きりこパート
回想 桐谷 きりこ、という少女—①
私は比較的、恵まれた生まれだと、そう思う。
別に食べるのに困ってないし、着るにも困ってない、住むところもあって、両親は健在。
母方の祖父母は亡くなって久しいけど、父方の祖父母は未だに元気に畑を耕してる。
両親は離婚しない程度に、適度に仲が悪くて、奔放すぎる兄貴の扱いが家では目下の悩みだけど。それもまあ、夕食時には家族全員揃うし、可愛いもんだ。
少し広めのマンションは、持ち家らしくて、せっせとローンを支払ってできた自慢の物らしい。そこんとこの価値は私にはよくわからない。
そんで、兄貴が一回芸大に浪人したけど、とりあえず学費は足りていて奨学金の必要もないそうだ。
学校ではいじめれてもいない。
勉学も程々にできる。
目的意識と、将来の夢が不在なくらいが、ちょっとした悩みの、そんな幸せ者。
世間から見ればそうだろうし、私自身もそう思う。
思うんだけど。
どうしてこんなに。
時々、虚しくなるんだろうか。
紛争地帯の少年兵に比べれば。
貧民街のみなし子に比べれば。
奴隷商人の商品たちに比べれば。
家庭内暴力にさらされる人たちに比べれば。
命の危険はないし。飢えもしないし。自由もあるし。理不尽に犯される心配もない。
知識もある、お金もある、身体は健康だし、ゲームだってできる。
だから別に、気にしなくたっていいはずだ。
友人との関係が、たった一つ壊れたくらいで。
どうともないはずだ。
だって、他にも友人はいたし。
そもそも所詮、二・三年の付き合いじゃないか。
よくあることだ、私はそんなのいくらでも見てきたし、自分自身もそういう経験を何度もしてきたはずだ。
そのはず、なのに。
傷ついて、しまうのは。
始業式の日に、ベッドから身体を起こそうとしたのに、脚が何一つ動いてくれないのは。
あいつが多分、私にとっての『特別』だったからなのだろう。
その関係は、私の身体に『特別』に深く根を張っていたのだ。きっと、指先から絡みついて心臓近くの身体の奥深くまで。
そして断ち切れる時に根っこと一緒に私の心とか、想いとかそういうものをぐちゃぐちゃにしながら引き抜いていったのだ。
残ったのは、ぐちゃぐちゃになった指先から心臓に至るまでの傷跡だけ。
そんなことを、うつぶせのまま、軽く痙攣する身体を感じながら、乱れる呼吸を数えながら。
人生も17年目に入ろうとしたそんな年に初めて、私は。
『特別』な誰かの重さというものに、ようやく気が付いていた。
※
そもそもの話をすると、私と彼女―――橘 けいか、が出会ったのは中学二年の頃だった。
学年初めに、名前順で決められた席順でたまたま隣だった。
最初はただ、それだけで。
交わした言葉も、ほとんどなかった。
最初の挨拶もしたかどうかすら、曖昧だ。それくらい、けいかは人を遠ざける性質だった。
私がよく話に交じっていたグループは4・5人ほどだったけど、そんなだから当然、けいかは交ってこなかった。
それで、いつも休み時間にスマホかノートを、ぶつぶつ言いながらいじってるような、そんなやつだったんだ。
その時の感想は、正直よくわからない、そういうのに交れないやつなのかもしれない、そういう子は何人か見てきたし。なら邪魔しちゃ悪いか。
でも、そんなに一生懸命な顔をして、なにをしてるのか。それは少し、気になる。それくらいのものだったと思う。
最初の関わりは多分、そんな些細な興味と一握りの偶然から。
その日はたまたま、私は教科書を忘れてしまっていた。だから隣のぶつぶつ少女に声をかけて、見せてもらうことにした。
けいかは最初、ちょっと嫌そうな顔をしたけれど、仕方なくと言った感じで見せてくれた。
机を寄せて、中央に教科書を置いてもらって。現国の授業、その時やっていたのはなんだっけ、夏目漱石の「こころ」かな。仲の良かった友達をいつか裏切った、そんな、話だ。
それでその時たまたま、けいかがノートの隅に描いていた落書きが気になって尋ねたみたのが、始まりだったのかな。
私は寄せた机の中央に置かれた、現国の教科書を眺めながら、なんとはなしに聞いてみたのだった。
何、描いてんの?
……新作のアイデア。
小声で尋ねた質問には、何の、という主語が抜けた、あまり応える気のない答えが返ってきた。
その時、私が視線を向けても、けいかはこっちなんて見ていなかったように思う、自分が書き連ねるノートにだけ目を向けていた。
橘さんって、なんか作ってる人?
……まあ、そうといえば、そう。
曖昧でどこか濁した回答。
いいね、私はそういうのさっぱりでさ。兄貴はよく絵を描くんだけど、私は真似しても全然上手くなんないの。その兄貴も、美大行くんだーって今、親と喧嘩しててさ、どうなることやら。
ふうん。
そっけない、返事。ま、親しくもない奴の身の上話なんて、興味ないよね。私だってそうだ。軽く嘆息をしながら、先生の言葉をBGMに適当に言葉を紡ぐ。
で、何作ってんの?
