6−4

 次の日の放課後、俺は峰岡を訪ねて美術室に行った。別に放課後じゃなくても、昼休み中に隣のクラスに行けばよかったんだけど、放課後の美術室なら長くなっても時間を気にせず話せると思ってこちらを選んだ。楽しい話題について話すわけではないので気は重かったが、この事件の真相を突き止めなければならないという義務感が俺の足を動かしていた。


 美術室を覗き込むと、峰岡は奇妙な行動をとっていた。この間、大量に作っていたロールシャッハ・カードもどきの絵を、美術室に40台ほどある生徒用の机一つずつに置いていた。俺が美術室に入ってきたのを見かけると、峰岡は「こんにちは」と言って微笑んだ。


「何してるんだ」


「こういうインスタレーションを作ってみたら面白いかなと思って、試しに並べてみていたんです」


「インスタレーション?」


「木下くんは、芸術のジャンルと聞くと何を想像しますか?」


「美術の教科書に載ってるようなやつかな。絵だろ。銅像。彫刻。あとは小説とか、音楽とか、映画とかか」


「そうですね。文学、絵画、彫刻、音楽、舞踏などは、古代から存在する芸術のジャンルです。19世紀以降、写真や映画といった技術が発展してからは、それらも芸術ジャンルに組み込まれていきました。インスタレーションは、それらと比べると比較的新しいのですが、1970年代頃から広まり始めた芸術ジャンルの1つです」


 峰岡先生の講義が始まってしまった。長くなるなら荷物を下ろそうと思ったのだが、普通の机を使うと峰岡のインスタレーションとやらの邪魔になってしまいそうだったので、教師用の大きな机の脇にあった椅子にかばんをおろした。


「インスタレーションとは、空間全体を使った芸術です。特定の部屋や屋外に、芸術家が自分の好きなものを置きます。絵画、彫刻、音楽、写真、映像、またそのいずれとも言えないようなものを自由に配置します。鑑賞者は、その空間の中に入り、その空間を体験することを要求されるんです」


「わけわかんない芸術だな」


「そうですね。でも、わけわかんないものだからこそ、良いと思いませんか。芸術家自身も完全には理解できないまま生み出される意味不明なものだからこそ、誰のどのような理解も等しく受け止めてくれる。はじめから意味不明だからこそ、自由に考えてもいい。そういう風に考えれば、優しい芸術だと思いませんか」


 峰岡はそう言って、また微笑んだ。高尚すぎてイマイチ分かってないが、「はじめから意味不明だからこそ、自由に考えていい」というのはなんとなく俺の気持ちに刺さる言葉だった。


「で、この峰岡のインスタレーションとやらは何を言いたいんだ」


「木下くんはどう思いますか」


「難しいことを聞くなあ」


 俺は机と机の間を歩きながら、整列させられたロールシャッハ・カードもどきを眺めた。全ての机の上の、寸分の狂いもなく同じ位置に置かれている。


「なんだか異様な光景で、不気味だな」


「そうですか?」


 そう言うと、何がおかしいのかわからないが峰岡はクスクスと笑い出した。俺はバカだと思われたくなくて、もう少し説明を続けた。


「遠目で見ると全て同じ蝶のシルエットの絵に見えるが、近寄って1枚1枚見ていくと全部色もかたちも違う。だから、じっと見てると不安になってくるんだ。そんな捉え所のない絵が、大量に、教室というよく知ってる空間に置かれているからかな。異物感もあいまって、より不気味に見える」


「なるほど。でも、教室って、そもそもそういう空間だと思いませんか?」


 峰岡は、自分の近くにあった1枚の紙を取り上げた。それは偶然、俺がこの間眺めていた、濃い青と黄色で描かれた蝶とも鳥ともつかないものだった。峰岡はそれをヒラヒラと振った。そうやって振ってみると蝶のように見えた。


「遠くから見ると、教室にいる私達は同じ制服を着て同じような背格好の少年少女に見えます。でも近づいてみると、全員、見た目も、考えていることも、全く異なります。だから接触すると、嫌な思いをしないか、誰かを傷つけてしまわないかと、怖くなりますよね。

 実は、教室という空間自体もそうです。義務教育という制度がある限り、あらゆる人が一度は必ず入ったことのある空間。机と椅子、黒板と時計、木の床に白い壁、時計とチャイム。どこの学校のどの教室にあるものも全部同じに見えますが、果たして本当にそうなんでしょうか」


