第3話 キツネとカワハギらの捕物長

 祥子はエッセイを書き終え、某出版社のエッセイ賞に応募した。そのことで、僅かではあるが気が晴れ、心臓の拍動も過呼吸も少し安定した。しかし、澱んだ部屋を喚起すると、新たな澱みが壁からにじみ出て来るかのように、頭の中で爆竹を鳴り響かせながら、次々と記憶が蘇り続けた。再び嗚咽に喘ぐ日が続き頭の中は再生された記憶で埋め尽くされ、錯乱状態に陥る寸前に至っていた。祥子は藻掻きながら、溢れ出る記憶を書き出し続けた。書き出したことは忘れても良いのだと言い聞かせていたのだ。また書いている間は、全身の震えも過呼吸も、心臓の拍動も正常を保つことが出来ていたのだ。祥子は生きるために書き続けたのだ。


 地下の食堂に一階から事務長らしき貫禄のある男の人と誠実そうな二人の男性職員と一人の女子職員が降りてくる。

 その人たちの姿は祥子の位置からは見えるがキツネとカワハギの群れには見えない位置で立ち止まる。女子職員が「あの人」と言っているような手ぶりで渦中の祥子を教えるようなしぐさをした。

 事務長と二人の男性職員は祥子を一瞬だけ見て直ぐに目をそらし、何やらもぞもぞと打ち合わせてから戦闘モードに入った。

 まず初めに二人の男性職員が食堂の中央をから奥に向かって歩き出す。

 背筋が伸びた武者の出で立ちである、二人は奥から手前に向かって堂々たるあゆみで、写真に群がるカワハギたちを蹴散らすように分け入り、先頭の人が写真を見ながらニヤニヤしているキツネの背後からスッとそれを抜き取った。

 そして「おい、それ俺の!」と発するキツネを一蹴した。

 後方の人は観念したキツネとカワハギらを後ろから押すようにして歩かせ、奴らは階段のところで待ち構えている仁王立の上司に睨まれながら「こっちへ来い」と顎で、上階へと連行された。

 祥子は「捕らえられた、写真が取り返せた」と胸を撫でおろした。


 しかし安堵したのも束の間、文字制限により殺してしまった言葉が恨めしそうにのしかかり、さらに追い打ちをかけるように、これまでに不審に感じていた意味深長な言動が紐解かれてゆくのである。その衝撃はまるで機関銃の如く祥子に襲い掛かった。

 たった一枚の写真に群がり湧き上がる愚弄ども、おそらく日頃は女性に振り向いてももらえないゲスどもが女性への報復とばかりに祥子を甚振り面白がっていたのだろう。ゲスの本質を知った祥子は人間不信に陥り不眠と頭痛、激高する鼓動、締め付けられる胸の痛みに、息継ぎさえも困難になり、しゃがみ込んで震える日が続いた。

 しかし現実の自分は五十五歳で悩みごとのない幸せな人、あんなクソ医師やゲスどもに心を折られてなるものかと、屈辱に堪えてくれた二十一歳と三十歳のあの子たちに報いる為にも、幸せにならなくてはならないのだと言い聞かせ、藁をも掴む思いで鏡を見つめ、自分の年齢を思い知らせる。すると辛い境遇から逃れられ五十五歳の自分に戻ることができるのだ。しかも趣味は作文である、さんざん嘲笑ってくれた奴らを脅かせてやろうではないか。


 さてキツネやカワハギらの捕り物帳を目の当たりにした時、当時の祥子の心境は如何程のものだったのだろうか、胸を押さえて当時の心を呼び起こしてみた。するとその時の祥子ときたら、自分が被害者であったという自覚はなく、キツネとカワハギたちは卑猥な話ばかりしているから注意を受けた。顔に翳された写真は誰かのヌード写真であって、その顔が自分に似ていたのだろうという程度にしか思っていなかったようだ。それよりも別に気がかりがあるようだ、それに反して学生たちの方が秘密を抱えながら実習をこなしていたのだと気づかされ感謝の気持ちで一杯になり、彼女たちの身になって事態を振り返ることにした。また祥子の横で手を握ってくれていた一人の学生の手の温もりが懐かしくなり、彼女の名前を思い出したくて、過去の彼女の名札が見える場面に降り立った、名前は「東藤さん」だった。

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