第15話 輝君

 祥子はS病院での被害に続き、レイプドラッグの実態も書き綴った。そして被害者は大勢いることも聞こえて来た。しかしこれは犯人の証拠隠蔽に繋がりかねないので軽率には公に出来ない、しかも一旦自分の手から離れたものは、自分の予想をはるかに上回って世間を騒がせるかも知れず、好奇の目が注がれるに違いない、それは家族をも巻き込んでしまうだろう、しかも犯人の奇行ぶりから推察すると報復される恐れもある。だからと言って諦めきれない。祥子は時期を見計らえば、何か手立てを思いつけるかもしれないと考え、とりあえず公にすることは保留にすることにした。


 祥子は鬱々とした気分で過ごしているある日、瞼にミーヤキャット君のシルエットが現れ、何かを訴えかけるような光を呈した。その声は祥子にはこのように聴こえてきた。


「僕がニキです。それを認めて欲しいのです」

 (やっぱり、ミーヤキャット君がニキ君だったんだ)


「僕は放たれたい、放たれたい」

 〝放たれたい″という意味を、盗撮写真に写っている手を解放して欲しいとも、母の庇護から解き放たれたいとも受け取れた。


「母は僕を護ってくれていた、けれど、もう大丈夫、僕の意志を汲んで欲しい、でも母のために僕の潔白を証言してほしい」


「僕は両親に大切に育て貰って幸せになれた、僕は父の様に人を救う仕事がしたかった、僕も父の様に家族を護れる人になりたかった、誰かを護りたかった・・・護りたい・・・護りたい・・・護りたい、被害者を増やしてはいけない」

 ニキ君のシルエットは何度も「護りたい」と伝えてきたので、祥子は問いかけた。

「私や家族を護ってくれるというのですか」

 と、その瞬間に、シルエットはパッと明るい色を呈し、揺れながら消えた。それはまるで星が微笑んでいるかのようだった。それを見て祥子の迷いも吹っ切れた。有り余る幸せを勇気に変えたいと思った。そしてそう思ったとき、青年の名前が浮かんだ。

「二木輝幸君」

 祥子は輝幸君のお母さんと知り合いだったのだ。お母さんの名前は「二木幸子」さん。

 祥子はS県立の看護学生時代にK市の休日診療所で准看護師としてアルバイトしていた時があり、その時に医療事務として働いていた人が幸子さんだったのだ。幸子さんは気さくで明るくて、旦那様と仲良しで、息子さんを溺愛していて、いつも息子さんの自慢話をしていた。その息子さんのニックネームは「輝くん」


 1984年、夏、祥子21歳

 幸子さんにM市の花火大会の日に自宅に誘って貰った。行ってみると旦那様の仕事仲間の消防士さん達を沢山招いていて、新築祝いが催されていた。そこに祥子ともう一人のアルバイト生が加わり、一階の二間続きの和室で賑やかに手料理を御馳走になっていた。  

 幸子さんが二階に向かって輝君を呼んだ、すると階段を降りて来る足音が聞こえてきて輝君は姿を見せた。しかし大勢の視線を浴びることとなった輝君は驚いてUターンして二階に戻ってしまった。

「照れているのよ」と幸子さんが言い、こんな話を聞かせてくれた。

「消防士の父親を尊敬していて、自分も誰かを救う仕事をしたいという夢を抱いているのよ、それでね、S病院で事務職員のアルバイト生が募集されていたから応募してみたのよ、そしたら採用が決まったの、大学4回生で卒業可能な単位も取れたから秋から働けることになっているの、それでね、その仕事ぶりが評価されたらそのまま就職できることになっているから、家族全員で喜んでいるのよ」

 一瞬見ただけの輝君だったが、S病院の青年のシルエットに似ている。もし輝君がS病院の診察室の中にいた人だったとしたら、婦人科の診察室の外で祥子とぶつかった瞬間に顔面蒼白になった理由が理解できる。輝君は花火の日に二階の窓から祥子の顔を見ていたのかもしれない。祥子は幸子さんの心情が伝わり、胸が締め付けられた。


 アルバイトをしていた時、幸子さんの横に座って医療費の点数の付け方を教えて貰っていた時の事が蘇った。1984年、秋

 ある日、窓口に見覚えのある夫人が来た、その人はS病院で会計の清算窓口にいた女性だ、その女性が祥子の顔を確認してから、幸子さんに合図を送る、そして幸子さんから

「最近S病院に受診した?」と聞かれる、祥子は疑問も抱かずに診察時の話をした。

「しました、婦人科に、嫌な診察でした」そういうと、突然、

「カルテに貼ってあるもの剥がしてもらおうか」と聞かれる

「大事なものでしょうから、そのままでいいですよ」と応える

「大事なものじゃない、剥がした方が良いわ、知り合いがいるから剥がして貰うように頼んであげる」

「知り合いとは、先ほどの方ですか」

「ん、んんん・・、」

「ねぇ、診察室には医師以外に誰がいた?」

「六林医師が検査をすると言って連れて来たので、研修医か検査の人だと思いますが」

「診察室の外で誰かに出会ったでしょう」

「ええっと・・・、あっ、私とぶつかった瞬間に、ムンクの叫びのような顔をした人がいました」

「顔は覚えてないの」

「瞬間に顔面蒼白になったから元の顔が分からないです。精神状態がおかしかったから、病室から抜けて来たのかと思ったけれど、事務員の恰好をしていたので、患者さんではなさそう。後から来た事務員の人に、その人の事を『調子が悪そうだから看てあげてください』と言って託したのに全然介抱してあげる様子がなくて、それよりもカルテを開けて見せていて、それが、まるで嫌らしい雑誌でも見せているかのような冷やかし方だったの、そんなことなら私が介抱してあげればよかったと後悔しているのです、変な診察を受けて腹を立てていたから、そのまま行ってしまったのです、大丈夫だったかしら」

「・・・優しいのね・・・、その人はカルテを見せられてどんな風だった」

「カルテから目を背けて、震えながら横を向いていました」

「・・・・そう・・・」


 その日から、幸子さんは診療所の仕事に来なくなった、再会したのは忘年会の日だった、祥子は屈託なくしゃべりかける

「やっと会えました、寂しかったですよ、もう来てくれないのですか」

「ちょっとね、担当が変わるかも知れないのよ」

「寂しいなぁ~、あっ、今日は輝君の話をされないですね、いつもなら『うちの輝わねぇ』って、しゃべるじゃないですか、その後、S病院に勤められることになったのですか」

「・・・ん・・・まぁ・・・」

「念願が叶って良かったですね」

「え・・・うん・・・・ごめんね」

「どうして、謝るのですか?」

「・・・えっと・・・、今日撮った写真は大事にするわ、私はクリスチャンなの、だから貴女の写真を見ながら、貴方の幸せを祈らせてもらうわね、幸せになってね」

「それは有難うございます、でも何故、私のことを祈ってくださるのですか?」と尋ねたが、幸子さんは黙って俯くだけだった。祥子は

「また一緒に働きたいわ」と言ったが、その日以来、会うことはなかった。

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