「そう言われてみたら……」


「人間にせよ空間にせよ、とても複雑なものを単純に捉えてしまうことは、心穏やかに生きるための術だと思います。ですが、たまにはその不気味なまでの複雑さをそのままに受け止めることも大事だなと、私は思うんです。そういうことが表現できないかなと思って、並べてみたんです」


「な、なるほど」


「ですが、そういう複雑さというものは概して受け入れがたいものです。ですから、教室をこのままにしておくと、先生は多分私が散らかしたままにしていると思って怒るでしょうし、これは片付けるべきですね」


 そう言って峰岡は微笑み、教室の前方左側から机の上に置いた絵を拾い始めた。俺も手伝おうと思って、反対側の後方右側の机から絵を拾い始めると、峰岡は「ありがとうございます」と声をかけてきた。


「また私の話ばかりしてすいません」


「いや、むしろいつも俺の話ばっか聞いてもらってると思っていた」


「そうでしょうか」


「それはさておき、大畑美月に話を聞いてきた」


 そう言うと、峰岡は絵を拾い上げる手を一瞬止めた。だが、すぐにまた動き始めた。


「どうでしたか。疎遠だったと聞きましたが、きちんと話せましたか?」


「ああ、疎遠だと思ってたのは、どうやら俺だけだったらしい。美月の方は相変わらずだった。避けられてると思ってたんだけど、話す機会を逸していただけみたいだった」


 紫色のインクで描かれた絵を拾い上げながら俺は答えた。これはちゃんときれいな蝶のように見えるな。


「まず、美月が古村修二を振った理由だが、康介……俺と修二と美月の共通の友人が俺に教えてくれたものと一緒だった。他に好きな人がいたかららしい」


「大畑さんは、正確にはどう答えてましたか。思い出せる限りでいいので」


「お前ほど記憶力は良くないんだが……えっと、確か、『ずっと別に好きな人がいた』だったと思う」


「……『ずっと』」


「そう。それで俺の知ってる奴かってしつこく聞いたら『コータローには言わない』と言って怒られてしまった。それ以上言ってくれなさそうだったから、聞き出すのを断念したんだ」


 それを聞いて、峰岡は立ち止まって、黙って左手を口に当てていた。俺は絵を拾いながら話を続けた。


「それと、関係があるかわからないが、修二のことで別のことも話題になった」


「なんでしょう」


「俺の、『キノコ』というあだ名をつけたのは修二らしい」


「えっ! そっ、そうなんですか? 木下くんが嫌っていたあだ名でしたよね」


「ああ。美月は修二がつけたあだ名だと知っていたから、俺も同意でついたあだ名だと思っていたらしい。ちなみに卓球部の井本は『イモ』、根岸には『ネギ』というあだ名があって、『イモ・ネギ・キノコ』でセットになってるんだが、それも全部修二がつけたんだと。癪だけど上手いあだ名だ」


「気を悪くしないでほしいんですが、木下くんの言ってた通り、あだ名つけるのが上手なんですね」


「あだ名をつけるのが上手いって話したっけ」


「はい。クラスのムードメーカーだって話を聞いたときに、そう言ってましたよね」


 そう言っているうちに、峰岡が最後に拾った机の隣の机まで絵を拾い終えた。2人で両端から拾っていったので、ちょうど教室のど真ん中で俺たちはかち合った。俺は絵の縁を机の上にトントンとたたきつけて揃えて峰岡に手渡すと、彼女は大事そうにそれを受け取った。


「ありがとうございます」


「どういたしまして。で、どうだ。仮説の修正案を話してくれる気になったか」


「はい。でも、本当にいいですか?」


 そう言って、峰岡は近くにあった机に絵の束をそっと置き、俺の方をまっすぐ見て言った。


「一昨日も言いましたが、私は木下くんを助けたいと思って推理の手伝いをしてきたので、木下くんを傷つけることは私の本意ではありません」


「ああ、聞いた」


「そして、今から私が言うことは木下くんを傷つけるかもしれません」


「ああ、それも聞いた。それでも、聞かせてほしい」


「では、長くなりますが……」


 峰岡は、少し目を閉じ、それからまたその大きな目を開いて、いつも通りの、穏やかで透き通るような声で、ゆっくりと話し始めた。


(第6話 おわり)


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