第7話 歓声はもう聞こえない
7−1
試合開始のホイッスルが会場の空気を切り裂き、応援の歓声が空へと響き渡る。赤いユニフォームの選手のキックオフでゲームが始まる。赤がうちの中学、青が相手の中学だ。応援席では、両チームを応援する生徒と保護者風の連中がうごめいている。俺は応援席の上段にふんぞり返って座りながら、別の世界で起きている物事でも見ているかのような気持ちでその光景を見ていた。
7月末の土曜日、俺はうちのサッカー部が出場した県大会を見に行くことにした。天気は生憎の雲一つない快晴で、これ以上ないというほどの暑さだった。試合は、家から電車やバスを乗り継いだところに所在する総合運動公園で開かれていた。生来の面倒くさがりな上に、サッカー部を心底嫌っている俺が、なぜわざわざ時間と電車代を無駄にしてまで見に行ったのかと言うと、胸のうちから湧いてくる義務感によるものだった――この数カ月間、俺の頭の中で渦巻いていた屈託の顛末を見に行かなければならないような気がしたのだ。
うちの中学は7月中に行われた市内の予選にシードで参加して順当に勝ち抜き、第2位で県下予選に出場した。これは俺が実際に見に行ったわけでも、積極的に情報を集めていたわけでもなく、城崎と小林が週末の試合に勝つたびに教室で大きな声で自慢していたのが嫌でも耳に入ってきていたのだ。
今日のこの県大会は、うちの県の体育協会が行っている総合体育大会のサッカー部門で、地区大会へ出場する県代表の選考を兼ねている、と入り口で渡された紙に書いてある。市内予選で選ばれた10校が、2日間かけてトーナメント形式で試合を行い、上位2校が県代表になる。要するに、「市内予選→県大会(今ここ)→地区大会→全国大会」ということか。うちの学校は地区大会にはほぼ毎年出ていて、全国大会においても常連校ということなので、県大会は余裕で突破するだろうという話を、ここに来るまでの電車の中で知らない誰かが話しているのを聞いた。だが、サッカー部の連中ががっかりしている顔が見たくて仕方ないので、名前も知らない青いユニフォームの中学を内心で応援する。
前半はうちの中学が優勢な展開が続いていた。ただワンシーンだけヒヤッとしたところがあった。前半12分、相手中学のフォワードが異常に上手く、そいつがまたたく間にゴール側までボールを運んだ。それを左サイドバックが止めそこね、シュートを打たれてしまう。そのシュートはゴールポストが弾き、それをうちの中学の別のディフェンダーが拾ったため、すぐさま赤ユニフォームのカウンターへと繋がった。遠くから見ていたので間違っているかもしれないが、そのボールを止めそこねた左サイドバックが久保だったようだ。
数週間前、峰岡がロールシャッハもどきを揺らしながら言っていたことを思い出す。遠くから見ていると全て同じに見えるが、近づいてみるとそれがいかに複雑かが分かる。そう言われてみれば、俺は久保という人間がどういう見た目で、どういう感情を持った人間だったのか、調べようとも思っていなかった。ま、今回の事件について、「お前はサッカー部内でいじめられていたが、その事実を使ってサッカー部を脅し、古村修二を引きずり落としてスタメンになったのか」なんてストレートに聞いても答えてくれるはずはないわけだけど。
前半20分、試合は全く動かない。飽きた。というか暑すぎて観戦する気にもなれない。日陰にいてもこんなクッソ暑い日に屋外にいるなんて狂気の沙汰だ。それと、うっかり飲み物を買いそこねたせいで、汗として身体から流れ落ちていく水分を補給する術がない。俺はTシャツの襟をパタパタと引っ張って空気を入れながら、自動販売機を探すために立ち上がった。
観客席を出て少し歩くと自販機が数台見えた。同じようなことを考えたやつがたくさんいたのか、スポーツドリンクとお茶が売り切れてしまっていた。ただのミネラルウォーターは買うと負けたような気持ちになるし、甘すぎるジュースは水分補給には向かない。うっかりしていたな。駅前で買って来るべきだった。そういえば、この競技場には大きなプールが併設されていたはずだ。プールがある建物に行けば、何かしらあるかもしれない。
公園内をそれらしき建物に向けて歩いていく。園内は、サッカーの観戦に来たように見える集団や、プールに来たらしき浮き輪を持った親子連れがうごめいていた。その中を一人で歩く冴えない中学生、俺。峰岡でも誘えばよかっただろうか。あいつだったら「行ったことないので行ってみたいです」とか言い出しそうだが、あの白磁のように美しい肌をこの不快な熱気と紫外線に晒すのは、何かこう、忍びないな。それにスポーツは万能だけど、細すぎて持久力がなさそうだから、下手すると熱中症になりかねない。
そんな風に本人のいないところで失礼なことを考えているうちにプールのある建物についた。プールの受付は屋内にあり、エアコンがよく効いている。生き返った。少し奥に行くと案の定、自販機がズラッと並んでいて、先ほどよりは選択肢があった。
俺がスポーツドリンクを買って飲んでいると、見知った顔のやつがそこにやってきた。古村修二だ。修二は俺を見るなり、死んだはずの奴がその辺りを歩いていたのを見たような顔をした。俺は苦笑いしながら声をかける。
「よお、何しきたんだ」
「サッカー部の応援に決まってるだろ」
「やめた部活の応援に?」
「俺の問題で退部はしたが、チームメイトのことは応援したいんだよ」
そう言って修二はうつむいた。それから俺の方を見ずに言葉を続ける。
「お前こそ……何しに来たんだ」
「サッカー部の応援に決まってるだろ」
「嘘をつけ。幸太郎がどうしてサッカー部の応援を」
「俺は実は愛校心に溢れた人間で、うちの中学の勝利と名声を心から願っているんだよ」
俺はおどけた声で思っていないことをしゃあしゃあと言った。すると修二は明らかに不快を顔ににじませ出した。
「バカにしてるのか」
「嘘だよ……本当は、お前に会いに来た。ここに来たらきっといるだろう、と思っていた」
「俺に?」
「ああ、お前に聞きたいことがあってな」
俺は本音を言った。そう、ここにこれば、修二に会えると思っていた。そして、サッカー部の県大会の試合結果を知ると同時に、この事件に終止符を打とうと思っていた。
「お前がサッカー部をやめた理由について、お前は『これ以上首を突っ込むな』と言った。だが、実は、俺は首を突っ込んでいた」
「どういうことだ」
「お前がやめた経緯を俺なりに調べて、推測を立てた。それが正しいか、お前に検証してもらおうと思っている」
俺がそう言うと、修二は俺を睨みつけてきた。これは「当てれるものなら当ててみろ」という意味だと思って、俺は続けた。
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