7−3
「私がずっと引っかかっていたのは、私が立てた仮説が、古村くんの潔白を証明していないという点なんです」
話は7月初頭の美術室に戻る。峰岡は、束になったロールシャッハ・カードもどきの絵の束を脇に置き、腕を組んだまま話し始めた。
「サッカー部内で小林くんや城崎くんを中心とした久保くんへのいじめが発覚し、大会参加の取り消しの危機となった。そこで久保くんを選手にすることで丸め込もうとした。そのために、久保くんと同じポジションの古村くんを退部させ、彼こそが首謀者であるという噂を流した――この仮説は、古村くんの退部が本意ではなかった可能性と、古村くんが首謀者ではない可能性を示唆するものでした。これは木下くんの知っている古村くんの人物像とも一致します。だから木下くんはこの仮説で満足していましたよね」
「ああ、どこに問題が……」
「繰り返しますが、この仮説は古村くんの潔白を証明するものではありません」
「ど、どういうこと」
「古村くんが1人で犠牲になってサッカー部の出場権を守ったことが真実だとしても、それは彼が城崎くんや小林くんと並んで久保くんをいじめていたことと両立するということです。
考えてみて下さい。古村くんも相当努力してスターティングメンバーの座を掴んだと思います。ですから、いじめに本当に何も関与もしていなかったのであれば、古村くんは退部についてもっと抵抗すると思いませんか? あっさり退部しているのはおかしいと思いませんか?
そこで、私はこう思いました――古村くん自身にも久保くんに対して後ろめたいことがあったんじゃないのかな、と」
「それは、あいつが他人のためなら自分を犠牲にできるやつだから……」
「そこです。木下くんがこの仮説で満足してしまった理由は、この仮説があなたの思い描く古村くんの人物像に完璧に合致していたからです。ですが私は、いくらお人好しだったとしてもそんなことがありうるのか、と思いました。この古村くんの挙動の怪しさに気づいた時点で、私は木下くんの持っていた古村くん像の方を疑いました」
峰岡は組んだ腕をほどいて身体の後ろで組み、緩やかにうつむいた。
「木下くんは、古村くんのことを『仲間思いで、人のためなら平気で自分を犠牲にするような奴』と評しました。ここが間違っていたとしたら。つまり、本当は人をいじめることを厭わない人間で、いじめにも主体的に関わっていたとしたら、筋が通ります。
これが、木下くんに言いたくなかった一番の理由です。信じていた友達が、信じていたような人間でなかったら、それはとても受け入れがたいことだと思います。そして私がそう言ったら、私のことを嫌ってしまうんじゃないか、そう思いました」
峰岡はそう言ってひどく悲しそうな顔をした。だが、俺はびっくりするほど怒りがわかなかった。むしろそう言われて、ずっと喉の奥に引っかかっていたものが取れたような気持ちになった。俺は深くため息を付いた。
「……実を言うと、美月と話してから、俺もあいつの人物像に自信がなくなっていた」
「やはりそうですか」
「だから、峰岡がどう考えたのか、最後まで聞かせて欲しい」
そう言うと峰岡は、悲しそうな顔のまま浅く頷いた。
「木下くんのもつ古村くん像は、小学校の間、一緒に成長し、長い時間を過ごしたことで築かれてきたものです。ですから、木下くんの描いた像が最初から大間違いだったとは思えません。おそらく小学校の時点ではある程度は正確なものだったと思うんです。だから、小学校から中学校に進学した前後のタイミングで、何か決定的に変わってしまうきっかけがあったんじゃないかなと、そう思いました」
「それが美月に振られたことだっていうのか」
「他にもあったかもしれませんが、私が知る限りはそれしかなかったので、原因の1つではないかと思いました。そしてこの失恋が古村くんにとってどういうものだったのか、3つ仮定を立ててみました」
峰岡は人差し指を立てた。
「まず1つ目、大畑美月さんが古村くんを振った理由は、大畑さんが木下くんのことを好きだったからではないでしょうか」
「は? なんでそうなる」
「私は恋愛には疎いので、ちょっと私の妄想込みなんですけど」
峰岡はそう言って、顔を赤らめ、口元を抑えた。真面目な話の最中なのに、仕草が可愛いからドキッとしてしまう。っていうか、美月に言われるまで気づかなかったけど、こういう時の表情が確かに陽菜に似てるんだよな。
それはさておき、あまりにもありえない仮定すぎて俺は少し反論したくなってきた。
「大畑さんは木下くんのことを『コータロー』、木下くんは大畑さんのことを『美月』と呼んでいますよね。その時点で相当親密な間柄であると思いました」
「小学生なんだから普通だろうよ」
「小学生でもそんなに仲良くない人同士なら、さん/くん付けじゃないですか? それにお2人は今でもその呼び方で呼び合ってるんでしょう? あと、木下くんが小学校3年生のときに大畑さんにしたいたずら……私だったらトラウマになって、その後金輪際口もききたくないと思うのですが……」
峰岡は真顔になった。怖すぎる。間違っても峰岡のスカートはめくらないようにするぞ。そもそも誰のスカートももうめくらないわけだけど。
「大畑さんはその後も木下くんと関係を続けていますよね。やはり特別な気持ちがあったから、許せたのではないかと」
「小学生だから、男友達と同じように付き合ってたんだよ」
