに見上げてくる。
あいしたひとの、似姿で。
ころしたひとの、似姿で。
だから望みが口を衝いたとだけは、思いたくなかった。
あなたが明日を迎えることだと、そう答えた。
ただ、それだけでいいかな、と。
そう、と。失敗作は応え、目を閉じる。
続くんだな、ドクター。
酷く擦れた声は、どちらのものだったのだろうか。
顔も見ないまま、研究者は装置の釦を押した。
あいしたひとたちは、腕の中から消えて失せた。
遠くへ、ずっと遠くへ。
終わりを先延ばしにした、ずっと遠くだ。
もう、手も届かない。
扉が破られ、一度だけ研究者は、彼女たちの名前を呼んだ。
閉じた瞼の端から、一筋だけ、涙が頬を伝って落ちた。
やがて、遥か遠く遠くの空で、白々と朝を迎える。
白亜の先途 日由 了 @ryoh_144
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