6月3日 きりこがいなかった日

 画面の中で、対戦相手のキャラが弾ける。


 今日は、きりこはいない、なんか今日は両親とお出かけらしい。


 休日の午後だけど、うちの両親は仕事でいないから、今日は本当に誰もいない。


 久しく、きりこと出会ってから、久しく訪れた一人の時だった。


 画面の中でキャラが弾ける。


 1・2・3・4・5……8。


 トリガーを引き続ける。効率的に、単調に。無言で。無意味に。


 頭は空っぽで、空いた容量が、勝手に新しい戦法を見ていないところの判断を繰り返していく。


 最適に、最適に、最適に、最適に。


 バキンという音がする。


 相手のキャラが弾ける。


 画面の中で他人を殺す。


 誰のために。


 何のために。


 勝つために。


 —————何のために?




 試合終了の合図とともに、リザルト画面が表示された。


 17キル 1アシスト 0デス。


 繰り返した戦績の割に、チーム全体では敗北していた。


 なーんで、こんなに頑張って負けるかな、なんて。


 思わず、ため息をついたけど、私の表情は何も変わっていない。


 無意識にスマホを見た。


 きりこに言ったら、褒めてくれるかな。


 そうでなくても、きりこと一緒にやってたら、こんな結果でも笑っていれたのにな。


 なんて、都合のいい想像を浮かばせながら。


 無言でゲームの電源を落とした。


 ゲームのウデマエが積みあがることは確かに嬉しいのだけど。


 きりこがいないと、喜び甲斐がない。


 前はこうじゃなかったのに、いや、実は前からこうだったけど気づいてなかっただけかな。


 ネット動画で、心の前の向き方を流してみる。


 いつかきりこが頼ってきたときに精一杯、背中を押せるように。


 スマホの中で、若い男性が意気揚々と生きるための術を、情報を語っている。


 自分自身を責めない方法。


 前向きになる方法。


 悲観的でも生きていく方法。


 心を立ち直らせる方法。


 そんな時間を積み重ねながら。


 きりこを想う。いつか君の背中を押して送り出す日を。

 

 そんな想いを辿りながら。


 そっと軽く息を吐いた。


 ああ。


 きりこ、早く帰ってこないかな。


 首を窓の外にめぐらすと、淀んだ色が外に見えた。


 がたがたと音がして、閉じた窓が風に揺られてた。


 


 


 ※




 朝に出て行ったきり、昼が回ってもきりこ一家は帰ってこなかった。


 壁に耳を当ててみるけれど、相変わらず変化はなく、隣の部屋からは物音一つだってしやしない。


 ついたため息に帰ってくる答えはどこにもなくて。


 ふと思いついた私はそっと窓を開けてベランダに出た。


 ベランダに出て見上げた空は曇り色で。


 少し風が騒がしい、そういえば今日、雨が降ったりするのかな。


 そんなことを想いながら軽くベランダの手すりを飛び越えた。


 この行為も二か月分、毎日往復でやってたら100回も超えてるだろうか、もう手慣れたものだった。


 窓に手をかけてガラッと開ける。


 案の上というか、やっぱりというか、きりこは窓を開けっぱなしで、お出かけをしていた。


 「防犯意識にとぼしーねー、ふふん」


 私がストーカーだったら、これできりこの私物を盗み放題だ。にやにやほくそ笑みながら、窓からこっそり侵入する。


 いや、家人は誰もいないから、こそこそする意味はまったくないのだけど。


 きりこの部屋はカーテンは閉め切られていて、電気もついてなかったから随分暗くて、なんだかいつも来てるとことは別の部屋みたいだ。


 何より、当たり前だけど、そこにいつもいるきりこがいないから。


 いるわけ、ないから。


 「私がへんたいだったら、ここでいろんなことしまくれちゃうぞー」


 なんて。


 私物の一つにだって手を付ける気もないけどね。


 本棚を少し見て、並べられる教科書と漫画の奥に。


 日記らしきものが見えた。黒く角張った、独特なノート。


 私はそっと首を振って、目を逸らした。


 だってあんなの勝手に見たら嫌われるじゃん。


 ちょっと、見たいけどさ。


 それより、嫌われるのは、いやだからさ。


 ぼふっと、きりこのベッドに寝ころんだ。


 何度かそこで寝ころんだことがあるけれど、ちょっと冷たいさらさらとしたシーツの感触、それと、薄く残る人肌の香り。


 きりこの匂いだ。


 暗い部屋の中、きりこの布団の中でそっと独り。


 私は、部屋の主の帰りを、じっと待っていた。


 家で飼い主を待つペットみたいに。


 ああでも勝手に入ったから、怒られちゃうかな。


 そんな思いはあったけど。


 ちょっとくらいだったら、許したりとか、してくれないかな。


 なんて。


 そんな期待もあったりして。


 暗く寂しい部屋の中、きりこの匂いにくるまりながら。


 そんな期待と不安を息の中に忍ばせる。


 食後の満足感と、退屈さがそっと私の背中を押したから。


 押されるまま目を閉じると、昼下がりの微睡みがそっとまぶたを縫い留めた。


 まだかな。


 まだかな。


 きりこ、まだかな。


 早く帰って、こないかな。


 会いたいな、話したいな、ゴロゴロしたいな、眠りたいな。


 私以外、誰も知らない夢の中。


 彼女の匂いに包まれながら、そっと私は眠りについた。




 ※




 なきごえがした。


 ちいさな子どものこえがした。


 だれの声?


 むねが少しあたたかい。


 ちいさなあたまがそこにある。


 そっとなでる。


 なきごえがする。


 ながれるかみのかんしょく。


 ふるえるあたま。


 もれるおえつ。


 なみだでぬれるふく。


 だれかのなきごえ。


 ちいさなだれかがないてるこえ。


 わたしもむかし、こんなふうにないてたっけ。


 へやの中で独りで。


 泣いてたっけな。


 大丈夫。


 だいじょうぶ。


 寂しくないよ。


 怖くないよ。


 もう独りじゃないんだよ。


 目を開けた。


 あなたが声を上げて泣いている。


 心の傷口が、あなたの胸の奥でぱっくりと開いてる。


 泣き叫ぶような声がする、悲鳴のような嗚咽が漏れる。


 痛いよね。苦しいよね。怖いよね。辛いよね。


 頭を撫でて、背中を撫でた。


 小さなベッドの中、二人でくるまって抱き合った。


 なんでか私まで泣きたくなって。


 気付けば一緒に泣いていた。


 心の奥の開いた傷が癒えるまで、流れ出る血が止まるまで。


 二人で一緒に泣いていた。


 泣き声がする。


 暖かい肌が触れあう。


 ああ。


 泣いたこの子が早く泣き止めばいいと、そう想う。


 泣いたこの子がいつか笑えればいいと、そう想う。


 それと同時に。


 泣いたあなたが、受け止めた私を『特別』に思ってほしいと、そう想った。


 そのための準備は、とうの昔に揃ってる。


 あなたは、きりこは、出会った時から私にとっての『特別』なんだから。


 小さな心を二つ分。


 私はそっと、抱きしめた。


 子どもを抱くみたいに優しくそっと。


 ベッドを出れば、きっと向き合うべきことが待っている。


 そうしなきゃいけないのは、分かってる。


 分かってるから。


 だから今はそっとして、きりこが歩きだせるその時を。


 私は独り、願ってた。


 

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