……ゲーム。
けいかは、ぼそっとそう告げて、私は驚きのまま、首が棙れんばかりにけいかの方を振り向いた。あまりの勢いに、けいかがかなりびっくりしたのを未だに覚えてる。
マジで?! ゲーム?!
え……うん。
あまりに騒いでしまったから、ちょっと周りの席の子が鬱陶しそうに私たちを見て、優しい国語の先生は苦笑いで私達のことを見ていたと思う。
え、ていうか一人で作れるの? 作れるもんなの?! 見せて! やらせて!?
別に……いいけど。
私は割とその頃から、ゲームが好きだった。好きだって言っても、基本的には兄弟で盛り上がってやりあうくらいの腕前で、ネット対戦でも滅茶苦茶上手いとか、発売日にすぐ買って一日でクリアするとか、そういうタイプの好きな人ではなかったけど。
まあ、それでも好きだと自分では思っていたんだ。兄貴みたいに絵は描けないけど、ゲームでならそこそこ勝てたのが、理由だったかもしれない。我ながら、しょうもない。
その日の放課後、けいかが見せてくれたのはすごく簡単なシューティングゲームだった。インベーダーゲームみたいな、小さな画面で敵を撃ち抜くみたいなやつだ、しかも敵キャラが全部教師になっていて、口癖とか行動に若干個性が出てる。
これ、え? 自分で作ったの? アプリから?
うん……まあ、今時、ネットで作り方とか上がってるし。
すご?! え? すごいじゃん?!
そ……かな?
うん、すごい! え、これ、私のスマホに入れられたりする?
え……うーん、PC教室でパソコン借りたらいけるかな……。
すごい、いこ! いこ!
その時、私は新しい発見にただただ、驚き、楽しんでいた。
そんな私に、けいかはちょっと警戒しつつも、好きなゲームの話はたくさんしてくれて、私もそれをワクワクしながら聞いていた。
昔から、兄貴が絵を描いているのを見たときから、私の中にはそういう何かを作る人への憧れみたいなのがあったんだ。
私は絵はさっぱり描けなかったけど、何かを作れる人は、素直にすごいってそう想ってた。
それから、ちょっとずつ、けいかは私と話をしてくれるようになった。
ゲームに使う音楽の話。絵の話。機材の話。ソフトの話。ゲーム内のネタにする先生の癖とか、くだらない日常のこととか。
まあ、大体ゲームの話で、ゲーム以外の話になると途端に口数が少なくなってた。
二人で話してる時に、私の友達が来たりなんかすると、急に押し黙っちゃって、無言で私にちょっかいをかけてきたりするのがちょっと、面白かった。
あと、けいかは結構、口が悪くて、それでよく喧嘩になったっけ。
私も大概、わがままだったから言いたいこと言って、どっちも引くに引けなくなったりした。
ほとぼりが冷めるまで妙にお互いイライラして、他の友人に心配されたのを覚えてる。大体、私がゲームにつけたケチが気に入らなかったとか、お互いの口の悪さが気に入らないとか、そんなしょうもない話だったけど。
他には、けいかは滅茶苦茶インドアで、足も遅くて、体力もなかったから、体育とかではいつも隅っこに座ってた。それを無理矢理、手を引っ張って混ぜたりしてた。今思えば、余計なお世話って感じなんだろうね。それで、後々けいかの機嫌も悪くなったりして、だけど、私は何も考えずに能天気に笑ってたっけ。
文化祭で先生に交渉して、小さく展示コーナーを作ってけいかのゲームを遊んでもらったりした。ちなみに、発案も私だし、先生に交渉したのも私だった。けいかは渋々って感じだったけど、当日、みんなにゲームを見せてる時は自慢げで機嫌もよさそうだった。
中三になって、けいかのゲームを作るスキルがだんだん上がってきて、ネットで上げてみたらそこそこ高評価がもらえたっけ。その日は、けいかのテンションが変で、無意味に私に抱き着いたり、普段は言わないお礼の言葉とか言ってきてたっけ。私は嬉しいのは確かだったけど、突然の変化に、困惑の方が大きかったっけ。
受験の時は、けいかがゲーム作りたい、作りたいって禁断症状が出まくって、それを抑えるのが大変だった。授業中に延々とアイデア帳になにかを描きこんでいくけいかに何度、私と先生で手刀を落としたことか。抑制されると不思議とアイデアが湧いてくるって言って、私は休み時間に呆れてた。
受験直前のバレンタインの日に、けいかにチョコを渡したら顔を真っ赤にしながら、喜んでた。友チョコだって言うのになにそんな喜んでんのとからかったら、けいかは顔を真っ赤にして、チョコ貰ったのなんて初めてなんだって目一杯怒ってた。おかしくて私はその日中、ずっと笑ってたっけ。ちなみにホワイトデーはお返しにアルフォートをくれたんだ。
仲は良かったと思う、他の人にあまり心を開かないけいかが、自分にだけ懐いてくると言うか、ちゃんと話ができるのはちょっとした特別感があったし、見たことはないアイデアをポンポンと出すけいかは見ていて心地が良かった。
高校を決めるときは、二人揃って同じ高校にした。
なんとなく、それとなく、けいかが行くんなら、じゃあ私もそこにしよっかな、みたいな。
そんな程度の理由で、けいかもそれに特に何も言わず納得していたっけ。
間違いの契機を辿るなら、多分、ここが最初の分岐点だった。
※
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