第9話 意味深長な上映会
1993年、S病院食堂の階上の通路
食堂上の通路は実習二週目になると人だかりもまばらになっている、それでも数人毎に群がっている、その中を抜ける時に祥子は声を掛けられている。
「今日はなぁ~二回目の上映会するんやでぇ~」
「院内で何か催しがあるのですか」と祥子は聞き返している
「独身者用の社宅で上映会をしているんやぁ~」
「同じものを何回も上映されるのですか?」
「部屋は狭いから何人も入られないからね、あんたも招待してあげたいところやけれど、誘ってあげられないんやぁ~諦めてなぁ~」
「それは残念ですね」と、祥子は適当に返答している。
背後から誰かが肩を叩く、振り向くと話しかけた人達を手で追い払っている、そして祥子に首を横に振って、関わらなくてもいいという表情をみせている。この人の顔はどこか見覚えがある、もしかすると高校の同級生なのかもしれない、しかしM高校の同学年は8クラスあったので、在学の三年間に同じクラスになったことがなければ印象も薄く、ましてや卒業後十三年経っているので誰なのかは特定できない、
「君にナイトの称号を与えよう」と、彼は背後の人からニックネームを与えられた。
また、廊下の隅の方で呆然と立ち尽くす男性事務員がいる。目を丸くして祥子を見ていて、祥子が近づくと、突拍子もない質問をされた。
「催眠術に掛かっていたの?」
「催眠術なんて、掛けられたことないですけど、何故?」と応えている、
また廊下では、上映会参加を勧誘している場面に遭遇している。
「今日はフジワラさんの部屋で上映会を予定していますが、参加できますよ」
「行きません」と、祥子の傍で雑談している人たちは即答で断っている。
「ナイトの称号を与える」と言っていた人も断っている。
上映会は何回も催されるほど盛況なものだと聞かされていたが、そうでもなさそうだ、そう思っているところに、正面からカワハギ集団の筆頭がやってきて、上映会の勧誘男に話しかけた、
「マキさんも上映会に参加したいと言っていますが、ダメですか」
「あいつは、いちびりやからアカン」
丁度その時、正面からキツネが軽快な足取りで向かって来て、勧誘男に、
「シンジョウさ~ん、僕も誘ってくださいよ~」と言い、横を歩いている祥子に話しかけてきた
「僕ね~、上映会に参加させてもらえないんですよぉ~、仲間外れされているんですよぉ~、可哀そうでしょう、仲間外れはダメだって言ってやって下さいよぉ~」
この頃はまだ、祥子へのからかい方はそれほど酷くはなかった、だから祥子は、
「仲間外れはダメですよね」と応答している
「ほら、この人もこう言ってくれているのだから、僕も参加させてくださいよぉ~」
「チェッ、マキ! エエもんやるから諦めろ」と、シンジョウと呼ばれた勧誘男は舌打ちを一つしてからマキという名らしい、キツネの肩を掴んで、向こうの方へ連れて行った、その後ろをカワハギ男が付いて歩いて行った。
「何、何、何をくれるんですか」という声が漏れて聞こえて来た。
「・・・・・」
「えっ、本当に」
マキの声が弾んでいる。おそらくビデオ画面からポラロイドカメラで撮ったものをあげると言われたのだろう、何故ならその日を境に猥談がヒートアップしたからだ。
また、先ほど「ナイトの称号を与えよう」と言っていた人達の会話が聞こえて来る
「なんで〝ヤギ〟は〝マキ〟にくっ付くんやろなぁ」
「七不思議ですねぇ」
「弥次喜多道中・東海道中膝栗毛、ではなく、ヤギマキ道中・S病院の七不思議やなぁ」
このしゃべり方の人は「サイコバス・サイキ」と、あだ名を付けた人と同じ辺りに立っていたことから同一人物だと思われる。そして、キツネの名前はマキで、カワハギの筆頭がヤギという名前だと言うことがわかった。またこの出来事の後に、盗撮されていた婦人科の写真を顔に翳されることになったのだ。
祥子は海の底に沈んでいった、アブアブと溺れかけている、そこから見えるミーヤキャット君はもっと深いところに沈んでいる、息継ぎもせずに沈んでいる〝戻っておいでよ〟
紳士だったミーヤキャット君は日ごとに憔悴していった。今にも灯が消えそうな目をしている、だから祥子は気になって毎晩寝付けずにいた。出来る事なら今度は自分が
「生きて」と声を掛けたかった。
祥子の頭の中はミーヤキャット君の事と、学生の実習指導の事で精いっぱいだった。だから自分が渦中の人物であるという疑念など抱く余裕がなかったのだ。そして、ついに祥子はミーヤキャット君に声を掛けることが出来た。
「ねぇ、私に『生きていてくれて、良かった』と言ってくれたのに、あなたの方こそ変よ、ねぇ、いったい何があったの」と詰め寄っていたのだ、でも彼の声を聴ける暇は貰えなかった。何故なら彼は、マキにに肩を抱かれて祥子から離されたからだ、そしてマキは毒々しい言葉を祥子に投げ付けてきた。
「しゃべりかけんな、お前に話しかけられるのは恥ずかしいんや、こいつはお前の恋愛対象にはなれへんから諦めろ、この病院にはお前を恋愛対象に出来る者はいないから、男は別のところで探せ」と言ったのだ。しかし、当時の祥子はそんなことよりもミーヤキャット君の憔悴ぶりが気になり、遠ざかる背中に向かって
「元気をだして」と発した。するとミーヤキャット君は壁の向こうに消える寸前のところで、此方を振り返り、首をわずかに横に振った、その目は死んでいた。祥子は心の中でマキにこう叫んでいた。
(悪いがあんたの言葉は耳には入ってこない、ミーヤキャットくんの目が心配だ、今にも死んでしまいそうな目をしているではないか、友達なら気づいてあげろよ)
そしてミーヤキャット君に祥子の気持ちを目で伝えた。
(分かっているよ、マキの言葉は君の本意ではないということよね、あなたには私の心はどう見えているの、マキの言葉に傷ついているように見えているの、傷ついてなんかいないよ、もしも先生の立場でなかったら、私はこう言ってやるの『お前らなんかこっちからお断り』ってね)言わなかったことを今でも後悔している。
それから数日後に、マキとヤギの集団の捕り物帳があったのだ、その後は食堂ですれ違う人は誰も祥子を見なくなった、壁を向いて通り過ぎる態度はかなり不自然だ、事務長から「観ないように」との沙汰が下ったのだろう。しかし変な緊張感があって、祥子が現れるとピタっと会話が鎮まる。食事中も奇妙な空気が流れる、階段のうえの集団も消えた。しかし心の声が聴こえる
(あいつらがやり過ぎたせいで標本が観られなくなった)(まだ複製がある)(○〇○なら売りつけるかもしれないな)(盗撮は刺激的で病みつきになりそう)(ビデオはある)(女を甚振るのは快感、くせになりそうだ)
一人の女の子がシクシクと泣き出した。翌日から食堂は男子禁制になっていた。
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