「男友達でも局部を見られるのは嫌だと思うのですが……まあ、言いたいことは分かります。気の置けない友人であるということですよね。ですが、木下くんが単なる友人だと思っていたとしても、大畑さんの方はどうだったでしょう。だから私は、木下くんから大畑さんに、古村くんを振った理由を直接聞いてみるようお願いしたんです。
その結果は、まず、『ずっと好きな人がいた』でしたっけ。小学校6年生の時点についてこう言っているわけですから、この言葉はそれ以前に出会った幼馴染の中に好きな人がいたことを意味していると思います。そして、『コータローには言わない』と怒られたんでしたね。単に『言わない』とか『言えない』ではなく、『コータローには』と言ってたんですよね。これは、他の人ならまだしも、特に木下くんには言えない理由があることを含んでいるような気がしませんか?」
「そこは……そうなのかな……」
「ま、あくまで仮定です。仮に、大畑さんがそういう理由で古村くんを断ったのだとします。すると古村くんは、最も仲の良い友人の1人であるはずの木下くんに深く嫉妬したと思います。そして、木下くんに何か復讐を仕掛けようと思ったのではないか。これが2つ目の仮定です」
そう言って峰岡は、先程立てた人差し指の隣に中指を並べた。俺はまた反意を述べた。
「いや、仮に美月が振った理由が俺だったからだったとして、修二がそんなこと思うかな」
「そう、木下くんの人物像通りなら、『仲間思い』なはずなので、友人の大畑さんと木下くんの仲がうまくいくことを願ったはずでしょう。ですが、そこで嫉妬に駆られ復讐を誓ったとしたら、それが古村くんの人間性を歪めるきっかけになったんじゃないでしょうか」
俺は承服しかねるという態度に見えるように鼻息を漏らした。その様子を見ながら峰岡は最後の3本目の指を立てた。
「あくまで仮定に仮定を重ねた話です。だから大畑さんの証言による裏付けが欲しかったんです。ここまでの仮定について十分といえるほどの裏付けは得られなかったのですが、最後の仮定だけは裏付けが得られました。3つめの仮定は、古村くんの復讐が木下くんのスクールカースト上の立ち位置へと繋がったのではないか、ということです」
それを聞いて俺はゾッとしてしまった。やっと峰岡の言いたいことが分かってきた。
「まず、5月のゴミ拾いのときに聞きましたが、古村くんはゆるく楽しめるから卓球部に一緒に入ろうと木下くんに声をかけ、自分は急に強豪のサッカー部に入ったと言っていましたよね。これはとても不自然です。まず、ゆるく部活をやりたいと言うのは嘘だったということになります。それに、木下くんにサッカー部に入ろうと誘うとか、少なくとも入部先を変えることを事前に伝えても良かったはずなのに、それをしなかった。意図的に木下くんを卓球部に入れようとしたようにも見えます。卓球部は、サッカー部と比べれば部員も少ないですし、この学校では比較的人気のない部活なんですよね? だからこれは、古村くんによって意図された復讐の一環だったんじゃないか、と思ったんです」
「そんなまさか……」
「もう1つ、こちらは大畑さんが証言してくれましたが、古村くんは『イモ、ネギ、キノコ』という卓球部部員へのあだ名をつけた張本人なんですよね。このあだ名は、とても失礼ですが、名前と外見をひっかけたとても上手いつけ方だと思いました。ですが、お世辞にも中立的な気持ちでつけられたものだとは思えません。古村くんはあだ名をつけるのが上手いと聞いていたので、もしかしてとは思ったのですが、これも、木下くんの所属する卓球部の風評を下げるという、復讐の一環だったのかもしれない、そう思ったんです。
加えて、これは単なる想像ですが、そんなことを平然とする人があだ名を広めるだけで満足したでしょうか。卓球部の立場が悪くなるよう、もっと悪質な噂を流した可能性もあるかもしれません」
確かに、この3つ目の仮定に関しては事実の裏付けがある。少なくとも、中学1年生の時の部活選びに関する修二の挙動はおかしかった。そしてその理由を考えてみると、確かに、俺に対して何らかの悪意を抱いていたと考えるほうが自然だ。峰岡は立てっぱなしになっていた3本の指を折りたたんだ。
「まとめます。大畑さんは木下くんのことが好きだったから古村くんを振った、古村くんは木下くんへの復讐を誓った、そして木下くんを卓球部に入るよう誘導した上で卓球部の悪い印象を広めていた――これらが事実であったと仮定すると、次のような古村くんの人物像が浮かんできます。嫉妬深く、敵とみなした人物を蹴落とすことを躊躇しない人物。そして自分では直接手を下さず、きっかけを作って悪評を広めることに長けた人物。そんな人が、サッカー部内で、同じポジションを得意とする同級生に対してどういうふるまいをしていたのか。それはきっと……」
「……お前の言う全てが事実だとは信じたくない」
俺は峰岡を遮ってつぶやくように言った。峰岡はそれを聞いてぴたりと言葉を止めた。
「本当に美月が俺への気持ちを理由にあいつを振ったんだとしたら……俺に責任はなくても、恨まれても仕方ない、と思う。だけど、俺が修二の『仲間』ではなくなってしまっただけで、『仲間思いで、人のために自分を犠牲にできる』奴のままなのかもしれない」
「そうかもしれないですね」
「だが、あいつがもし、城崎や小林を唆して、久保にも手を出していたとしたら……」
俺は、喉の奥に何かがつっかえて、その後の言葉が言えなかった。
その様子を、峰岡はずっと悲しそうな顔で見ていた。
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