第24話

あたしが五月くんに惹かれているならば、彩都くんのことを知るのにためらったことへの説明がつく。もしそれが知られたくないことで、五月くんの地雷を踏んでしまえば、仲良くなることなんてできなくなる。


「ダメなのに」


祈の好きな人で、あたしが好きになったらいけない人。それにきっと、五月くんは祈のことが好き。ずっとずっと前。あたしがここに来る前からずっと。だから叶いっこない。そんなこと痛いほどわかってる。


「‥‥‥いいなあ、祈は。未来があって」


ぽつりと呟いてしまったその言葉は、重たく響く。思わないようにしていた。妬まないようにしていた。どうしようもないから。願ったって叶いっこないから。


「続、学校行くよ」

「あ、う、うん」


どうせあたしは、生きていられようと死んでしまおうと、みんなと同じ未来を思い描くことなんて、できないのだから。



学校に着いた途端、ひそひそと誰かに噂されているような気がした。多分気のせいじゃない。祈もそれに気がついて、眉をひそめる。その元凶は、言わなくともわかっている。

ふっと、目が合った。鋭い、ナイフみたいな冷たい瞳。長尾風子だ。あたしは思わず顔を顰めて、そして長尾さんから視線を逸らした。

なんでこうなったかは、なんとなくわかっている。昨日五月くんと帰ったから。家に行ったから。誰かに見られていたのだと思う。そんなこと百も承知で行動したから、別に怒りはない。だけど無性に胸がざわざわした。



「ねえ聞いた?あの双子の噂」

「ああ、聞いた聞いた!」


数学の課題を提出するために廊下を歩いていた時、不意に聞こえたその言葉に、あたしは思わずぎりっと奥歯を噛んだ。ここで走って逃げたら負けちゃうような気がして何もできなかった。


「続ちゃん」


追いかけてきてくれた竜田さんに少しだけホッとする。竜田さんは私の持っていた課題を半分持ってくれた。職員室に向かっていくにつれて人がほとんどいなくなった。竜田さんが口を開いた。


「あたし、詳しいことは何も知らないんだけどさあ」


突然聞こえたその声に、あたしは思わずぴくりとする。


「ずっといのりんの近くにいて、誰よりもいのりんのことを知っているつもりだし、誰よりも味方でいる自信がある」

「‥‥‥うん」


あたしはぎりっと奥歯を噛んだ。そうだ。十何年も入院していて、近くにいなかったあたしより、竜田さんの方が祈のことを知ってるに決まってる。


「だから、えっと、結局何が言いたいかって言うとね」


竜田さんは立ち止まって頭の中で言葉を探すようなそぶりを見せた。あたしも立ち止まって竜田さんの言葉を待つ。


「いのりんが続ちゃんの味方なら、あたしも続ちゃんの味方だよってこと!」


あたしはその言葉に目をぱちくり。てっきり祈を巻き込むな、とかさ五月くんに近づくな、とか言われると思っていたのに。


「いのりんがさっき言ってたんだよ。何よりも今、続ちゃんが大切で、それ以外のことなんてどうでもいいって。‥‥‥詳しいことは何も知らないけど、いのりんがバトミントンとか、勉強とか、‥‥‥五月とのこととか、自分のこと以上に熱を注ぐところ、見たことがなかったから、それだけ続ちゃんのことが大事なんだろうなって。そう思ったよ」

「竜田、さん」

「言いにくいでしょ。真麻でいいよ。‥‥‥て、真麻も言いにくい?」


あたしはふるふると首を横に振った。そうやって、気持ちを素直に話してくれること、味方だと言ってくれることが、本当に嬉しかった。


「真麻ちゃん」

「ん?」

「なんでもない」


ずっとこうやって、竜田さん——真麻ちゃんと話がしてみたかった。



「続。今日部活あるから、終わるまで待ってて」


帰りのホームルームが終わって教室を出ようとしたあたしのカバンを掴んで、祈が言う。あたしは思わず眉を顰める。


「1人で帰れるよ」

「ダメ。途中で倒れたらどうするの」

「大丈夫だって」


祈は心配しすぎだ。たかが40分の距離だし、人目だってちゃんとあるのに。過保護すぎて少しむっとしてしまう。


「じゃあ水羽、俺と一緒に待ってる?終わったら祈と竜田と5人で帰ろうぜ」

「五月」


五月くんは祈の頭をくしゃくしゃとかき混ぜて、にっと笑った。多分あたしの病気のことを知っているから、祈がそう言う理由がわかったのだと思う。


「じゃあ五月、続を任せた」


案外あっさりそれを許すので、あたしは拍子抜けしてしまう。好きな人と妹が一緒に待ってるとか、嫌じゃない?てっきり五月くんにお断りを入れると思っていたのに、驚きだ。真麻ちゃんはいいの?というように祈の顔を見る。祈はそれに気がついたのか気が付かなかったのか、じゃあね、と手を振って教室を出て行ってしまった。真麻ちゃんはちょっと!とその後ろ姿を追いかける。あたしは2人が見えなくなるまで見送った後、教室に入った。



「体調。どう?」

「平気。心配してくれてありがとう」


あたしは五月くんに少し笑いかけてから、手元のワークに視線を戻した。あたしの病気のことを知ってから、なにかと気を遣ってくれる。部活の時も重いものを持たせないようにしてくれるし、何かあった時に気がつけるように、1人にしたいようにしてくれる。

ちらり、とワークから視線を上げるとバチっと目が合った。労わるような視線。多分、‥‥‥五月くんは、あたしの余命のことに気がついてる。病気のことを打ち明けたあの日、調べたんだと思う。


「五月くん、ワークよりなよ」


あたしはそれに気がついていないように振る舞う。辛くなるから、苦しくなるから。

五月くんがあたしを心配する中に、あたし自身への気持ちは、多分、いや、大方一つもない。身内を病気で亡くした経験のあるからこその、彼自身の恐れと、それと、同じような境遇になってしまうかもしれない祈への、憐れみと同情。‥‥‥辛いなあ。


「‥‥‥どうした?水羽、大丈夫か?」


え?

あたしは五月くんに声をかけられてから気がつく。寒い。体が、震える。手の力が抜けて、シャーペンが音を立てて床に落ちる。五月くんが顔色を変えて駆け寄ってきた。


「水羽!誰か来てください!先生呼んできて!!」


五月くんの焦ったような声が、遠くに聞こえた。


嫌だ、こんなところで悪化しないでよ。まだちゃんと、祈と話ができてない。真麻ちゃんと仲良くなれたばっかりなのに。


ダメだった。声が一つも出なかった。喉が潰れてしまったようで、ひゅーひゅーと嫌な音が鳴る。

苦しい、息ができないよ。

その言葉を発することもできないまま、あたしは意識を手放した。



温かい世界。

体も軽い。


『つんちゃん』


懐かしい彩都くんの声。


繋ぎあった手は、氷のように冷たかった。

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イノリよ、ツヅケ アキサクラ @hoshiimo_nagatuki

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